27 あの子の名前は霞沢あい②

「えっと……、あいちゃん。一つ、聞いてみてもいいかな?」

「うん!」

「二人はなんの遊びをしてるの……?」

「お姫様抱っこだよ!」


 休日。霞沢さんとうちのお母さんが食卓で話す時、俺はお姫様抱っこをしたまま家のあちこちを歩いていた。一応霞沢にやってほしいって言われたからやってあげたけど、男の俺にはよく分からない遊びだ。体が疲れるだけで、何の得もない。それでも霞沢の笑顔が好きだったから文句は言わなかった。それより女の子はこういうのが好きなのか……? 霞沢、ずっとニコニコしながら俺の方を見ている。


「…………」


 ひよこ様のおかげで仲良くなった俺たちは、ほぼ毎日くっついていた。

 当時の俺には「恋」という概念がなかったから、女の子とくっついていても別に気にしていなかった。ただ、霞沢のことを大切にしたかっただけ。それ以上のことは考えていない。それだけだった。


「あいちゃんはりおくんのこと好きなの?」


 そこで、お母さんのいたずらが始まる。


「はい! りおくんのこと大好きです!」


 負けずに堂々と答える霞沢、俺は少し慌てていた。


「りおくんはどう? あいちゃんのことどう思う?」

「えっ……? 霞沢のこと……」


 小学生の俺にそんなことを聞いても、別に……好きでもないし、嫌いでもない。

 それは答えづらいことだった。


「…………」

「りおくんはあいのこと嫌い……?」


 そばから横腹をつつく霞沢に、俺は適当に答えてしまった。


「えっ……。よくわ、分からないけど……」

「…………」


 そう答えた時、すぐ泣き出しそうな顔をして霞沢がどっかに行ってしまった。

 俺にどう思うって聞いても、ただの友達だったからそれ以上のことは一度も考えたことがない。普通はそうだろ……?

 俺たちは普通の幼馴染だったから———。


「りおくんはバカ」


 そしてお母さんに背中を叩かれた。


「えっ? 俺が悪いの?」

「そうだよ! これはりおくんが悪い! そういう時はね。あいちゃんのこと好きだよでしょ?」

「…………分からない、そんなの」


 くすくすと笑う霞沢さん。


 俺はお母さんに一言言われた後、すぐ二階にある俺の部屋に向かった。

 ずっとそこで遊んでいたからきっとそこにいるはず……、そして霞沢に何を言えばいいのかそれを悩みながら部屋の扉を開けた。


「か、霞沢……? いる?」

「いない!」

「いるじゃん……」

「なんで来たの?」

「えっと……、ごめん」

「別に怒ってないし……」

「そう?」

「ふん!」


 やっぱり怒ってんじゃん……。


「罰だから! 一緒に昼寝して!」

「えっ? 霞沢眠い?」

「ちょっとだけ……先からずっとあちこち歩いていたから……」

「でも、霞沢は全然歩いてない———」

「うるさい! 姫様の話に文句言わないで!」

「は、はい……」


 そして昼寝をする二人。


「…………うん。昼寝をするのはいいと思うけど……」


 抱き枕でもあるまいし、俺の体を抱きしめたまますやすやと寝る霞沢だった。

 最初は苦しかったけど、なぜかどんどん慣れてしまう。

 俺たちは毎週こうやって昼寝をした。そして帰るのが遅い霞沢さんに頼まれて、一緒に夕飯を食べたり寝たりする日も増える。そんな生活を続いていたからか、いつの間にか慣れてしまったと思う。俺のそばにはいつも霞沢がいた。


 ……


「起きて……あいちゃん」

「ううん……。お母さん……?」

「うん。お母さん、今日も仕事から帰るのが遅くなりそうだからね」

「うん……。今日も頑張って」

「うん。あいちゃんはりおくんと一緒に寝るよね?」

「うん……」

「分かった。じゃあ、お母さん行ってくるから」

「いってらっしゃい……」


 その話をこっそり聞いていた。

 当時の俺は霞沢が起きる前まで起きないことにしたから、いつも彼女のそばで寝たふりをする。なぜだろう。よく覚えていない。


「ううん……もうちょっと寝たい……」


 そう言ってから、さりげなく俺の体を抱きしめる霞沢。

 くっつきすぎ……と言いたかったけど、そんなことを言ったらきっと霞沢すぐ泣いてしまうから俺は言えなかった。もし今が冬だったらどうでもいいことだけど、真夏にくっつくのは苦しすぎる。霞沢は暑くないのか……? 多分、その疑問をずっと抱いていたと思う。


「りおくん! 汗だらけじゃん。暑くなかったの? あ、あいちゃんも……?」

「はい……? 暑いです」

「うん。暑い……」

「じゃあ、お母さんお風呂の準備をするからちょっと待ってて」

「はい〜」

「うん……」


 昼寝の後は一緒にお風呂、裸になった二人が体を洗っている。


「りおくん! これ見て!」


 シャンプーの泡で猫耳を作る霞沢に、俺もその真似をしてみた。


「どう!」

「りおくん、可愛い! ふふっ」

「なんか、楽しいね」

「ねえ! りおくん。私、お風呂入りたい!」


 そう言ってからすぐ立ち上がる霞沢、その髪の毛についていた泡が俺の目に入ってしまう。

 テンション高すぎ……。


「ちょ、ちょっと! まだ体洗ってないから!」

「むっ! じゃあ、早くしてよ!」

「えっ! 自分の体は自分が洗ってもいいじゃん! 子供じゃあるまいし!」

「姫様の命令だよ! 早く綺麗にして!」

「…………霞沢……」

「入りたいから早くぅー!!」


 なぜか女の子の体を拭いてあげる状況になってしまったけど、素直に受け入れるしかなかった。

 何を言っても霞沢は聞いてくれないから……。


「ふん♪ ふん♪ ふん♪ あちこち! ちゃんと!」

「やかましい! 霞沢……」

「えへへ」


 なんか、俺だけが疲れてしまったような……。


「ねえ、りおくん」

「うん……?」

「りおくんはどうして私のことあいって呼んでくれないの?」


 お風呂に入る二人、首を傾げる霞沢がこっちを見ていた。


「えっ……それは……」

「私のことあいって呼んでほしいけど……、私たち……幼馴染だし。それからけっこう時間も経ったし……」

「霞沢はその呼び方が好きなの?」

「うん……」

「じゃあ、そうする。あい」

「うん! りおくん!」


 下の名前で呼ぶのがそんなに嬉しいのか?

 ただ「あい」って呼んだだけなのに、霞沢の目がキラキラしていた。


「へへっ……、すっごく嬉しいよ! ぎゅっとしてぇ〜」

「近すぎ、あっち行ってよ!! あい!」

「私はりおくんのそばが好きだもん! それにりおくんは初めて出会った時からずっと私のそばにいてくれたじゃん……。私もりおくんのそばにいたいー!」

「それは家で遊ぶ時! 今は風呂の中! 状況が違う!」

「一緒だもん!」

「違うって!」

「一緒だもん!!」


 負けた。


「…………はい」

「ふふっ、私強い! 姫様強い!」

「…………」


 そうやって、裸の二人は風呂の中でくっつく。

 人見知りだった霞沢は一体どこに行ったんだろう……。


「ううん〜。あたたか〜い!」

「うるさいよ……。あい!」

「ひひっ」

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