86 ドキドキしたから

 小学校を卒業する前、私はりおくんと忘れられない思い出を作った。

 もちろん、それは私だけの思い出でりおくんは全然思い出せないけどね……。それでも、私はずっと胸の奥に秘めていた。これは初めて恋に落ちた女の子の記憶、好きな人に「愛されたい」という感情を感じた時の話……。すっごく大切だったこの記憶は、ずっと彷徨っていた私をりおくんという選択肢に導いてくれた。


 私の初恋———りおくん。


「あい、誕生日おめでとう!」

「あ、ありがと……! りおくん!」


 毎年、私に「おめでとう」って言ってくれる人はりおくんしかいなかった。

 意地っ張りな私はいつもりおくんの友達に嫉妬して、りおくんにも嫌なことを言ってしまう。それが悪いことって知っていても、りおくんと一緒にいたかったから仕方がなかった。私と過ごす時間を増やしてほしいから……、私のことを大切にしてほいから……、いつの間にかりおくんに「執着」する私がいた。


 りおくんがいなくなると、また一人になってしまうから———。

 でも、りおくんは私のそばにいてくれた。

 私のそばで、ずっと私を安心させてくれた。

 それがすっごく嬉しくて、いつの間にか……「執着」だと思っていた感情が「恋」という形に変わっていく。ずっとりおくんに「好き」という言葉を言ったけど、それはお父さんみたいに私を離れないでほしかったから……。その言葉で、私はりおくんを縛りつけようとした。


 そして信じられないことが起こってしまう。

 そんなことができるとは思わなかった。

 りおくんは私を選んで、その代わりに今まで築き上げた友人関係をすべて諦めたから……。お父さんと違う人……、私のために自分の何かを犠牲する人。あれがあってから二人きりの時間がどんどん増えて、丸一日りおくんといられるようになった。


「…………あい、ほっぺにクリームついてるよ」

「拭いて、拭いてぇ……」


 元々、りおくんのこと好きだった。

 でも、確信がなかったから……りおくんと距離を置いてしまう。


「美味しい?」

「う、うん……! りおくんの食べてみてもいい?」

「いいよ。お母さん、たくさん買ってくれたから」

「ひひっ……」


 無理だよ……。こんなりおくんと距離を置くなんて……、本当に無理……。

 私のそばで、私の面倒を見てくれたから……。知らないうちに、りおくんのことを見てしまう。


「りおくんは……私のこと、どう思う……?」

「あいのこと? 好きだよ?」

「……うん」


 こうやってりおくんの気持ちを確かめるのも癖になってしまった。


「なんだよ……。また、嫌な夢でも見た? 今日も一緒に寝る?」

「うん……。一緒に寝る!」

「いいよ」


 りおくんは私に面倒臭いとか言わない、絶対面倒臭いはずなのに……ずっと私に優しくしてくれた。


 その感情は間違いなく、「恋」だった。

 そしてお母さんのことを思い出してしまう。


「お母さん、何してんの?」

「あいちゃん? 眠れないの?」

「うん……」


 お父さんが家を出た後、お母さんはずっと一人で恋愛ドラマを見ていた。

 そのドラマは恋をする男女の話だったけど、キスとか、それ以上のことをするシーンもあって顔が真っ赤になってしまう。

 そういうのは初めてだった……。


「あら、恥ずかしいの? 確かに、あいちゃんにはまだ早いかもしれないね」

「えっ? そうなの?」

「いつかあいちゃんに好きな人ができたら、できるかもしれないよ?」

「好きな人……」

「そうだよ。りおくんはどう……? いつもあいちゃんの面倒を見てくれるし、優しいし、いい男になりそうだけど?」

「りおくん……」

「ふふっ、まだ小学生のあいちゃんに恋愛は早いよね。まだまだチャンスあるから、急がなくてもいいよ」

「うん……」


 今更だけど……、お母さんはドラマを見てつらい現実から逃げようとしたかもしれない。


「…………」


 大切な人……。


 ……


「あい? そういえば、誕生日なのに……外に出ないのか?」

「ううん……。寒いからりおくんとくっつきたい」

「うん……」


 りおくんのことを意識する。

 私たちは当たり前のようにくっついて、映画を見ていた。そう、これは当たり前のことなのに……。お母さんと話した後、りおくんとくっつくたびに心臓がドキドキしてしまう。二人は一緒にご飯を食べて、一緒に勉強をして、一緒にお風呂に入って、一緒に寝る……。そんな日常を繰り返していた私はその気持ちを本物の「恋」だと、認めた。


 本当に好きだったから、りおくんは私を捨てたりしない。

 だから、認めるしかなかった……。


「ううっ……♡」

「ど、どうした? あい……? ちょっと、力入れすぎぃ……!」

「えっ! な、なんでもない! りおくんが私のそばにいてくれて、それがすごく嬉しくて……。つい……」

「なんだよ……。当たり前だろ? 約束したじゃん。ずっとそばにいてあげるって」


 そう、約束……したから……。約束……したよね。

 私はドキドキする自分の気持ちを隠すために、またりおくんを抱きしめた。同じ匂いがするりおくんがすっごく好きで、ぎゅっと抱きしめたまま離れたくなかった。好きで好きでたまらない、りおくんの鼓動が感じられる……。そして、私もドキドキしている。


「…………好きぃ」

「好きだよ。あい……」

「き……き……!」

「ん?」

「な、なんでもない!」


 キス…………急に恥ずかしくなる……。


「あい、大丈夫?」

「うん……。りおくんのこと好きだから……!」

「俺もあいのこと、好きだよ?」

「うん……! あのね、りおくん。今日も私のそばにいてくれるよね?」

「当たり前だろ? そのためにここにいるんだから」

「ひひっ……♡」


 この雰囲気だったかもしれない。

 ドラマの主演たちがこの雰囲気で……、キスをしたから……。


「…………」


 私も、やりたい……!

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