第39話 環境の回復 三
ふと気がつくと、どこからか時計の針がチクタク回る音がする。スマホのライトを改めて点灯し、時計があるらしい方向を照らした。
床の隅に、小さな文字盤時計がある。光はさらに、時計にガムテープで密着させたダイナマイトの束もはっきりさせた。
時計の時刻は十一時五十九分を指しており、目覚まし用の針は十二時ちょうどになっている。秒針は、十二時まで残り五十秒をすぎたところだ。参加者と対面しようがすまいが、拘束しようがすまいが関係ないということだ。
バネじかけのようにドアに飛びついたが、ノブが見あたらない。押そうが引こうがびくともしない。時間があれば簡単に開け方がわかるのだろうが、とてもそんな余裕はなかった。
近森だろうと呪宝如来だろうとかまわない。とにかくここからだして欲しい。その一心でドアを叩いていると、本当に開いた。逆光で、誰なのかはっきりしない。
ドアを開けた人間……まさか呪宝如来ではないだろう……は、渕山の脇をすり抜けた。彼よりは一回り小柄だし、不意をつかれたというのもある。あっさり通した。新たな入室者はそのまま時限爆弾までまっすぐ歩き、かがんでなにかしらの作業をした。
渕山は、このとき逃げるべきだったろう。控えめにいっても距離をとるべきだったろう。このとき彼が意識したのは、一言くらいは感謝を述べようというなんとも礼儀正しく間抜けな『常識』だった。
「拘束」
一言で渕山の自由は奪われた。声音から、若い女性……近森なのは推察できた。
女性は開いたままの戸口に……すなわち渕山に近づいた。背後から指す日光で、ようやく彼女の顔がはっきりする。やはり近森だ。痩せた身体で、背も彼より二十センチ近く低い。にもかかわらず、彼女が優位にあるのは明白だった。左手には先ほどの時限爆弾が握られている。
「どうせなら、もっと奥までやってこさせてから拘束すべきだったかな」
まるで科学実験の反省点を挙げているかのような口調だった。
「まあ、いいか。ここからは、私の質問にだけ答えるように。返事は?」
「はい」
渕山は素直に従った。
「よろしい。まず、さっきの爆弾は誰がしかけたか知ってる?」
「いいえ」
てっきり近森の差し金かと思っていた。
「僕の行為は、誰からどう聞いた?」
「ぼ、僕?」
「質問にだけ答えろ!」
甲高い叱責に、渕山はびくっと縮みあがった。
「す、すみません。メイさんから、爆弾テロだって聞きました」
「ふん。やっぱりな。ここで君を吹き飛ばすのは簡単だ。でも、頓珍漢な誤解をされたままでは気分が悪い」
近森は、時限爆弾を渕山の前でちらつかせた。
「まず、僕はテロリストじゃない。環境保全活動家だ」
あーはいはい、化石燃料を目の仇にしながらバスに乗る意識高い人ね。SNSでの会話だったら、渕山はそうした軽蔑を隠しはしなかっただろう。
「風力発電は、自然に負担をかけにくいエネルギー源だとされている。だが、企業が利益優先でやたらに風車を建てたせいでどうなったか? 低周波公害だ!」
解除はされたのだろうが、演説にあわせて時限爆弾を空中で揺するのはやめて欲しい。
「なまじ目に見えないから始末が悪い。低周波にずっとさらされていると、心筋梗塞、精神障がい、発ガン因子の増大など様々な異常を身体に起こす。それは人間に限らない。鳥類や人間以外の哺乳類についても同様だ」
近森の演説には、一つだけ意義があった。『神捨て』の挑戦者……つまり近森……に課せられた制限時間に近づく。
「つまり僕は、地球市民としてまっとうな抗議活動をしていたにすぎない。理解できたか?」
「はい、ありがとうございます」
その反対の気持ちが、渕山の心には充満していた。
「結構。だから僕は、これからも風力発電に限らず
お宅こそよっぽど欺瞞に満ちているという台詞が、渕山の喉をついて出かかった。
「まあ、大義に比べて若干の犠牲が生じたのは認める。私が爆破した風車を再現するとは、主催も悪趣味な……」
どおんっ! 二人の脇に、突如として一個の大きな籠が天井から落ちてきた。最初から天井にあったのか、メイがプログラムをいじったのかははっきりしない。
籠は、渕山の上半身ほどはあった。細長い鉄板を組みあわせて作ってあり、正方形に近い一辺三センチほどの隙間が全体的かつ等間隔についている。掛金つきの蓋がしてあった。
籠からは、ほどなくして床に赤い液体を広げ始めた。籠よりもはるかに濃い鉄の臭いがたちこめていく。嫌でも血液だと悟らされた。
「なんだこれは……?」
いぶかしみつつ、近森はかがんで蓋を開けた。
「ひいいいっ!」
悲鳴をあげたのは渕山だけだった。
籠の中身は、バラバラになった人間の手足や胴体だった。頭もある。数からすれば三人分か。衣服や水筒などもあった。メイが語った巻きぞえの犠牲者だろう。
それにしても遺体のささくれだった断面から突きでた骨や血管は、奇妙にもゼリーの寄せ細工めいていた。そして臭い。猛烈に臭い。
カラスの死骸さえ怖がる渕山だ。人間のバラバラ死体を見せつけられたら即座に気絶してもおかしくない。だが、彼は意識を保っていた。
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