第45話 因縁の結縁 三

 とにかく、連中はバーチャル空間と現実世界を好きに出入りできるようになるのだろう。


「心配しなくとも、あんただって……」


 鈴木の言葉が、急に中断した。ならんだ頭達は一様に、空気が抜けた風船のようにしぼんでいった。


「そ……そんな……約束が……」


 鈴木は一握りの灰になった。それきりだった。


「呪宝……如来……様ぁ……」


 佐藤はぺらぺらの薄い皮だけになり果てた。


 そんな調子で残りの四人も完全にしなびた炭素や蛋白質やカルシウムの残骸と化した。


「し……死んだんですか?」


 津堂が、嫌悪感を隠さない口調で聞いた。


「世間全般の意味でならね。出よう」

「はい」


 もう、ここにいる意味はない。渕山は、津堂を伴って二つ目のドアを試さねばならなかった。


 物理的には大した労力でなくとも、精神的には著しい労力が必要なことはある。


 両手には、現金の詰まったアタッシュケースをまだ手にしたままだ。我ながら滑稽な姿だった。人格的には、津堂のような純粋な家族愛の持ち主の方がはるかに立派だろう。


 それでも、金は命綱だ。誰にとっても。


 アタッシュケースを放さないようにして、渕山は二つ目のドアを開けた。


 ぱち、ぱち、ぱち、ぱち、ぱち、ぱち。


「素晴らしい! 超人的な精神と肉体です! それでこそ、七人目の挑戦者、いえ被験者にふさわしいです!」


 メイがいつになく興奮しながら拍手し、矢継ぎ早に感無量な台詞を述べた。


 えある七人目に据えられた渕山は、思いきりメイを睨みつけた。


 メイの傍らには呪宝如来がいる。療養中の病人さながら、点滴台が脇に添えられていた。点滴台にセットした点滴パックには、毒々しいとしか表現のしようがない赤黒い液体が入っている。それもほとんどなくなりかけていた。


 呪宝如来自体は、もはや木を想像させる地肌はほとんどなくなり、人間の皮膚に良く似た組織があらわになりつつある。衣服も同様だった。まるで脱皮が終わる寸前の爬虫類はちゅうるいのようだ。


「お、お婆ちゃん!」


 津堂が、メイの足元に縛られて転がる老婆に声をかけた。


「さんざん邪魔をしてくれましたね。まあ、こうした雑音も呪宝如来様の覚醒に一役買ったと思えば有意義でしたか」


 メイは老婆を見下しつつ、吐き捨てるようにいった。


「どういうことだ?」

「最初は、老婆は山伏達に協力する素振りを見せていたんですよ。だから門番にしておきました。本当に『神捨て』に参加する値打ちがあるかどうかを見極め、あればこの館に案内させるための」

「二股にあった民家か。だが、無視して素通りされたらどうするんだ」

「同じ場所をうろうろして、諦めるか老婆に道を聞くかしかできないようにしてあります。そのくらいの影響力はもう発揮できていましたから」

「山伏達も被験者と変わらない運命のようだな」

「あらあら、被験者と一緒にしたらかわいそうですよ。自分の罪をなくすためじゃなくて、純粋に呪宝如来様のために犠牲になったんですから」

「博尾に千島を破産させるような能力を授けたり、あんなめちゃくちゃなバーチャル空間を作らせたりしたのも呪宝如来か」

「そうですとも。千島と山伏達は、あやふやな伝説をあてにしてそこかしこを掘り返すだけでしたし。近森の爆弾で祠の封印が解けたことこそ、神々のご意志なのです」

「動画という技術それ自体も、挑戦者や俺と縁を繋ぐ導きになったのか?」

「そういって的外れではありませんが、正しくは博尾が流した都市伝説の動画が予備試験だったのですよ。被験者として役だちそうな人間が閲覧したら、自然とこちらにやってこさせるようにしていました」

「俺はどうなんだ? そんな都市伝説などここにくるまで知らなかった」

「あなたはあなたで……別なご縁があったのです」


 それまで流れるように滑らかだったメイの口調が、わずかに陰った。


「動画というが、鈴木や田中のような連中と曽木や近森のような連中では動画へのかかわりかたがひどく不釣り合いだな」

「様々な要素や可能性を検証するために、あえてかかわりあいの濃淡をつけて被験者を選びました」

「なら、博尾はどうやってそんな一連にかかわれたんだ」

「以前に働いていた玩具会社でパワハラにあい、祠の近くで自殺を図ったからです。コンピューターや動画に詳しくて、千島よりははるかに使えましたし。ただ、やっぱり博尾程度の頭ではあちこちひずみができて。つくろい直すのにてんてこまいでしたよ」


 こんな話を世間にぶちまけたところで、まともに信じる人間はほぼいない。老婆はそれと承知でメイ達のコマにならざるをえなかった。


「参加者……いや被験者をこの地下室にまとめておいて、俺のような人間がきたら一人ずつ試すつもりでいたんだな……呪宝如来復活にどの程度まで使えるかどうかを」

「ああ、筋肉主義かと思ったら秀逸な洞察ですね。これまでの六人は血肉にはなりますが、それだけではまさしく『仏作って魂入れず』です。老婆はあなたが決め手と認められた瞬間を狙っていたんです。そこまで強い法力があるとは知りませんでした」

「罪を海に流すというのは嘘っぱちだろう。俺をかくらんするための」

「あれっ? それもバレていましたか」


 メイは、笑いながら大げさに肩をすくめた。


「みえみえだよ。だが、なぜだ。なぜ、俺なんだ」

「老婆のお孫さんの力ですよ」

「え?」


 予期せぬタイミングでお鉢が回され、津堂はびくっとすくんだ。


「お孫さんね、人間じゃないんです。なかったんですというべきかしらね」

「はあぁっ!?」


 渕山と津堂は、期せずして声をそろえた。


「スゴイワちゃん……どこにでもある量産品の人形のようでいて、呪宝如来様のオリジナルになった原木をほんの少し受け継いでいるんですよ。なにかの弾みで、花粉かなにかが紛れこんだんでしょうね」

「俺は……スゴイワちゃんの祝福を受けた人間で、だからこそ被験者のテストにも最後のしめくくりにも有用だといいたいのか?」

「おおむねそのとおりです。厳密には、彼女は老婆の法力と呪宝如来様の功徳がスゴイワちゃんに触れて受肉しました」


 洋館の外にまで、バーチャル空間で発生させたカラスを飛ばすくらいだ。この辺りにある品のいくつかに、なんらかの影響があってもおかしくない。


「原木はまだこの世にあるのか?」

「あるといえばありますね。ないといえばないです」

「急に抽象的になったな」

「ここまで教えてさしあげただけでも大盤ぶるまいですよ。さあ、お喋りはこのくらいにして……呪宝如来様、最後のしあげを!」


 呪宝如来は、律儀にも点滴の針をまず自分で外した。それからメイに身体をむけた。


「え?」


 疑問符と、小首をかしげた表情がメイの辞世となった。呪宝如来が独鈷を一振りすると、メイの首は真横から小枝のようにへし折られた。

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