52 大切なこと

 これは私がりおくんと出会う前の話、なるべく思い出したくない昔の話……。

 今ならあんな人どうでもいいってはっきりと言えるけど、あの時の私はそうできなかった。だから、一人でずっと考えていた。長い間、そのトラウマに囚われてずっと苦しんでいたから……。どうして、私にそんなことを言ったの……? その言葉の意味はいまだによく分からない、覚えているのは扉を開けるあの人の後ろ姿だけ。


 誰かに捨てられたのはあの時が初めだった。


 小学生の頃、私はいつも家でお父さんと遊んでいた。

 お母さんはあの時も忙しかったから、そんなお母さんの代わりに家で仕事をするお父さんとほとんどの時間を過ごしていた。


「お父さん……!」

「おっ、あいちゃん〜」

「お父さん、肩車! あっ、お父さん仕事あるよね……?」

「仕事〜? そんなことよりあいちゃんと遊びたい!! 行こう!」

「わーい!」

「ぶ〜ん」


 お父さんは優しかった……。

 仕事で忙しいはずなのに、私が言うことならなんでも聞いてくれたから……。私はそんなお父さんが大好きだった。料理も上手で、たまには都会に行ってショッピングをしたり、映画を見たりするから……その時間を忘れられない。そして、お父さんは友達も多かった。都会に行くとお父さんの友達が「あいちゃんだ!」と言いながら私に美味しいお菓子や可愛いぬいぐるみなどをたくさん買ってくれた。


「帰ろうか? あいちゃん」

「うん!」

「あいちゃん、人気者だね〜。プレゼントいっぱいもらって」

「へへ……、お父さんがすごい人だからだよ。美味しいものがたくさん! そしてぬいぐるみもたくさん……!」

「そうだ。これ、お母さんには内緒だよ?」

「どうして……?」

「お母さん、あんまり好きじゃないからね……。こんなこと」

「うん!」

「じゃあ、帰る前に! 美味しいもの食べよう! 何食べたい? あいちゃん」

「私……! ハンバーグ!」

「行こう!!」


 本当に幸せだった。

 お父さんと遊ぶのも好きだけど、やはりお母さんも一緒にいてほしかった。家族で遊んだことないから、たまにはお母さんのことを思い出してしまう。でも、仕事で忙しい人にそんなことを言うのも迷惑だから……、毎日「おかえり!」と言うだけだった。いつか、一緒に出かける日を待ちながら……。


 そして、もう我慢できなくなった私は家族でどっかに行きたかった。

 テレビに出る家族がとても幸せそうに見えたから……、あの時の私はそんな家族が欲しかった。私も家族とたくさんの思い出を作りたい、それが普通だと思っていた。ずっとそんなことばかり見ていたから……。


「ねえ、お父さん……」

「うん?」

「私、三人で遊園地行きたい……」

「うん……。それはいいけど、お母さん忙しいからね。一応、聞いてみるから」

「うん!」


 お父さんはそう言いながら私の頭を撫でてくれた。

 別に期待なんかしてなかったけど、それでもお父さんは笑みを浮かべながら優しく話してくれた。お母さんは私にそう言ってくれないから……、多分お父さんのその顔が見たかったかもしれない。


 お父さんはずっと私のそばにいてくれた人……。

 宿題しながら仕事をするお父さんをちらっと見たり、仕事が終わるまで本を読んだりして、遊んでくれるのを待っていた。そして隣にりおくんが住んでいるのも知っていたけど、それよりお父さんと過ごす時間がもっと楽しかったから気にしなかった。


 お父さんはずっとそこにいたから……。


「あいちゃんは好きな人いる? でも、まだ小学生だし……。ないかな……」

「好きな人……」

「まだ分からないよね? 好きって感情」

「ううん……。うん! でも、大切な人はいるよ!」

「へえ……、同じ学校の?」

「ううん。お父さんだよ!」

「へえ……、嬉しい〜」

「やっぱり……私! お父さんみたいな人と付き合いたい!」

「ええ! そうなんだ……」

「優しくて、いつも私のそばにいてくれる人! そして何があっても私のことを大切にしてくれる人! そんな人と付き合いたい!」

「へえ……、あいちゃんならきっとできると思うよ。あいちゃんのことを大切にしてくれる彼氏」

「うん!!」


 お父さんと二人で外を歩いていた。

 いつもの話をしながら……、美味しいものを食べたり、遊び場で遊んだりして……楽しい時間を過ごす。でも、やはり家族で遊びたい……。テレビに出る家族みたいに私もそんなことがやりたかった。


 だから、あの夜はお母さんが帰ってくるまでずっと玄関で待つことにした。


「ただいま……」

「お母さん!」

「あいちゃん〜。ごめんね。いつも仕事で……」

「ううん……。あのね! 私、来週……家族で遊園地行きたい!」

「ううん……。そういえば、そろそろゴールデンウィークだし……。宿泊できるテーマパークとか探してみようかな? 行きたいよね? あいちゃん」

「うん! 行きたい!」

「分かった。時間遅いのに、あいちゃん眠れないの?」

「お母さんを待ってたからね! 平気!」

「嬉しいね……。お父さんは?」

「さっきまで仕事してて、今は寝てる!」

「うん……。あいちゃんも寝よう。テーマパークのことはお母さんがお父さんと話してみるからね」

「約束だよ?」

「うん。約束」


 もちろん、あの日は寝られなかった。

 家族で何かをするのは初めてだったから……、布団の中でドキドキする気持ちを抑えていた。


「テーマパーク……。ひひっ」


 でも、あの時の私はまだ知らなかった。

 この後……何が起こるのかを。

 今更後悔しても何も変わらないのに……、あの時の私は捨てられた理由すら聞けなかった。

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