12 あの日の夜はとても長かった

「はあ……」


 あの長いキスに、頭が真っ白になる……。

 それはあっという間だった。床に倒れて、主導権も完全に奪われて、彼女は今俺の体に乗っている。やらかした。本当にやらかしてしまった……。そして唇に残っているこの感触……、今の俺にできるのはこっちを見る霞沢から目を逸らすだけだった。


「はあ……。唇、拭いてあげるからじっとして……」


 俺は知っていたけど、止めなかった。

 今日あったことは絶対忘れられないんだろう。

 唇の感触も、触れた時の温もりも、そして霞沢の表情も……、俺はちゃんと覚えている。それがずっと頭から離れなかった……。


「どうして、私には何も言ってくれないの……? りおくんはずっとそうだったよ」

「…………」

「知りたいことばっかりだったあの頃も、りおくんは私から逃げた」

「知りたいこと……?」

「りおくんは井原と付き合うつもりなの?」

「どうして、霞沢がそんなことを聞くんだ……? 付き合うなんて、俺にはよく分からない。彼女とか、よく…分からない」

「すぐ前にいるのに、遠い……」


 わけ分からないことを言う霞沢に、俺は何を言えばいいんだ……?

 直人の彼女とキスをして、俺に言えることなど……。

 何もない。


「ねえ、約束してくれない? りおくん」

「な、何を……」

「私を離れないで……、今はそれだけでいいよ。それだけで……」

「話の意味が分からない。それで何が変わるんだ……? 離れても、離れなくても、ずっとそのままだろ? 俺たちの関係は……幼馴染のまま……」


 どうして、よく分からない感情が湧いてくるんだろう?

 それは言葉で上手く説明できない、そんな感情だった。俺は何かを、ずっと何かを忘れていたような気がする……。とても大切なことだったなのに……、それを心の奥に閉じ込めて開けようとしなかった。まるで、霧の中を彷徨ってるような気分。


「今は私と約束してくれない? うんって言うだけでいいよ」

「…………うん。分かった」


 もっと大事な何かがあったはずなのに……、それだけはどうしても思い出せなかった。

 俺はそれを覚えているはずなのに、何かが邪魔をしている。


「私、今からりおくんとキスをする……。嫌だったら、やらなくてもいいよ。先も、今も、私の意思でやってることだから……」

「…………」

「じゃあ……」

「…………」


 いっそ、君がここに来なかったら……みたいな馬鹿げたことを考えながら、俺はここで霞沢とキスをした。映画でしか見たことない「キス」という特別な行為……。これは恋人同士でやるべきことなのに、俺は十分くらい霞沢とくっついていた。


 痛い、痛すぎる。本当に……痛いよ。


「はあ……、りおくんの中は……温かくて気持ちいいよ。りおくんは……どう?」

「…………俺も……」

「ねえ、りおくんの心臓ドキドキしてるけど……」

「どうして、そんなことばかり言うんだ。霞沢……」

「私もドキドキしてるよ……? 伝わるかな? 私の鼓動」


 りおの体をぎゅっと抱きしめるあい。


「…………うん」

「嬉しい」


 それからまたキスをする。……霞沢は止まらなかった。


「…………」


 結局、何が言いたかったんだろう……?

 わけ分からないことばかり話して、霞沢はそのまま帰ってしまった。それも気になるけど……。俺は霞沢と話してる間に気づいてしまった心のモヤモヤがもっと知りたかった。それがずっと気になって仕方がない。


「…………」


 今夜は長い、俺は深夜の三時まで寝られなかった。


 ……


「あ」


 四時にはちゃんと寝るつもりだったけど、全然眠れなかった。

 もう朝だし、いっか。


 そして洗面所の鏡を見た俺は……、昨夜霞沢にキスされたことを思い出す。

 愚かなやつめ。どうして、そんな簡単なことさえできないんだ……。どうして、今霞沢とのキスが気持ちよかったと思ってるんだ……。俺がしっかりしないと……二人の関係を壊してしまうかもしれない。いや、それより……気持ちよかったと思っている自分が一番嫌いだった。


「…………はあ」


 朝ご飯も食べず、そのまま学校に向かう。

 あんなことがあったのに、俺は普通に学校に行けるんだ……。成長したな、りお。


「おはよう。りおくん!」


 そして横断歩道の向こうに、霞沢が立っていた。

 大きい声で挨拶をして、こっちを見て手を振っている。


「お、おはよう。霞沢」

「なんか、顔色悪いけど……。もしかして、寝られなかった?」

「…………」


 霞沢は平気なんだ。昨日、寝られなかったのは俺だけか……。

 馬鹿馬鹿しい。


「…………ふっ」


 そして俺に近づく霞沢が、耳元でこう囁いた。


「それ、私のせい……?」

「…………うるさい、夜遅くまでゲームしただけだ」

「ふふっ。そうなんだ……。朝ご飯はちゃんと食べたの? りおくん」

「いや、まだ……」

「私も朝ご飯はまだだからね。じゃあ、一緒にコンビニ行かない?」

「うん……」


 さりげなく俺の腕を抱きしめる霞沢は昨日のことを頭の中から削除したみたいだ。


「おっ! ここにチョコあるよ! チョコ食べたい」

「朝からお菓子はやめとけ」

「へへ、だよね……。ねえ、りおくんは何食べる?」

「適当にパンと牛乳かな」

「じゃあ、私もそれにするっ!」


 なんか、今日の霞沢……気分良さそうに見えるけど……?


「ああ、今日は天気がいいね〜」

「うん……」


 まあ、余計なことは言わないことにした。


「たまにこういうのもいいよね? りおくん」

「うん?」

「こうやってコンビニで何かを食べることよ」

「うん」

「ふふっ。あっ、それ! 一口ちょうだい〜」

「霞沢のもあるだろ!」

「いいじゃん〜。あーん」

「はあ……全く」


 そうやって、りおと一緒にパンを食べるあい。


「あま〜い!」


 そのタイミングで突然直人から電話がかかってきた。


「…………」


 スマホをマナーモードにしていたあいは、パンを食べながらこっそり電源を切る。

 そして何もなかったように、笑みを浮かべた。

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