50 弱虫りお⑤

 周りが騒がしい……、そして俺の名前を呼ぶ女の子の声が聞こえた。

 声も出ないし、体も動かない……本当にやばいな。

 愚かな選択だった。死ぬのは怖いのに、どこからそんな勇気が出たんだ……。それにずっと聞こえる誰かの声。俺は意識を失う前に、ちょっとだけ……声が聞こえる方向を見ていた。


「北川くん……! 北川くん! 死なないで……、死なないで…………」


 俺はあの人が霞沢だと思っていた……。

 いや、そう願っていたかもしれない。実際、そこにいたのは霞沢ではなく、水瀬吉乃だった。思い出した……。なぜそこにいたのかは分からないけど、俺が水瀬の顔を覚えたのはあの時だった。彼女は泣きながらずっと俺の名前を呼んでいた。


「北川くん…………」


 どうせ、俺には何も残ってないから……。

 どうでもいい、そんなこと。


「北川くん……! ダメ……、ダメだよ!! あああああ……!!!! 私は……一体、何を……。北川くん……。北川くん……」


 その後は……病室で目が覚めた。


「…………っ」


 深夜の三時、遅い時間なのに……お母さんは俺のそばで寝ていた。

 そしてテーブルには夜更かしのためのエナジードリンクがたくさん置いていて、数日が経ったのを実感する。声はすぐ出てこなかったから、しばらくそのままじっとしていた。白い天井を見つめながら、俺はどうしてここにいるのか、なぜこんなことになっちゃったのかを……一人で考えてみる。でも、思い出せなかった。


 俺はどうしてここにいるんだ……? 分からない。


「……お、かあ、さぁん…………」

「り、りおくん……? りおくん!」

「お、れ……。どうして…、ど、うして……。ここ……に?」

「りおくん……。お母さん、怖かったよ……。なんで、なんで…………」

「…………」


 何も思い出せなかったから、震えている手でお母さんの涙を拭いてあげた。


「な、かないで……。おかあ、さん……」

「うん……。りおくん、ここにいるから……。お母さん、ここにいるから……」

「うん……」


 あの時のお母さんは俺に何が起こったのかを教えてくれなかった。

 俺もそんなこと気にしていなかったと思う。

 何も思い出せなかったから、あえてそれを聞く必要もなかった。


「…………」


 そして時間がけっこうかかっちゃったけど、回復した俺はすぐ学校に戻ってきた。

 俺はいつもと同じ日常が俺を持っていると思っていたけど、前とは違う空気に気づいてしまう。それははっきりと言えない何かだった。


「あれ? 直人とあいじゃん……。二人、何してんの?」

「…………」

「あれ……? どうした?」

「…………お、おはよう。北川くん……」

「…………えっ?」


 いきなり、苗字……?


「よっ! りお、俺彼女できたぞ!」

「お、おめでとう。直人……」


 なんか、変だった。

 なんか……、変だった……。


「…………」

「ありがと、りお。俺たちは親友だよな?」

「う、うん……」


 俺と霞沢はだたの幼馴染だから、ただの友達だから……。

 俺は直人と手を繋いでいる霞沢に何も言えなかった。

 何かを言う権利もなかった。


「行こうか、あいちゃん」

「うん……」


 心が苦しい。


 あ、死にたい。


 ……


「…………」


 涙が頬を伝う。


 くっそ、くっそ、くっそ、くっそ、くっそ!!!!!

 実は思い出したくなかった……。

 ずっとあの時の真実から目を逸らして、立ち向かおうとしなかった。怖いから。


 でも、全部思い出してしまった……。


「ああああ……。くっそがぁ……。直人、お前に……あいと付き合う資格なんかねぇよ。直人……直人……。直人!!!!!!」


 頭が痛い、痛すぎて……息ができない。

 誰か、俺を助けてくれ……。

 会いたい……、あいに会いたい…………今すぐ。


「ああああ……。直人……お前はずっと友達ごっこをしていたのか……? なんのために……? そんなことをして、お前になんの得があるんだ……?」


 俺は自分の感情をずっと押し殺していた……。

 そして選ぶしかなかった。霞沢は直人の彼女だったから、俺は自分の感情が二人の邪魔をするかもしれないと思って、その場から逃げてしまった。直人にあれを聞いてからすぐお母さんに「都会に行く」って答えた。俺が二人の前で消えるのが二人のためだったから、そんな状況で二人と友達関係を維持するのは無理だった。


「そうだ……」


 そんな馬鹿馬鹿しい選択をしたんだ……。

 俺は……。


「…………」


 昔からずっと好きだった人。

 昔からずっとそばにいた人。

 昔からずっと大切だった人。

 

 だから、全部思い出した今……霞沢に電話をかけた。

 あの時、伝えられなかった言葉を……今伝えたかった。


「も、もしもし……? りおくん……?」

「あい……、あい…………」

「えっ……? りおくん、泣いてるの……? 何かあった? りおくん?」

「一つだけ……聞いてみてもいい?」

「うん……」

「あいは……本当に直人のことが好きなのか……?」

「…………」


 唇が震えていた。


「俺さ、文化祭で中学時代の小林と話して……、お母さんとわけ分からないことを話して……、そして思い出した……。あの時……、どうして俺がそうなってしまったのかを……すべて……。だから、ちゃんと答えてほしい。あい」

「私が好きだったのはあの時も今も……りおくんだよ。私には……りおくんしかいなかったのに……。あんな人、好きになるわけないでしょ……! なんで、私のことを忘れちゃったの? 私、ずっと……ずっと! 探してたよ!! りおくんが私に何も言ってくれないから……、西崎のそばでその理由を聞くしかなかった……」

「…………」

「西崎はずっとりおくんが私のことを捨てたって言ったから……。そして高校生になるまで私はずっと一人だったよ……。りおくんが転校した後は誰も私と話そうとしなかった。私、高校では……人の彼氏を奪ったクソ女になって……。頼れる人がいなくて……、りおくんに何度も電話をかけたのに……!! 全部無視されたよ。どうして私と距離を置いたの? 一年間、私のことを友達扱いして……。何も知らないって顔をして……」


 霞沢は震える声で話した。


「なんの話をしてるんだ! 俺はずっとあいに電話をした。話がしたかったのに、無視したのはあいの方だろ!」

「私そんなこと知らない! 電話なんか来てない! ちゃんと覚えてるから!」

「なんで知らないって言うんだよ! 俺はあの時……苦しくて、苦しくて……」

「りおくんは自殺……しようとしてたの……?」

「えっ? どうして、それを……」

「嘘……。本当にあの子の話通りだ……。でも、なんで? 分からない……。どうしてこうなっちゃったの? 分からない」

「…………なんの話?」

「ねえ、りおくん」

「うん……」

「これが全部西崎の仕業だったら、りおくんはどうする……?」

「直人の……、仕業?」


 霞沢が言っていることは全然知らないことだった。

 高校一年生の時まで同じクラスだったのに……、俺はどうしてそれを思い出せないんだろう? いや、それは忘れたことではなく、本当に知らないことだった。中学三年生の時、俺は学校に戻って……二人が付き合ったのをこの目で確認した。その後は何があった? 直人とずっと、ゲームをやっていた……。そうだ。ゲームだった。


 あの時の俺は直人と友達だったけど、こんなに仲が良かったのかと疑問を抱いていた……。

 あいつが以前と違ったから。


「ねえ……、りおくん。私、今りおくんに会いたい。話したいこともたくさんある」

「…………」

「会いたい……。会いたい……、会いたいよ……。りおくん、私ずっと苦しかったから……」

「あい、今どこ……? そっち行くから……」


 どうして俺たちの関係がこうなってしまったんだ……?

 それだけはどうしても分からないことだった。

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