第02章 級長選出編

第36話 ンまァァ――い!!


 ――SIDE:石瑠麗亜――



 心地良い朝と言うのは、モーニングティーから始まるわ。私はメイドのマリーヌが淹れてくれたシロップ沢山の甘〜い紅茶を啜りながら、朝の時間を優雅に楽しんでいたわ。


 時刻は午前7時。


 藍那姉様は、今日も早くに朝の特訓に向かっている。……翔真の姿が無い事から、アイツも同行したのかしら? 藍那姉様のトレーニングは、聞き齧っただけでも凄まじく、怠惰な翔真が付いて行けるものでは無いのだけれど、案外頑張っているのかも知れないわね。


 ――ま、私にとっては関係の無い事ね?


 昨日は哀れに思って、ベッドメイクだけはしてあげたけど――あんな情けは金輪際、起こり得ない。石瑠翔真をこの家から追い出す。藍那姉様の為に至上命題としたこの事を、私は決して忘れてはいなかった。



「……の準備は済んだかしら?」


「はっ、麗亜様。此処に……」



 私が問い掛けると、メイドの夏織が料理を乗せたトレイを目の前へと持って来る。


 朝のメニューはフレンチね。定番のフレンチトーストにカリッと揚げたソーセージ。スクランブルエッグの上にはざく切りにしたトマトソース。各種野菜をプレートの彩りに添えながら、飲み物はアップルティーを用意している。


 うん、正にベスト。

 これなら姉様もお喜びになるでしょう。



「――で、翔真の皿は?」


「此方で御座います」



 献立としては同じ物だけど、中身には細工が仕組まれている。私は夏織の説明を待つわ。



「腐りかけの卵を使用したフレンチトースト、スクランブルエッグは一度便所の床に落としてあります。野菜の中にはアブラムシ。アップルティーには雑巾の搾り汁を入れてあります」


「結構――」



 夏織からの報告を聞き、私は満足気に頷くわ。流石の翔真もこんな扱いを受け続けたなら、家を出て行くに決まっている。


 そこまで考え、私はハタと気付いてしまう。


 昨日、石瑠翔真が私が考案したゲテモノ料理を美味しそうに食べていた事を。



「……これでは、弱いかも知れないわね」



 周囲に居たメイド達もソレに気付いたのか、皆は静かに息を呑んだわ。



「しかし、麗亜様……私達、もう虫は……!」


「芋虫でも限界だったんです! アブラムシだって――これ以上触るのは無理ですよ!」


「……そうね」



 料理の中に虫を入れるという案は素晴らしかったのだけれど、虫を用意するのにも私達では精神的なダメージは免れないわ。


 今後は、禁じるしか無いかも知れない。



「――皿を床に置きなさい」


「え? あ、はい!」


「……ッ!」



 置かれた皿に視線をやると、私は履いていた靴下を脱ぎ捨て、素足でもって中の料理を踏んで行く。両足で捏ねくり回し、料理としての原型が無くなった時、私は満足して椅子に座る。


 すかさず汚れた足の清掃を始めるメイド達。タオルで素足を拭かれながら、私は他に何か出来ないかと思案をした。



「――昨日の朝食、スープに唾液を入れたのは誰の案だったのかしら?」


「……恥ずかしながら、それは私です」



 メイド長であるマリーヌが声を上げた。確かに、あの思い付きは他の若い子では無理でしょうね? 流石は年長者のマリーヌだわ。クールな顔をしてやる時はやる……。



「今度は皆でやってみましょう。汁物に限定しなくても良いわ。料理全体に唾を吐くの」


「わ、私もですか――ッ!?」


「何か不満?」


「い、いえ……ですが……!」



 恥ずかしがる夏織を尻目に、メイド長のマリーヌは既に唾を垂らしていた。口元から糸を引く姿は艶かしく映り、真面目なマリーヌの別の側面を見た様な気がしたわ。



「……ぺっ! ……何か?」


「あ、いえ!」



 糸を切る様にして唾を吐き出すマリーヌ。頬を赤らめながら彼女を見ていた夏織は、やがて意を決した様に料理の中へと唾を吐く。


 代わる代わる料理へと唾を吐き捨てていくメイド達。命じた私がやらないというのもアレだから、手付かずとなっていたアップルティーへと唾を入れてやったわ。



「これで、完成――」



 息を吐きながら、カラカラとなった口内をコップで潤す夏織達。


 ……少し、やり過ぎたかしら?


 潰れて。更に唾液でベチャベチャとなった料理は、もはや食べれる代物では無かった。此処まで頑張ったのは良いけれど、流石の翔真もこの有様を見たら朝食を摂ろうなんて気はなくなるんじゃないかしら?


 ある意味では、頑張り損。


 私が危惧したその時だ――玄関の扉を開け、藍那姉様が帰宅した音が聞こえて来る。



「――隠して!」


「ハッ!」



 翔真の朝食は、藍那姉様の目に毒だわ。メイドに命じた私は食堂へとやって来る姉様を今か今かと待ち続ける。



「――む。麗亜か……早いな」



 スポーツウェアに着替えた姉様が、手元のドリンクで水分補給をしながら食堂へとやって来る。相変わらずお美しい……流れる汗は星々の煌めきの様。首のタオルで汗を拭いつつ、姉様は用意された料理に目をやるわ。



「ほう……今日はフレンチか? 相変わらず、美味しそうな朝食だな。用意してくれたメイド達には、感謝をしなくては」


「勿体ないお言葉です」



 マリーヌが、代表として頭を下げる。



「麗亜達が来てから、石瑠家の食卓は随分と豪華になった。実に喜ばしい事だ」


「姉様、御食事はすぐに食べられるので?」


「どうかな? 先にシャワーをと思っていたのだが――折角だ。食事の方を優先しよう」


「でしたら、すぐに御箸を御用意致します!」


「ありがとう。やはり食事は箸に限る。フォークを扱えない訳ではないのだが、家の中では慣れ親しんだ物を使いたい性分でな」


「ふふ……承知していますよ。それでは姉様、一緒に朝餉を頂きましょう」



 和気藹々とした姉妹の朝食が始まった。私の生まれ故郷の味……藍那姉様の舌に合うと良いのだけれど――



「……しかし、翔真の奴は遅いな? 一体何時まで時間を掛けているのやら」


「藍那姉様、今朝の特訓メニューは、如何だったのですか?」


「特別な事はしていないぞ? 普段と同じで、約50kmを走っただけだ」


「50km……」



 さらりと言っているけれど、それはつまり毎日フルマラソン以上の距離を走っているという事だわ。出発は午前3時……戻って来たのが7時過ぎなので、毎日4時間のタイムで50kmを走っているという事になる。


 藍那姉様は、ABYSSへと潜ってから益々強くなっている。それは技術的なものもそうだけど、身体的なものがより顕著だわ。成長する姉を前にして、私は焦れていく自分を自覚する。



「姉様……私もABYSSに潜りたい。姉様の隣に並び立てる様な探索者になりたいの!」


「私なんかを目標としなくとも、麗亜なら成れるさ。――いつか必ず。な?」



 藍那姉様は、そう言って笑いかけてくれる。


 けど、姉様――

 私はじゃ嫌なの。


 今すぐ藍那姉様と一緒に、ABYSSを探索したい。この気持ちが我儘だと言うのは分かっている。けれど、あの翔真でさえABYSSに潜っているのよ? 諦め切れないわ。魔晶端末ポータルさえ手に入れば、私だって――



「――御馳走になったな。さて、私はこのままシャワーを浴びて来る。無用な心配だが、麗亜も学校には遅刻しない様にな?」


「はい……」



 食堂へと出て行く姉様を見送ると、入れ違いの様に玄関から物音が聞こえて来た。


 恐らく、翔真が帰宅したのね? 時刻は午前8時前――案外早かったわね。姉様の言葉通りなら、もっと時間が掛かると思っていたのだけれど、死に物狂いで走って来たのかしら?



「はらが……はらへり……」



 意味の分からない呪文を唱えながら、翔真が食堂へと入って来る。……随分とやつれたわね? 着ているジャージには所々砂汚れが付着しているし、膝小僧の部分には穴が空いている。走っている最中に転けたりしたのかしら?


 無駄な努力、御苦労様――


 どんなに頑張っても、私は一切手を抜かないわ。藍那姉様を当主に据えると決めた以上、貴方の存在は邪魔なのよ。――徹底的に虐め抜いて、この家から追放してやる!


 と、その時だ。



「あぁ〜……!?」


「……何をやってるのかしら?」



 足をもつれさせた翔真が、何も無い床に転がった。疲労が極度に達しているのね。まるで死に掛けの虫みたい。私は呆れながらもメイド達に合図を送り、例の朝食を持って来させる。


「あぁ、キモい……このままだとテーブルに着くのは無理そうね? 仕方が無いから、翔真には床で食事を摂って貰いましょう」


「ハッ」



 倒れた翔真の目の前に、朝食を乗せたトレイを置かせたわ。中身は犬の餌にも劣るゲテモノよ。疲れ切った身体で出される食事がだもの。普通だったら気が滅入るわ。


 

「あ、あ、あ、……め、めし……?」


「そうよ? 翔真の為に用意した特製料理。メイドと一緒に、私達が愛情をたっぷり入れてあげたわ。残さず食べてね? お兄〜ちゃん♪」



 心底皮肉を混ぜて言ってやる。

 流石の翔真も、これには堪えて――



「メ、メシィィィィ――ッ!!」


『ッ!?』



 突然叫び出したと思ったら、翔真の奴はそのまま朝食を犬食いし出したわ。無作法なんてレベルじゃない。その余りの勢いに、私達は固唾を飲んで翔真の食事を見続けた。



「ガシャガシャ! ぐァつ、ぐァつ――ッ!!」


「う、わぁぁ……っ、本当に食べてる……?」


「す、凄い……っ」



 唾液塗れのスクランブルエッグを、むしゃむしゃと頬張る翔真を見て、夏織は顔を引き攣らせる。普段表情の動かないマリーヌでさえ、アイツの様子には目が離せなくなっていた。


 何なのコイツ……!?

 嫌がらせが全く通じてない――ッ!?


 あっという間に、皿の料理を完食した翔真は、近くにあったティーカップへと手を伸ばす。


 アレは――私の――!


 ぐいっと、一息で中身を飲み干す翔真。



「ンまァァ――い!!」


「!!」



 叫ぶ翔真に、赤面する私。


 私の唾液を飲んで――!!

 出た感想が、美味しいって――!?


 し、信じれないわ……!

 信じれない変態だわ――コイツ!!



「も、もう良いわよ――!このバカ――!!」


「れ、麗亜様!?」



 火照った顔に手を当てながら、私は大股で食堂から出て行った。早く学校の準備をしなきゃ。翔真なんかに拘っている時間は無いの!


 ……本当、サイテーな朝だったわっ!

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