第39話 これは水には流せない


 ――時、既に遅し。


 トイレの個室へと入り、便座へと座りながらオーギュスト・ロダンの"考える人"のポーズを取った僕は、人生とは何かという哲学的な命題へと必死に挑んでいた。


 昼休み終了の鐘が鳴るも、僕は此処から動かない。否、動く事が出来ないでいた。


 襲い来る破滅的な腹痛に終止符を打った僕であったが、代償として社会的な地位を失うのであれば本末転倒である。


 覆水盆に返らず。

 出した便は戻らない。



「……ゆ、ゆるさん……ゆるさんぞ……!」



 思い返すも腹立だしいのが、あの赤髪ポニーテールの尻軽ビッチ紅羽だ。


 アイツが僕を引き止めなければ、こんな事態には陥らなかったと言うのにッ!!


 石瑠翔真を恨むにしても、やり方が残酷過ぎるだろう!? もう赦さァァン――ッ!!



「大体からして、僕はアイツの事が好きじゃなかったんだ……! 見た目だけはバッチリ好みな癖して、プレイヤーじゃ攻略不能! 相葉総司とは確率で付き合うって何じゃそりゃ!? マジで誰得なキャラなんだよォォ――!?」



 翔真じゃなくても、そりゃキレるわ!


 相葉総司と関係を持つキャラは殆どが攻略不能ヒロインで、当時は運営の相葉贔屓だと揶揄されていたものである。――最も、恋愛要素なんて一部の要素。ABYSS攻略がメインの遊びであったレガシオンでは、然程炎上もしなかった……そんなこんなもあってか、僕はレガシオンのストーリーを好んではいない。


 プレイヤー=主人公として感情移入していた僕にとって、終始相葉達のお助けキャラに甘んじるストーリー展開が許せなかったのだ。他の教室を選んだとしても、その構図だけは覆らない。謂わばレガシオンの絶対不文律なのだ!


 相葉総司は確かに良い奴だよ? でもさ、ヒロイン三人はやり過ぎだろう? 完全にハーレムを作ってるじゃないか!? 羨ま――けしからん!


 だから、そんな相葉と最終的にくっ付く鳳紅羽も僕は嫌いなんだよ。情報が無かった頃は絶対にプレイヤーとくっ付くと思って、ステータス上昇系の種も優先的にあげていた! 愛情を持って育てて居たから、虚脱感も一入ひとしおだ!


 処女厨キモいとか馬鹿が言うけどな――!?


 取り繕いやがって!!

 もっと正直になれよォォ――ッ!!


 男は皆、処女が好きなんだろォォン――!?


 遊び人が気軽に言ってくれるなよ!?



「お前らの"好き"と、僕の"好き"は熱量が違うんじゃァァ――ッ!!」



 思わず、個室で叫び出す僕。


 ……色々と脱線してしまったが、兎に角、この場だけは何とかしなきゃいけない。


 上手く状況を切り抜けなければ、明日の校内ネットに『【臭報】石瑠翔真さん、脱糞』という、屈辱的過ぎるスレッドが建ってしまう!


 それだけは、嫌だ……!!

 僕にだって、羞恥心はあるんだ!!


 "ブツ"は何とか処理出来た。

 後はこの、汚れたパンツとズボンだろう。



「仕方が無い……魔晶端末ポータルの"次元収納"に入れておくか。少しばっちぃ気もするけど、汚れなんかは付着しないから平気な筈……!」



 後はこの、スースーとした下半身だな。


 確か、魔晶端末ポータルの中には学校指定のジャージが入れてあったと思う。一先ずはソイツに着替え、場をやり過ごすとしよう。



「よし――っと」



 端末を操作して、ジャージの入った巾着をこの場に転送する。続いて汚物を収納だ……!


 下だけがジャージというのも目立ってしまうので、上下を着替えて、余った物を再び魔晶端末ポータルの中へと収納した。


 相変わらず便利で助かる。

 一家に一台、魔晶端末ポータルです。



「授業は……サボるか」



 今日はもう、ABYSSを探索する気にはなれ無かった。序盤の授業では探索に時間制限が設けられてるし、階層更新をするのにも、1、2時間程度では難しい。本番は土日の自由探索だ。此処で頑張る必要は無いだろう。


 そうと決まれば、さっそく下校しよう。

 目指すはコインランドリー!

 

 早くパンツを洗いてぇ〜〜!!





「よし、セット完了……!」


 

 人気の無いコインランドリーで、ドラム缶式の洗濯機を回す僕。事前にある程度は洗い流してはいたのだけれど、やはり水洗では限界がある。洗剤に浸されたズボン達を眺めつつ、僕は漸く人心地に付いていた。


 洗濯が終わるまで、少し暇だな。


 思った僕は、解放された面持ちで付近を散策してみる事にした。場所は待ち外れの田舎道だから、通行人も滅茶苦茶少ない。夕暮れのロケーションが寂れた雰囲気にあっており、僕は自分でも知らずに散歩を楽しんでしまっていた。


 だから、だよね……?



「グエッ!? ゲハッ――!!」


「おいおい……まだ終わりじゃねぇだろ?」



 殺伐とした空気は土手の真下から発せられていた。陽の光が反射する河原の近く。数十人の死屍しかばねの上で、暴力に魅入られた赤髪の女が夕焼けに照らされ立っていた。



「誰が寝て良いって言ったァ? なぁ?」


「か、勘弁してくださぃ……っ!」


「――チッ、腑抜けがッ!」


「がひょっ――!」


「あぁ、つまらんつまらん!! つまんねー!」



 男の股間に強烈な蹴りを入れた女は、美しく流れる長髪をガシガシと掻き毟り、夕暮れ時の鬱屈を顕にしている。


 ……最悪な奴に、出会でくわした。


 生徒会副会長・我道竜子。



「――あン? テメェ……」



 猛獣の様な眼光が僕を射抜く。怯んだ瞬間、肉食獣の笑みを見た僕は、自身の運の無さを只管ひたすらに嘆くのだった――


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