9 井原京子②

「直人の発言については俺が代わりに謝る……。ごめん」

「ううん、もう気にしないから大丈夫。ちょっとショックだったけどね……」

「ごめん……」


 化学準備室の中、チャイムが鳴いても俺たちはずっとこの中で話を続けていた。

 それより、井原がずっと俺の手首を掴んでいる。

 もういいんじゃないのかなと思って、手を離してほしかったけど……。震えている井原の手を見て、その言葉が出てこなかった。直人のやつ、この話はそう簡単に言えることじゃねえんだよ……。


 それは相手を傷つけるかもしれない話だから……。


「私ね。北川くんとはあんまり話したことないけど、転校してきた時……仲良くなりたいなと思ってたんだ」

「えっ? 俺と? どうして……?」

「ちょっと自慢になっちゃうけど……、言ってもいいかな?」

「いいよ」

「私、けっこう可愛いから……。ずっと周りの人たちに変な目で見られたり、先輩たちに告られたりして、それがすっごく苦しかったよ。興味もない人たちが私にそんなことを言うから……」

「うん。てか、井原……俺ちょっと恥ずかしい」

「うん……。私も、今すっごく恥ずかしいよ……」

「ぷっ……」

「あははっ」


 確かに、そうだよな。

 俺も教室にいる時、周りのクラスメイトたちが井原のこと可愛いって言ってるのを聞いたから。そう、井原は小さくて可愛い女の子だ。普通の男なら井原のこと好きになるのが当然だと思うほど、可愛かった。それだけは否定できない。


「じゃあ、俺はあの人たちと違うってことかな……? 一緒だと思うけど」

「ううん……。その……、北川くんはそんなイメージじゃないっていうか……」

「うん? そんなイメージ?」

「しつこく付き纏ったりしなかったから、それにラ○ンの交換もしなかったし……」

「あっ、そっか! へえ……、それか。実は面倒臭いからぼーっとしていただけだけど、それは秘密にしておく」

「えっ? 言った後に秘密にするの?」

「確かに」

「あはははっ。優しくて、面白い人だね。北川くんは」

「そうかな? 女子とはあんまり話したことないから、優しいとか初めて聞いた」

「ふーん、そうなんだ。でも、ハンカチ持ってる男子ってあんまりいないから私には優しく見えるよ」

「あっ、それは幼馴染のせいで癖になっちゃっただけさ」

「へえ……」


 俺の周りに女子はずっと霞沢しかいなかったから、他の女子とこんな風に話したのは初めてだった。でも、距離感がおかしいのは井原も一緒だからちょっと怖い。それに先からずっと俺の手首を掴んでるし。話す時にもちゃんと目を合わせるから、どこに目をおいたらいいのか分からなくなる。


 井原には言えなかったけど、俺……けっこう疲れていた。


「喉渇いた。私たち、話しすぎたかな?」

「授業サボってずっと話していたからな」

「自販機行こう! ジュースおごるからね!」

「ありがとー」


 ……


 それより俺はよく知らない人といろいろ話して、今は一緒にジュースを飲んでるのか。まあ、これもいい経験になるんだろう。それに……ずっと前を見ていたからよく知らなかったけど、こうやって見ると井原って本当にちっちゃいな……。150センチくらいに見えるけど……。


「なんでこっちジロジロ見てんの……? 北川くんのエッチ……」

「いや、井原って小さいなと思って……」

「えっ? どこ見てんのよ! この変態! それに、私大きいから! 失礼だよ!」

「えっ?」

「えっ?」

「ごめん。なんか、ごめん……井原」


 勘違いしたことに気づく京子。


「あっ……。も、もしかして身長のことだったの……?」

「ごめん…………。身長って言うのをうっかりした。ごめん」

「…………えっ……」


 真っ赤になった顔でこっちを見る井原に、恥ずかしすぎてすぐ目を逸らしてしまった。それに緊張しすぎて何を飲んでるのか、味もよく分からない。恥ずっ……。


「ねえ、北川くん」

「うん」

「私たち、友達になれるかな……? 仲良くなりたいけど……」

「いいよ。友達なら」

「うん! じゃあ、ラ○ン交換しよう!」

「うん」


 おお……、あの二人以外の人とラ○ンを交換するなんて!

 友達が増えただけなのに、なんかレベルアップした感じだ。それに距離感はおかしいけど、井原もけっこういい子だし。くすくすと笑う井原が俺の名前を「変態くん」と打つ時、俺は彼女の横顔を見ていた。


「…………」


 いっそ、井原と付き合えばいいのにな……と。

 そんなことできるわけないって知ってるのに、ちょっとだけ馬鹿馬鹿しいことを考えてみた。


「そろそろ、戻ろう! 先生に怒られそうだよ……」

「自販機でゆっくりジュースを飲んだ井原がそんなことを言うのかよ〜」

「ええ〜。女の子を泣かせたくせに……文句言うの?」

「泣かせたことないんですけど……」

「変態くん〜。教室に戻りましょう〜」

「だから、変態じゃないって! 井原!」

「ひひっ」

「全く……」

 

 話しながら廊下を歩いている二人。

 そして、りおは前に落ちている掲示板の押しピンに気づく。


「ちょっと! 井原! 危ない!」

「えっ? あっ———!」


 それはあっという間に起こったこと。

 井原が押しピンを踏む寸前、つい彼女の腕を引っ張ってしまった。


「うっ……」

「いてて……、大丈夫? 井原、ごめん。押しピンが廊下に落ちてたから」

「だ、大丈夫。き、北川くんは……?」

「うん。平気」


 当然、倒れるしかないよな……。

 てか、どうして俺が井原を抱きしめてるんだろう……。これは事故だ。事故……。

 偶然だ…。あんなこと狙ってないからな。


「ご、ごめん……。は、早く行こう!」

「…………」


 両手で真っ赤になった顔を隠す京子。

 彼女の声が震えていた。


「う、うん!」


 ……


「何……してんの? あの二人……」


 教室に戻る二人、その後ろ姿をあいはずっと見つめていた。


「えっ? どうして……? どうして……? あの子と……」


 納得いかない表情をして、あいは廊下に座り込む。

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