17 体育祭⑤

 静かに直人のリレーを見ていた。

 その速いスピードから感じられる圧倒的な実力差はあの頃のままだった。それを見せる直人に周りの人たちがだんだん盛り上がっている。直人はずっとそうだった。誰もが羨ましがる漫画の主人公みたいな人生。転校してきたばかりなのに、すぐたくさんの友達を作って薔薇色の学校生活を楽しんでいた。


「いいな……」


 俺にもそういう時期があったような気がするけど、もう昔のことだからな。

 そろそろ体育祭も終わっていく、残ったのはどっちが勝ったのかそれを発表するだけだ。今年の体育祭は俺なりに頑張ったと思うけど、やはりあれがずっと俺を苦しめていた。珍しくクラスメイトたちと話しても、一緒に応援をしても、心のモヤモヤは消えないままそこに残っている。


 だから、しばらく席を外そうとした。


「どこ行くの?」

「…………」


 霞沢の話を無視して、すぐトイレに向かう。


「はあ……」


 鏡に映る自分の姿を見ていた。

 これが終わると、うちで打ち上げパーティーをすることになる。何も起こらない、何も起こらないって知ってるのに、どうして俺は不安を感じるんだろう……? 井原と仲良くなって、二人三脚も勝って……、それでどうにかなれると思ってたのに。やはりダメだったのかな。


 それは簡単に消せないもの———。

 冷静を取り戻し、顔を洗ってトイレを出ると、俺を待っている霞沢が笑みを浮かべていた。


「霞沢……、直人は?」

「今頃……みんなに囲まれて英雄扱いされてるかも。リレーに勝って結局直人くんのクラスが勝っちゃったからね」

「そっか……。じゃあ、どうしてここにきたんだ? 俺に何か用でもある?」

「ふーん。トイレの前じゃ目立つから、場所を変えよう」

「…………」


 ここは……井原が言ってたあの場所じゃないのか?

 確かに体育祭が終わった後……、ここで会う約束をしたよな。

 でも、まだ時間あるし。いっか。


「それで? どうした? かすみっ———!」


 あれ……? 俺はどうして地面に倒れてるんだろう。


「今日は長かったよね……?」

「そ、そっか……? 俺は普通だと思うけど……」

「私体育祭は好きだよ。みんな頑張って、盛り上がって、まるで青春って感じだからすごく好き」

「う、うん……」

「ねえ、ゴールで私のことをあいって呼んでくれた時……。私、あの時のことを思い出してすっごく……ドキドキしたよ。りおくんは知ってる?」

「そ、それは俺が悪かった。霞沢のことをそう呼んではいけないって知ってたのに、嬉しくてつい出てしまったことだから……。ごめん、それに他の意味はないから無視して」

「…………」

「っ!」


 俺はちゃんと謝ったのに、どうしてこうなるんだ……?

 そのまま壁に押し付けられて、霞沢にキスをされる。


「うっ……! ちょ、ちょっと……何するんだ! 霞沢。ここは学校だぞ!」

「あい……って呼んでくれたから。私、我慢できなくて……。今……学校なんか、そんなのどうでもいい。誰も来ないから、どうでもいいよ!!」

「…………」


 どうせ誰も来ないから、こんなことをしてもいいってことか。

 まずい……。まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい。


「もうちょっと……気持ちいいことをしよう。りおくん……」


 ……


 一方。体育祭が終わった後の京子は約束の時間より少し早くあの場所に向かっていた。


「私、できる! 今日は勇気を出して北川くんに告白しよう……! あの時は言えなかったけど、今ならできる……! できる!」


 独り言を言いながら約束の場所に向かう京子。

 彼女は目の前の曲がり角で立ち止まった。


「えっ……? ど、どういうこと……?」


 そこで京子は、こっそりキスをしているりおとあいに気づいてしまう。

 唇を重ねて、お互いの体を抱きしめている。

 彼女には理解できない状況だった。


「…………」


 京子の、頬を伝う涙が、静かに地面に落ちる。


「…………ち、違う。わ、私は……私は……。これはどういうこと……?」


 京子は拭いても拭いても止まらない自分の涙に、すぐその場を離れてしまった。


「…………あっ!」

「どうした……? りおくん」


 誰かいたような。気がしたけど……。


「いや……、なんでもない。なんか……、やっぱりなんでもない」

「そう? じゃあ……、打ち上げパーティーまでまだ時間あるし。口開けて♡」

「…………」

「ひひっ♡」


 そ、そういえば……俺井原と会う約束をしてたよな。

 そろそろ……ここに来るかもしれない。


「はあ……」


 いや……、ちょっと待って……。

 先まであそこに誰かがいたような……。もしかして、井原だったり……?


「どうしたの? 先から……。私に集中してよ、りおくん……」

「いや、俺……体育祭が終わった後に誰かと会う約束をしたから……」

「…………そう? 誰と?」

「い、井原だけど……」

「ふーん。あっ、そういえばあっちに誰かがいたような……」

「はあ? 知ってたのに……、ずっとやってたのかよ!」

「うん。そうだけど?」

「どうしよう。あの人が井原だったら……」

「どうせ、あの人と話しても私たちがここでやったのはなかったことにできない。それでも、誤解だったって言うつもり?」

「…………」


 答えられない。その時、井原からラ○ンがきた。


 井原「ねえ! みんな待ってるから早くきて! 話はまた今度にしよう!」


「……誰?」

「俺……先に行くから……」

「りおくん?」


 そう言ってから、急いでその場を離れるりお。


「…………ごめんね……。もっと上手くできると思ってたのに……」


 りおとキスをした自分の唇を触りながら、独り言を言うあい。

 そのまま後ろの壁に寄りかかって、静かに空を眺めていた。


「…………」

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