54 今の二人②

 要するに、ずっと一緒にいてくれたお父さんが浮気したってこと。

 まだ小学生だったから、それはトラウマになるはず……。確かに、俺も引っ越す前まで霞沢のお父さんと会ったことない気がする。いつも霞沢さんに「あいちゃんのことよろしく」って言われたから、まさか……自分の子供を捨てるなんて。


 あり得ない、最低だな。


「…………そんなことあったのか? だから、幼い頃に俺と距離を置いてたんだ」

「うん。なるべく、大切な人作りたくなかったから……。あの時、お母さんはずっと泣いていたよ。私はお父さんが自分の荷物を持って行く時まで知らなかった。それを知ったのはお母さんが北川さんと電話をする時だったよ……」

「そうだったのか……」

「そしてりおくんが水瀬とくっついてるのを見た時……、お父さんのことを思い出したてしまったから……。また私の大切な人は私の前で消えるんだ……とそう思ってたよ。地面に座り込んで、私何もできなかった。二度と見たくなかったから……、息が止まるような気がして、すっごく苦しかったよ……」

「…………いや、それは……」

「うん、知ってる……。水瀬の……いや、西崎の仕業だったことは聞いたから」

「マジかよ……」


 直人はどうしてそんなことまでやろうとしたんだ……?

 お前とはずっと友達だったけど、分からない……。じゃあ、あの日水瀬が俺に告白をしたのも全部直人の考えだったってわけ? 中学時代、お前は霞沢のことをちょろい女って言ったくせに、どうして今まで付き合ってるんだ……? どうして、彼女のために努力をしようとしたんだ……? それも不思議だった。


「私ね。あの日から何もできなくて、ずっと部屋に引きこもってたよ……。また大切な人に捨てられちゃったと勝手に誤解して……、ずっと泣いてた。そして、いまだに忘れられないこと。あの時の西崎は私にこう話した……」

「なんって?」

「りおは最初からあの子が好きだったんだ……と」

「それを信じたのか……?」

「あの時の私は西崎を疑わなかった。疑う前に……心が壊れてしまったから……。一人になるのは嫌だった。一人になるのは怖い……。そしてりおくんが私以外の女の子と一緒にいるのが一番嫌だったよ……」

「…………」

「頭が真っ白になって何もできなかった。私が変な感触に気づいた時は、西崎にキスをされた後……。私の体を壁に押し付けて、私にキスしたよ……。やったことは事実だから否定しない……、りおくんが見たのはそれだよ」

「…………そっか」


 もし俺たちがあの時……話をしたら、きっとこんな誤解など……。


「…………つらかった……。俺、死にたかった……。あの時、あいが俺の連絡を無視したから何もできなくて……」

「それは違う、りおくん! 水瀬に聞く前まで私も全然知らなかったよ。だって……私も電話したのに……。りおくん、私の連絡を全部無視したから……。だから、やっぱり捨てられたんだ……と思って……」

「なんだよ。どうして二人の状況が一緒なんだ……?」

「これも西崎の仕業……」

「そっか……、直人か」

「うん……」

「うん……。俺さ、あの日あいに告白をしようとした。あの時はそれしか考えていなかったから……、もっと早く言うべきだった……」

「うん……。そして私が西崎と付き合ったのは……りおくんが嫉妬してほしかったからだよ。何も言ってくれないし、どんどん私と距離を置いていたから……後悔させたかった。でも、もうそんな関係はいらない。私は水瀬に聞いたから、もういい。何年間も続いていた直人の嘘は……、終わりよ」


 そう言った霞沢が自分のスマホを俺に見せてくれた。


「…………」


 そこには「もうやめる」と、霞沢が送ったラ〇ンが既読の状態になっていた。

 そして直人の数多い返事に、霞沢は返事しないまま放置した。今まで俺が聞いたのは一体なんなんだ……? お前、そんなに自慢してたくせに……こんな結末で終わるのか? そこにいた時も、そしてゲームをする時も、お前は一体何がしたいんだ?


 信じられない、あんな人が俺の友達だったのか……?


『どうしてだ。あいちゃん、俺は別れたくない』

『好きだよ? 本当だよ?』

『分かった。俺がちゃんと言うから……りおに』

『あいちゃん、返事して』

『返事して』

『返事して!!』


 醜いな、直人……。


「もうちょっと勇気を出して、私の方から声をかけたら……きっと私たちこうならなかったはず……。でも、私はそうしなかった。ずっとトラウマに囚われて、チャンスはいくらでもあったはずなのにね……」


 直人が残したそのキスマークを見るたび、胸が苦しくなる。

 俺はあんなやつのせいで……、霞沢を……。


「りおくんが記憶喪失だったことに気づいた時、すっごく悲しくて……なんでもするつもりだったよ。でも……、私がどれだけ頑張ってもりおくんはあの時のことを思い出せなかった」

「確かに……」

「私ね。ずっと西崎に自分がなんとかするとか、そんなことばかり言われて……。弄ばられたよ。最初から全部知ってたくせに、私がどれだけ苦しんでいたのかもそばで見てたくせに……」


 うわ……、汚ねぇことをずっとやってたのか。


「私もバカじゃないから、西崎が体の関係を求めていたことくらいは知ってる。可哀想な人……」

「…………」

「念の為に言っておくけど……、私のファーストキスはりおくんで……。西崎とはあんなことやってないからね」

「あっ、そ、そっか……。あ、あ、うん……」

「首のこれは水瀬の話を聞いた後、西崎が本当にりおくんや私のことを心配しているのか、試してみたかったから……。でも、西崎は最後までクズでどうしようもない人だった。欲しいのはあの時も今も私の体、それだけだよ。つけるのを許したのは私のせい、それとキスについては何も言えない」

「そっか……。俺たち、お互いのことを誤解していたのか。あい」


 なんだ。このバカみたいな状況は……。


「…………」


 ぼとぼと……、霞沢の涙が膝に落ちる。


「何も知らなかったよ。誰も私に教えてくれなかったから、私は何も知らないまま一人でここまで来たよ……。りおくん、私ちゃんと頑張ってたから……。そして、ごめんね」

「うん。よくやった。あい……」

「ごめんね……。最初からあんな人を信じるんじゃなかった……。一人でずっと寂しかった……」


 俺は彼女の涙を拭いてあげた。


「あ、ありがと……」


 うん? 今……。


「ちょ、ちょっと待って。あい、手首のそれはなんだ……?」


 なんで手首に変な痕が残ってるんだ……?

 あれ……? こんな痕、前にはなかったような……。


「これ……? ああ……、西崎にキスをされた時とキスマークの数だけ……。自分にちょっとだけ罰を……」


 え?


「…………まさか、隠していたのか? ずっと……」

「外に出る時は……メイクでカバーするからいいよ。愚かな選択をした私が悪いんだから……、今更こんなことを言っても無駄って知ってるけど…………」

「もう、こんなことやめて……。俺、あいのこと好きだから……自分を傷つけるようなことはもうしないって俺と約束してくれない?」


 バカなことを……。


「…………うっ、私がそんなことをしてもいいの……? そんな約束をしても、してもいいの……? 本当に……いいの?」


 俺には霞沢しかいない。

 何があっても……霞沢のそばにいるって約束をした。

 俺はその約束を絶対守るから……。


「うん……。だって、俺……ずっとあいのこと好きだったから」


 あ、涙が止まらない。

 それは霞沢も一緒だった。


「うん。私もりおくんのこと好きだから……、そして西崎に騙されてごめんね」

「泣くなよ……。バカ」

「ごめんね……」


 お前さえいなければ、こんなことにならなかったはず……。

 お前さえ……、直人……。

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