21 突然の来客②

 まさか、こんな状況で井原に告られるとは……。

 そして涙を流しながら俺の手首を掴む井原に、俺もどうしたらいいのか分からなくなる。こんなこと初めてだから、すごく慌てていた。別に井原のことが嫌いとかじゃないけど、俺たち……そういう関係にはなれないからな。彼女に告られたのはすごく嬉しいけど、俺にはまだ時間が必要だった。


 それを受け入れるには、まだいくつか足りないことがある。

 もちろん、俺のこと。


「井原……、泣くなぁ……」

「でも……、でもぉ…………」

「なんで、俺なんだ? 他にいい人多いだろ? 学校に……」

「北川くんじゃなきゃダメ……」


 そしていつの間にか足の間に井原が座っていた。

 でも、膝に落ちる井原の涙を先に拭いてあげないと……このままじゃどうにもならない。いきなり告白して、いきなり泣き出して、そんなに俺のことが好きなのか? 泣くほど……誰かが好きになるのは本当に不思議だった。少なくとも俺はそう思っていた。


「泣くなよ。高校生だろ? 井原……」

「うっ……。だって……」

「はいはい……。てか、友達の涙を拭いてあげるのは何年ぶりだろう。本当に、いばらっ———」


 持っていたハンカチを床に落とすりお。

 京子が彼の体を抱きしめた。


「い、井原……? どうした……?」

「早く答えてよ……」

「いや……、それは……まだ時間が必要だと思う。俺さ……」

「じゃあ、北川くんはあいちゃんのことが好きなの? 西崎くんの知らないところでキスをするほど……好きなの?」

「…………」


 その話には答えられなかった……。

 どうして答えられないのかは俺にもよく分からない。言い訳が思いつかないから? それに井原もけっこう可愛いと思うけど、俺はどうしてダメだと思うんだろう。やはり、思い出せない記憶の中に……手がかりがあるみたいだ。


 今の俺じゃ、何もできない。


「どうして……、何も言ってくれないの?」

「井原、それは……」

「西崎くんの知らないところであんなことをして……、卑怯だと思わないの……?」

「ごめん……」

「それ、西崎くんは知らないんでしょ?」

「うん。多分……」


 何を言っても井原が見たあの状況は変わらない。

 事実は事実だから、俺は彼女の前で「ごめん」と言うだけだった。


「……私もしたい」

「……えっ?」

「あいちゃんだけじゃなくて、私にもして……。キス」

「なんで……? そんなことを?」

「私のこと好きになってほしい。なんでもするから……、あいちゃんじゃなくて……私を見て。私すっごくドキドキしてるから……。伝わるよね? 北川くんに私の鼓動ちゃんと……伝わるよね?」


 井原にずっと抱きしめられていたから、いろいろやばいところに触れている。

 確かに集中してみると……ドキドキするのが感じられるけど、そろそろ離れてほしい……。俺は弱いから、誰かを傷つけるのが怖い。だから、はっきりと言えない時も多いし、今みたいな状況にも俺はどうすればいいのか全然分からなかった。


「うん……」

「私にもして……」

「井原……」

「私じゃダメ? ダメなの? 私、あいちゃんみたいな美人じゃないからダメ?」

「そういう話じゃない」

「じゃあ、どうして私にはキスしてくれないの? あいちゃんもなのに、キスしたよね? そこで、二人っきりで、キスしたよね! 私もしたい!」

「…………それは」

「北川くんは嘘ばっかり———」

「うっ……! いっ、いば……ら…………」


 何が井原を刺激したんだろう……?

 気づいた時はもう首を噛まれた後だった。

 井原は犬か……?


「…………はあ」


 いきなり噛まれた俺はすぐ倒れてしまう。

 まさか、こんなことになるなんて……油断した俺のせいだ。


「ちゃんと……見えるところにつけてあげたよ。北川くん……」

「な、何を……?」


 スマホで写真を撮る井原が、その写真を俺に見せてくれた。

 そこには真っ赤な噛み跡とともに赤いあざっていうか……、すぐ消えないように見える傷ができてしまった。


 初めて見たこの傷痕。

 痛いのもあるけど、なぜか……変な気分になる。


「どうして、こんなことをするんだ? 井原……」

「分からない。じゃあ、今度は北川くんがやってくれない……? 私のこと、好きにしていいよ……」

「そ、そんなことするわけないだろ……」

「誰にも言わないから、好きにしてもいい。西崎くんと友達になったあの日から、私はずっと自分の気持ちを隠せなかったよ……。それは北川くんと仲良くなるチャンスだったから、最後のチャンスかもしれないと思っていたから……」


 体をくっつける井原が震えていた。


「…………」


 あれ……? 俺、この状況をどっかで……。

 そしてこの感情も……。


「北川くん……?」


 俺は……どっかでこれと同じことを……。

 いや、なんで思い出せないんだ?

 ちゃんとそれを覚えているはず、それは……、それは…………。


「北川くん!」

「あっ! い、井原……」

「やはり……北川くんの中にはあいちゃんがいるんだ……。どれだけ頑張っても、私はあいちゃんに勝てないのに……」

「…………」

「教えてよ。どうして、あいちゃんなの? 理由……あるんでしょ? 北川くん」


 理由……、霞沢じゃないといけない理由……。

 そんなこと……俺は覚えていない。


「思い出せないの? 前に言った通り言いたくないじゃなくて、思い出せないから言えないってこと?」

「うん……」

「…………」

「だから、今はこのままでいいと思う。思い出せないのを無理やり思い出そうとしても……結果は同じだから」

「はあ……」


 そして井原が俺に抱きつく。


「私は……北川くんが好き。それだけはずっと変わらない。ずっとね……」

「…………うん」

「今は言わなくてもいい、私もこのままでいいから…………ごめんね」

「井原……」

「勝手なことして、ごめんね……」

「…………」


 啜り泣く井原の声が聞こえたけど、俺に言えるのは何もなかった。

 ただ、その背中を撫でてあげるだけ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る