4 雨と二人っきりの家

「直人と一緒に帰ったんじゃなかったのか……?」

「あ〜。直人くんね。家の方向が正反対だから……駅でさよならした後、すぐこっちに来ちゃったよ」


 どうして……とは聞けなかった。

 なぜか、その言葉が出てこない。


「…………」


 そして霞沢の話と同時に直人からラ○ンがきた。

 ビクッとしてすぐ内容を確認した俺は、ただのゲームの約束だったことにホッとする。タイミングが怖い……。それより俺は何もやってないのに、どうしてこんな罪悪感を感じるんだろう。まるで、変なことをやらかしたようなこの気分……。


 しっかりしろ! りお。


「何してんの? 誰?」

「あ……、直人。いつものゲームの約束」

「二人は本当に仲がいいね」

「まあ、引っ越してきた後はずっと直人とゲームばっかりやってたから。それより、二人は? 普段は何を…………」

「はくしょん……!」


 くしゃみ……。

 そういえばちょうどマンションの前に着いた時、雨が降ってきたよな……。

 来るんだったら連絡くらいは……。いやいや、そっちもおかしいだろ。たとえ、友達だとしても……二人っきりで何かをするのは直人に悪いんだから。あいつに疑われるようなことは避けたかった。もちろん、霞沢がうちに来た日……さりげなくその頭を撫でてしまったけど……寝てたし大丈夫だろう……。


「うう……」


 しかし、この状況は……まずいな。


「私……。ちょっと…さ、寒いかも……」

「だから……、なんでこっちに来たんだ……? そのまま家に帰ってもいいだろ?」


 髪の毛から落ちる水滴を見て、俺はすぐタオルを持ってきた。

 だらしないのもあの時と一緒かよ。


「だって……」

「はあ……、全く。お風呂、入るんだろ?」


 下を向いて、こくりこくりするあい。


「そのままじゃ風邪引くから、ソファで待ってくれ……。時間ちょっとかかるかもしれない」

「うん……」


 どんどん激しくなる雨、静かな居間にその音が響いていた。


 それにしても、いきなり雨が降るなんて……マジかよ。

 全く……、こうなったらお風呂はともかく食事も準備しないといけない……。俺の記憶が正しいなら霞沢のお母さんは夜遅くまで仕事をするはず。それに霞沢は料理下手くそだし。幼い頃からずっとうちで食べていたことを思い出した。引っ越して来ても、状況はあの時と一緒だろ。


 まあ、霞沢の面倒を見るのはいつものことだし……。


「入って、いいぞ」

「ねえ、一緒に入らない?」

「こんな状況でまた冗談を言うのかよ……。霞沢」

「え〜。面白くない男子はモテません〜」

「いいから、入れー!」

「はい〜。ふふっ」


 ちゃんと目が合った。

 霞沢がそんな冗談を言うたび、俺はドキッとしてしまう。一応男だからな……。だから、そういう冗談はやめてほしかった。その顔を見ると、俺もどうすればいいのか分からなくなる。幼い頃にずっとそんな顔をしてたから……俺にはよく分かる顔だった。ずっと……こっちを見ていたから……。


「はあ……」


 ああ……、これじゃ今日直人とゲームをするのは無理だよな。

 普段なら適当にカップ麺を食べるけど……、あの恥知らずのために何かを作らないと……。


「ふう……、気持ちいい……。あれ? いい匂いがする……」


 りおの服に着替えたあいが、こっそりキッチンを覗く。


「り〜お〜く〜ん。服ありがと〜」

「うわっ! び、びっくりしたぁ……。い、いつ来たんだ?」

「ふふっ。びっくりしたよね〜? それより、なんか作ってる! もしかして、私のためかな?」

「まあ、一応……そうだけど。霞沢のお母さん帰るの遅いんだろ?」

「へえ……、そんなことも覚えてるんだ……」

「俺も料理は下手くそだけど、オムライスくらいはできるからな」

「美味しそう〜。そういえば、二人っきりで食べるのも久しぶりだね?」

「…………まあ、そうだな」


 食卓で静かに夕飯を食べる二人。

 こうやって一緒に食べるのもいいと思うけど……、やはりこの雰囲気はちょっと苦手だった。直人の彼女が今……、俺の服を着て……、俺が作ったオムライスを食べている。そこで俺は罪悪感を感じた。だから、これが無事で終わりますように……心の底で祈るだけ。


 ……


「ごちそうさま……! 洗い物手伝うから!」

「いいよ。寝る前にするからほっておいて」

「そうなの?」

「そろそろ帰る時間じゃないのか? 霞沢」

「ううん……」


 床で話している二人、時間ももう少しで夜の九時になる。

 そろそろ帰らないと霞沢のお母さんも心配するはずだ。

 結局、直人とゲームをするのは無理だったよな……。帰ったら適当に返事しておこう。


 ぎゅっ。


「…………」

「か、霞沢さん……? こ、これはどういう意味でしょう……?」

「…………分からない」

「いや、分からないって言われても……。今の状況は誰が見てもおかしいだろ……? そう思わないのか?」

「…………」


 どんな心境の変化があったのか……それが知りたかった。

 どうして……、俺の手の甲にさりげなく手を重ねるんだ……? どうして? どうしてだよ! 霞沢……、また俺をからかうのか……? 分からない。俺には分からない。ずっとこういうのはダメって、何度も自分に繰り返していたはずなのに……。実際こうなると何も言えなくなる俺だった。


 情けないけど、そう簡単なことじゃないかも……しれない。

 そして手の甲から霞沢の温かい手のひらが感じられる。


「か、霞沢! いい加減に……!」

「…………」


 なんだよ……、その顔。

 どうしてそんな顔をするんだよ。


「…………」

「北川くんの手、冷たいね……」

「霞沢……」

「うん。北川くん……」

「タクシー呼ぶから、今すぐ……帰れ。頼むから……」

「分かった。じゃあ……、タクシーが来る時までじっとして……」

「…………なんで、俺にそんなことを言うんだ」

「…………分からない」


 そう言ってから、りおの指をいじるあい。


「…………」


 手を離すこと、それは誰にもできる簡単なことだった。

 とても簡単なことなのに……、どうして俺にはできねぇんだよ。俺もバカじゃないから知っている。これがいけないことって、俺もちゃんと知っているのに……。どうして……、口で言えねぇんだよ。はっきり言えば霞沢もきっと分かってくれるはずなのに……。やはり俺にそれを言う勇気はなかったかもしれない。


 だから、俺も……そのままじっとするしかなかった。


「…………ねえ、北川くん」

「うん?」

「どうして、あの時…………」


 静寂を破った霞沢が口を開けるその瞬間、直人から電話がかけられた。


「あっ! 私そろそろ、行くから……。またね、北川くん」

「あっ、うん……」


 先の話が気になるけど、今はいっか……。


「はあ……」


 心が落ち着かない。

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