第46話 因縁の結縁 四

 側頭部を肩に密着させながら両手を前後に数秒ぶらぶらさせ、数秒後にメイはうしろへ倒れた。


 メイが死んですぐ、呪宝如来は右足をあげて老婆を踏みつけようとした。


「呪宝如来は俺が引きつける! 婆さんを頼む!」

「はい!」


 渕山はアタッシュケースを手放した。それから呪宝如来と老婆の間に素早く割りこみ、呪宝如来のみぞおちを右足で蹴った。プロの格闘家でも気絶しかねない打撃だが、相手はびくともしない。ただ、老婆を踏むのはやめた。代わりに琵琶で渕山の頭を殴ろうとする。間一髪、腰を落としてかわした渕山は呪宝如来の脇の下に自分の肩をさしこんで手で内股を取った。そのままたちあがりざま呪宝如来を上下逆さにして頭から床に叩きつけた。琵琶と独鈷が呪宝如来の手から放れ、点滴台まで倒れた。


「点滴パックと針をこっちによこせ!」


 孫娘の手で自由になった老婆が叫んだ。


 呪宝如来が起きる間もあればこそ、渕山は指定された品々めがけて床を跳ねた。点滴台からパックが外れていたのを幸い、老婆に投げる。パックを受けた老婆は、わずかにあった中身を逆さにして捨てた。それから自分の手首に深々とかみつき、にじんだ血をパックに注ぎ始めた。津堂は老婆の両脇を手で支えている。


「少しでいい! 呪宝如来を止めろ!」


 老婆の要求が、無理難題になってきた。それでもやらねばならない。


 呪宝如来と対面した渕山は、両腕を広げて十本の指を軽く前後にゆらめかせた。力比べの挑発だ。呪宝如来もまた両腕を広げ、かくて両者は互いの指を絡めあわせた。


 女性とはいえ……また道具を使ったとはいえ……人間の首を軽くへし折るような力は尋常ではない。だが、渕山はボディビルダーの名誉にかけてなしとげねばならなかった。


 食い縛った歯と歯茎がきしみ、指がちぎれそうになって皮膚が裂けていく。呪宝如来は無表情な分、さらなる圧力がかかる。


 渕山の肘と脇もまた限界を訴え、肩は粉々になりそうだ。


 あらゆる苦痛を支払ってでも、渕山は呪宝如来から目を離すつもりもなければ力を緩めるつもりもなかった。


「外道めが!」


 呪宝如来の背後から老婆の一喝が轟いた。点滴の針が呪宝如来の背中に刺され、老婆の血が送りこまれる。


 電気ショックに打たれたように、呪宝如来の身体はのけぞった。つられて渕山のかかとが浮いたものの、急激に力を失った呪宝如来の両腕が逆さにねじられた。ボキッと音がして、渕山は相手の肘を二つとも同時に折った。荒々しい満足感が、のしかかるような疲労とともに訪れた。だが、まだ気を抜くわけにはいかない。


 ようやくにも指を放すと、呪宝如来は折れた両腕をだらんと宙に垂れ下げながら天井を仰いだ。低く重々しくうなってから、五体がバラバラになりいっせいに落ちた。


「や……やったか……?」


 荒く息を継ぎながら、渕山は呪宝如来の成れの果てに注目した。バラバラになったまま、ぴくりともしない。


「こやつは死んだ。だが、原木が残っている。次の部屋に」


 老婆は渕山に一息つかせる気もないようだ。渕山としても、ここで油断するつもりはない。


 点滴パックは用ずみとなり、老婆の手で床に捨てられた。老婆の傷口は、津堂が止血点を抑えてどうにか余計な出血を食い止めた。


「四つ目の部屋は?」


 老婆が無事なら、情報は多いにこしたことはない。渕山は抜かりなく知っておきたかった。


「エレベーターで地上にいける。ただし、鍵がかかっている。鍵がどこにあるかまでは知らん」


 エレベーターの鍵とやらは、全部終わってからじっくり調べてもいいだろう。なんなら力ずくでドアを破ってもいい。


「お婆ちゃん、大丈夫?」

「ああ、平気だよ」


 津堂にはにこやかな笑顔を送る老婆であった。


「先を急ごう」


 渕山は、アタッシュケースを拾った。津堂と老婆を従え、部屋をあとにする。


 三つめ。


 三度目の正直。


 自分もいれて三人。


 これが最後だ。いちいち口にだして念押しする必要はない。ただ深呼吸を一回だけして、ノブに手をかけた。


「筋肉主義の拝金主義にしては素晴らしい能力でした」


 メイがいた部屋と似て非なる様相だ。そこにメイコが……相変わらずメイド服姿で……待っていた。豪華な黒革張りの安楽椅子に足を組んで座っており、皮をむかれた丸太を抱いている。丸太は渕山の上半身くらいな長さをしており、直径はおよそ七、八十センチといったところか。


「お前が『神捨て』の主催者だったのか」


 挨拶代わりに渕山は聞いた。


「そうです」

「博尾は最初から弾丸よけと煙幕を兼ねていたんだな。お前に関心がいかないように」

「そうです」


 渕山の疑念に、またしても同じ回答だった。


「メイでさえ、俺達の力を測るための捨てゴマだったのか」


 三度、『そうです』だった。


「で、その丸太は俺達の血かなにかで晴れて真の呪宝如来として復活ということか」

「違います」


 初めて渕山の推察が否定された。


「じゃあ、なんなんだ」

「呪宝如来そのものは、もうとっくに復活しているのです」

「なんだと?」

「皆様の目の前にいます」


 渕山達の前には、原木とメイコしかいない。


「メイコさん。あなたが……あなた自身がオリジナルの呪宝如来なんですね?」


 津堂が、声を震わせた。


「ご賢察、可愛い私の子孫」

「なにーっ!?」


 渕山はまさに驚愕きょうがくした。


「飛鳥時代。仏師の銘徒は、富士山の霊木から私を作った。だが、霊木は仏教派の蘇我氏と聖徳太子に敗れた物部氏の残党が神として祀っていたもの。それと知らずに手をだしたことで、私は怨霊の化身となった。手始めに銘徒を殺し、次から次へと仏教徒を殺害した」


 メイコは、もはやメイドとして渕山達に接するつもりはなさそうだった。


「そんな私だが、平安時代になって霊木の残りごと巣出村の祠に封印された。そのとき気づいた。私の力の源泉は、あくまで霊木だったのだ。それも、使えば使うほど減っていく。だが令和に入り、近森の爆弾で封印が破れた」


 メイコは愛おしそうに原木をなでた。


「復活した私は、博尾をいいなりにさせて原木からメイを作らせた。私自身は原木を自分の手で割ったり削ったりできないから。メイには、原木の子孫でも原木と同じような力があるかどうかを博尾とともに研究させた」

「それが呪宝如来の模造品か」


 渕山は理解した。


 銘徒が原木から呪宝如来すなわちメイコを作ったように、メイコは原木から別な呪宝如来すなわちメイを博尾に作らせた。二人はメイコの命令で新たな原木の候補を模索し、原木の子孫から模造品の呪宝如来制作にいきついた。


「そういうことだ。模造品はメイと博尾の合作だ。二人が『神捨て』に挑戦して失敗した参加者達の血肉を注入して、まっとうな呪宝如来にするのを期待していた。凶悪犯罪者の歪んだ絶望ほど、私の力の根源にふさわしいものはない」


 逆説的に、『神捨て』は……挑戦者達からすれば……失敗するのを前提とされていた。

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