生贄と花嫁
第3話
「──生贄、ですか」
自分の声がやけに遠くで聞こえた。目の前の男は、そんな物騒な単語を放ったのにもかかわらず冷静な顔をしている。
「ああ、魔王からの指名だそうだ」
「……指名……」
未だ自らの立場を理解できない。目の前の男──世間一般には私の父親と呼ばれる男だが、顔色を一切変えることなく淡々と告げた。
人間である私が──魔族領の主である魔王の生贄に選ばれた、と。
「さっさと行け。魔王の怒りを買って他の娘に危害を加えられたら堪らん」
「……はい」
私はこの男の唯一の娘ではない。たとえ唯一であっても、きっと父は躊躇いなく私を差し出すのだろうが。
「お前でよかったよ、これで悲しむ者はいないからな」
貴族の父。母の顔は知らない。死んだと聞かされたが、それも本当かはわからない。眉目秀麗な姉や兄、妹が両手の指では数え切れないほどいるが、誰も私のことを家族だと認める者はいない。
たった一人だけ──きっと私がこの世から消えることを悲しんでくれそうな人はいるが、それ以外は確かに、父の言う通りだ。
私たち人間が住む人間領と魔族が住む魔族領には境界線が張られており、互いに手を出すことがないように協定が結ばれている。魔族に脅かされていた人間は安息を、そして魔族はある条件を提示してその協定を飲んだと言われている。
その条件──先代魔王までは定期的に女を差し出すことで人間と魔族との均衡が保たれていた。生贄に関してはその代の魔王によって好む女が違っていたのだそうだ。
年齢、肌色、紙や瞳の色、血筋や身分など──その好みに合わせてお偉い人が選別し、この魔王領へと差し出される。そんな取引が何千年と続いていた。
そして、何故か今の魔王が即位すると突然生贄は指名制になった。
その記念すべき最初の生贄となったのが──この私、ララだ。
星の数ほどいると言われる人間の中で、何故私が選ばれたのかは分からない。知りたいとも別に思わなかった。
私には愛される価値がない。そう言われて生きてきた。だから何にも期待しない。そんなことをして惨めになるくらいなら、全てを諦めた方がいい。
だから私は抵抗もしない。逃げ出したりもしない。
ほんの少しの心残りは、私の死を唯一悲しんでくれる人だ。
両の手首を縄で縛られ、顔がよく見えないように薄い布で隠された私。魔族領へと運ぶ馬車に乗り込む時、その人はとても苦しそうな顔をしていた。従者であるその人は屋敷の主人に逆らえるわけもなく、顔を歪めて私を見送った。
地獄へ向かう私を、誰も見送りに来ないような価値のない私を、たった一人見送ってくれた人。
どうか悲しまないで、と薄い布越しに私は願った。
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