第2話 初登校は軽蔑の薫り


 未だ混乱の最中にある状況だけれど、それでも分かった事はある。この身体の持ち主の名前は"石瑠翔真いしるしょうま"と言う少年らしい。


 初めはピンと来なかったけれど、僕はその名前に聞き覚えがあった。


 VRMMOレガシオン・センス。そのゲーム内に出てくるキャラクター・石瑠藍那いしるあいなの弟が、確か石瑠翔真いしるしょうまという名前だったと思う。


 役割的にはモブと言っても遜色は無いだろう。シナリオイベントで序盤にプレイヤー達と敵対。やられてフェードアウトする役割だ。故に、僕も大して記憶してはいなかった。


 彼の生家である石瑠いしる家は代々続く武家の名家であり、石瑠翔真いしるしょうまは唯一の男子として家の跡取りになっていたと思う。実家の権威を笠に着て、周囲に威張り散らす傲慢なウザキャラ――それが、石瑠翔真いしるしょうまというキャラに対する大凡のプレイヤーからの評価である。


 レガシオン・センスの舞台と言うのは、現代日本をベースとしている。良くあるファンタジー調の世界観ではなく、実在の日本の都市が出て来るのだ。歴史の方は従来のものとは違っており、現代でも武家や朝廷などが残っていて、政府に対して高い影響力を及ぼしてたりする。言うなれば歴史改変の行われたパラレルワールドという奴だ。歴史考証の正確さとかは良く分からないけれど、単純にグラフィックの造り込みが凄く、その完成度の高さからシミュレーターとしても人気を博した作品なのだ。


 ゲーム中には、当然バトル要素も存在する。各国に出現した"ABYSSアビス"と呼ばれる塔のダンジョン。これを攻略するのがプレイヤーの最終目標だ。自由度の高い作品だったからABYSSアビス攻略をそっちのけにして遊んでいるプレイヤーも多かったね。


 僕自身はレガシオンの中ではトッププレイヤーと呼ばれる存在で、世界ランキング3位のランカーとしてこのゲームを遊んでいたんだ。ただ、ABYSSアビス攻略にのみ専念していたから、シナリオ関連の知識は疎いんだよね。だから、メインストーリーに深く関わらない石瑠翔真いしるしょうまの名前は忘れてしまっていた。


 彼女が許嫁という設定も――当然、ね。



「……早く行くわよ」


「あ、あぁ」



 刺々しい態度で通学路の先を歩くのは、石瑠翔真いしるしょうまの幼馴染であり許嫁の鳳紅羽おおとりくれはだ。彼女はレガシオン・センスのメインストーリーに出て来るヒロインの一人。特徴的な赤い髪のロングポニーテールは健在だ。実物を目の当たりにすると、驚く程に美人だなぁと改めて思ってしまう。


 ……まぁ、僕が"翔真しょうま"でいる限り、彼女が振り向いてくれる事は未来永劫無いんだけどね……!


 おおとり家と石瑠いしる家は共に武家。この世界には武家の者は武家の者と結婚するという仕来たりがあり、彼女とは親同士が決めた婚約関係にある。当然、紅羽くれは自身の意思はそこには介在しない。


 許嫁として調子に乗ったセクハラ三昧を仕出かす翔真しょうま鳳紅羽おおとりくれは蛇蝎だかつの如く嫌っていた筈。家同士の約束の手前、表向き朝は一緒に登校をしているが、彼女の素っ気ない態度を見れば翔真の事をどう思っているのかは一目瞭然だ。


 己の中の自意識として、未だ翔真しょうま=僕という実感は無いのだが、見た目美人な女の子から一方的に嫌われてるという現実は苦しいものである。



「……翔真もD組なのよね……?」


「へ? な、何?」



 思い出したかの様に呟く紅羽くれは。声に出たのは独り言だったのかも知れない。思わず問い返した僕を一瞥すらせず、紅羽は黙々と通学路を歩いて行く。


 流れる空気は最悪だ。


 僕は彼女の事を努めて意識しない様にして、今向かっている学校について思いを巡らせた。


 政府主導で設立された教育機関・通称アカデミー。其処はABYSSアビス攻略を目的とした探索者育成校であり、将来的に探索者として大成する為には絶対に欠かせない場所である。レガシオンのプレイヤーは新入生としてアカデミーに入学し、恋に探索に青春を謳歌していくのである。少中高とエスカレーター式に進学する学校で、設定として翔真や紅羽は高等部からの編入生となっていた筈だ。


 しかし、D組か。分かっちゃいたが最下位組だな。レガシオンでの組分けというのは、プレイヤー自身が最初に選択する事の出来る要素で、好みのNPC達の陣営へと分かれる事が出来るのだ。D組というのはその中でも一番成績が悪い。高校からの中途編入組がD組に所属するっていう設定なんだけど、翔真である僕には選択権は無く、D組に所属する事が決定していたらしい。


 紅羽と一緒……自分の事を害虫としか思っていない女子と一緒の組かぁ……。


 出そうになる溜息を押し殺しながら、僕はアカデミーまでの道のりを微妙な空気で歩いて行くのであった。





 家を出てからずっと遠目に見えていた半透明な巨大な塔。中心部から上に向かう程に透度が増し、空の色と同化したソレは、人類に富と名誉を与える混沌の坩堝るつぼABYSSアビスと呼ばれている。僕等が目指す新しい学舎・探索者育成校"アカデミー"は、実はABYSSの中に存在している。世界各地に現れたABYSSアビスと呼ばれる構造物。これの研究の為、日本政府はABYSSアビス内部に"アカデミー"を設立したのだ。地上一階に存在する広大な安全地帯セーフエリア。此処の土地が僕らの学舎まなびやとして利用されているという訳だ。


 敷地内には食堂や学生寮。ABYSSアビスから持ち帰った資源を加工し、武具やアイテムとして生成する施設も存在する。運営するのはアカデミーの生徒達であり、教員は生徒の自治に任せ、特機と呼ばれる政府公認のゲート管理委員会と結託し、ABYSS研究と各種授業のみを担当していた。


 生徒主導の運営と言うと聞こえは良いけれど、その実態は権力者の親を持つ生徒会に、教職員が逆らえなくなっただけなのよね。此処ら辺は割とツッコミ所の多い設定だけど、元がゲームなので深くは考えまい。



「全員、着席しましたか? 今から鑑定紙を配ります。これは貴方達の現在ステータスを簡易的に写し出す紙となります。探索経験の無い貴方達のLVは1と表示される筈ですが、それは皆さんも一緒なので恥じる事はありません。ステータスの初期数値・所持スキルを確認しましたら、そのまま待機していて下さい」



 1-D教室。


 教壇にはピシッとした黒スーツ姿の生真面目そうな女教師が立っていた。影山良子かげやまりょうこという名の彼女は、1-Dの担任教師である。歳の方は現実の僕と大差が無い様に思える。即ち20代後半だ。特徴的なのは癖のある紫髪のロングヘア。教師と言うよりも敏腕OLと言った方がしっくりくる出立ちの女性だ。


 教室内の生徒数は25名。


 欠席が見当たらない所を見るにこれがD組の全員なのだろう。想像よりも少ないと思うのは、その殆どがNPCで構成されており、プレイヤーキャラと思しき生徒が存在しない所為なのかも知れない。


 ……この世界には、プレイヤーは存在しないのだろうか? それとも僕と同じ様に既存のNPCの中に入ってしまっているのか? これは追々検討すべき事項だと思う。


 最後尾の席へと配置された僕は、前の席より回されて来た鑑定紙を受け取り、その紙面へと視線を落とす。



「鑑定紙が行き渡ったら、今度はソレを"使用"してみて下さい。何処でも良いので紙に触れ、使うという事を意識するのです」



 思ったよりも漠然としている。ゲームなら決定ボタンを押せば済む話だけど、現実として落とし込むと、こういったやり方になるのかな?


 紙に触り、ひたすら"使用"と念じただけで、紙面に文字が浮かび上がってくる。思考から発動までのレスポンスが思ったよりも早い。


 浮かび上がった文字は日本語である。言語は使用者を基準とするのだろうか? 早速、書かれたステータスを確認してみよう。

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