第38話 もう、どうでもいい翔真


「ゴーレムとの戦闘……」



 説明を聞き終えた歌音が、不安がる様に呟いた。実際、初心者が戦う相手じゃないからな。俺達が本当に命懸けだった事を知り、仲間として心配してくれているのだろう。



「あぁ。話には聞いていたけど、実際に戦うとなると相当に厄介な魔物だったよ。翔真が弱点を知らなかったら、俺達皆ヤバかったんだ」


「でも、石瑠君は何処でそんな知識を?」



 歌音が抱いた疑問は、俺や歩も感じていたものだ。石瑠翔真は高等部編入組でありながら、ABYSSに対して詳し過ぎる。テレビやネットから仕入れた情報にしては専門的だし、まるで熟練の探索者と接している様な空気をアイツからは感じてしまうんだ。



「……多分、藍那さん――翔真のお姉さんからABYSSの話を聞いていたんじゃないかしら?」


「石瑠には姉が居るのか?」


「アカデミーの一個上の先輩よ。2-Bの石瑠藍那さんと言えば、校内ネットでも有名だと思う。あの人は、優秀な人だから――」


「成程、Bクラスか……そんな姉が家族に居るのなら、石瑠の博識にも説明が付くな」


「でも、それならこの記事の内容は――」


「あぁ、全くの出鱈目だ」



 俺は、二人に向かって断言する。



「自分勝手な憶測だけで、良くぞ此処まで書けたものだ。御丁寧に石瑠の写真まで用意して……この記事を書いた奴は、石瑠翔真という人間を余程陥れたいらしい」


「そうやって考えてみると、他のスレッドもちょっと怪しいよな? 荒らしみたいな真似をして、翔真の評判を落とそうとしてるのかも」


「……」


「……? どうしたの、紅羽ちゃん?」



 考え込む俺達とは別に、紅羽は深刻そうな顔をしながら俯いていた。


 何か、懸念する事でもあるのだろうか?



「……ごめん。何でも無い。それよりも、この事を翔真は知っているのかしら?」


「あー、どうだろう? 掲示板とかをマメにチェックしているタイプなら、知っていてもおかしくは無いと思うんだけれど、翔真の奴がどんなタイプかは、俺には全く――」


「――!」


「あ、紅羽ちゃん!?」



 話の途中で、紅羽は席を立ってしまう。


 向かうのは教室の入り口。

 そこから出ようとする、翔真の元だった。



「――うげッ!?」


「ちょっと、待ちなさいよ翔真!!」


「ぐぅ! く、紅羽か!? 何をする……!?」



 後ろからシャツの襟首を掴まれた翔真は、喉が絞められて呻き声を漏らす。もしかしたら、食堂へと向かう所だったのかも知れない。教室の出口を見ながら、翔真の奴は落ち着きの無い様子で紅羽へと相対した。



「アンタ、校内ネットは見た!?」


「はぁ? 何をいきなり……?」


「このスレッド!!」



 襟首から手を離した紅羽は、例のスレッドを表示した魔晶端末ポータルの画面を翔真へと見せる。



「アンチスレ……! 本人に見せるか普通!?」


「良いから、内容を良く見て!!」


「はぁ……!? ったく」



 言われた通り、スレッドに目を通す翔真。



「――で? これが何?」


「何って……アンタ、悔しく無いの!? こんな事実無根な事を書かれて!?」


「どうでも良いよそんなの……言いたい奴には言わせときゃ良いんだ。大体、僕が悔しがったとして、連中は悪口を書き込むのを止めるのかい? 無駄な足掻きなんてするだけ無駄さ」


「……けど、アンタは頑張ってたんでしょ?」


「え?」


「藍那さんから探索者の勉強を教わったりして、影ながら努力していたんでしょう!? それなのにこんな……!」


「べ、勉強? ――あぁ、朝の特訓の事? いやでもアレは姉さんに無理矢理付き合わされてるだけだし、別に努力って程ではぅ――ッ!?」


「……翔真?」



 突然、顔色を悪くする翔真。


 いきなりの事に、紅羽も翔真を気遣うが、アイツは何事もないかの様に首を振り、そのまま教室から出て行こうとする。



「ちょ、待ちなさいよ!?」


「……ッ! まだ僕に何か用なの!?」


「私、掲示板を書き込んでる子に心当たりがあるの! だから、翔真も一緒に――」


「ッるさいなぁ!? こっちは今、それ所じゃないんだよォッ!! 緊急事態なんだァ……!どうでも良い事で、この僕を煩わせるな――ッ!」



 バシンと、紅羽の手を振り払う翔真。



「な、なによそれ……! こっちはアンタの事を心配して言ってやってるのに……!!」


「はい出ました偽善の押し付けー! 僕が何時そんな事を頼んだってー!? 上から目線で言ってやってる!? 冗談じゃないよ!!」


「なッ……!?」


「大体さ、書き込んでる子に心当たりがあるって……ソレもう、紅羽がやらせたんじゃないのぉ!? 僕の事を裏で悪く言ってさぁ、本気にしちゃったお友達が僕のアンチになっちゃったんじゃない!? 疚しい事があるからそんなに必死なんだろぉ! 違うかよ、紅羽ァァ――ッ!?」


「そ、それは――」


「……ハッ、ヤマ勘で言ったのに否定しないんだね? 傷付くねぇ、本当……」


「しょ、翔真……私は――」


「兎に角、もう放っといてくれよ……!」



 再度、教室から出て行こうとする翔真。

 その行く手を、紅羽は身体を張って阻んだ。



「ハァッ、クッ、……何の真似だい、紅羽?」


「……行かせない」


「は、え……?」


「勝手な事言わないで! まだ私の話は終わってないのっ! だから、行かせない……!!」


「――ッ、くれ、はぁ……ッ!!」



 両手を広げ、通せんぼをする紅羽を見て、翔真は思わず顔を引き攣らせる。


 ――どうでも良いけど、翔真の奴……腹なんて抑えてどうしたんだろう?


 よっぽど腹が空いているとか……?

 だとしたら、間が悪いな。



「何だって紅羽はさぁ――ッ!! 僕の嫌がる事ばかりするんだよォォ!? そんなに僕が嫌いかァ――!? アアンッ!?」


「……嫌いよ! 大っ嫌いよ!! 前に一度言ったじゃない!! 何度だって言ってやるわ! 私は石瑠翔真の事が大っ嫌い!! だから、アンタの思い通りには絶対に動いてやらないの!!」


「ふ、ふふふ、ふざけるなぁ――ッ!! 仮にもお前、許嫁だぞォォ――!? 人の心っちゅうもんが無いんかァッ!?」


「無いわよ、アンタに関して……私は無い!」


「カ――」


「だから、絶対に此処から動かない。アンタが嫌がる内は! 絶対にね……!!」


「――」



 一瞬、翔真の顔が、絶望したかの様に真っ白になる。やり過ぎだとは思うけれど、翔真の為に紅羽も本気なのだろう。


 俺達は、見守る事しか出来なかった。



「く、紅羽ぁ……? ぼ、ぼくがわるかったよぉ……だから、頼むからそこをどいて……!」


「嫌」


「く、くれはさま……! お願い、どいて……! はなしなら、あとで聞く、から……!!」


「嫌!!」


「どげざする! くつもなめるよぉ!? あとで何でもして良い! なんでもするっ! だから――」


「絶対に、嫌!!」


「ヒ……ハ……ッ…………」



 ――その時、翔真の目には光が消えた。


 自暴自棄というか。

 捨て鉢というか。


 表情には諦観が浮かび、何もかもが『どうでもいい』そんな、やけっぱちな思いを、今の翔真からは感じてしまう。……一体、どうしたのだろうと、翔真の身を心配したその時――



「貴方達、何を騒いでいるのですか?」


「か、影山先生!?」



 教室前を通り掛かった影山先生が、言い争いをする二人へと声を掛けた。



「昼休みも残り僅か。午後の探索科目の為にも、食事はしっかりと摂っておきなさい」


「は、はい……」


「……? 石瑠君は何処に――?」


「!」



 紅羽が影山先生に気を取られている間に、翔真の奴は教室内から抜け出していた。尻を抑えながらヒョコヒョコとした歩き方をする翔真。通路の先へと去って行く後ろ姿を目撃し、紅羽は湧き上がる苛立ちを隠せない。



「アイツ――!」


「待ちなさい、鳳さん」



 追い掛けようとした紅羽の足を、影山先生はやんわりとした口調で止めさせる。



「……何があったのかは知りませんが、急いては事を仕損じると言います。同じ校舎内に居るのですから、焦る必要はありません」


「先生……」



 流石は大人の先生だ……迅る紅羽の気持ちを、たった一言で抑えてしまう。



「紅羽ちゃん……」


「歌音……それに皆……ごめんね……私、勝手に熱くなっちゃってさ……」


「何か、許せない事があったのだろう?」



 歩の問いに、紅羽は静かに頷いた。



「――私、翔真の事は大っ嫌い。だけど、やった事が正当に評価されないのは、やっぱりおかしいと思う。それを良しとするアイツの考えも、私には到底理解出来なかった……!」


「……心当たりがあるって、言ってたよな?」


「うん……多分、間違いなくそう。だからこそ、私自身がこの馬鹿げた"お祭り"に終止符を着けなきゃ行けないのよ……!」



 決意を秘めた声で、紅羽が言う。それもこれも、全ては"嫌いな相手"の評価を取り戻す為。


 素直じゃないなぁ、と。改めて俺は思う。


 しかし、翔真の奴は一体何処に行ったんだ?


 向かった先は食堂とは正反対。あっちには確か、生徒用のトイレしか無かったよな?


 腹痛を起こして、便所に駆け込んでるとか?



「――まさかなぁ」



 俺は頭の中に浮かんだ下らない妄想を鼻で笑い、仲間達との食事を楽しむ事にした。

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