第40話 環境の回復 四

 この悪臭。博尾を殺したときの呪宝如来から漂っていたのとそっくり同じ。その気づきが、どうにか渕山を失神から守っていた。代わりに正気を削っていくという副作用も伴って。


「非科学的な嫌がらせにもほどがある!」


 近森は、怒りをこめて籠の縁を蹴った。籠は少しだけ位置をずらした。中身のバラバラ死体がかすかにぶつかりあう。


「もういい。当初の目的だけ果たせば」


 近森は、時限爆弾を渕山の足元に置いてからかがんでつつき始めた。ちゃんと爆発するようにセットし直そうとしているのだろう。


 彼女の怒りと焦りは、またとない好機だった。リングをこれまでと同じ要領で破り、開いたままのドアからさっさと逃げだす。曽木の山小屋があったのと似たような山の中だが、かまうものか。


「あっ、待て! もどれ!」


 科学環境主義を自称する割には、原始的な近森の制止だった。渕山は無視してとにかく走った。


 山の中を曲がったり上げ下げしたりしていつまでも終わらない二車線道路。アスファルトで舗装されているが、例によって自転車一台存在しない。


 どれくらい近森から遠ざかったか、さすがに息が切れて足がもつれてきた。折よくあずまやがあるので、休息を求めて入った。あずまやの隣には、東京ドームが三個は並びそうな池がある。喉も渇いているのを自覚させられたが、さすがに池の生水は飲めないだろう。


 あずまやは土台こそコンクリートながら、床と天井は四角い木造建築だった。丸い木のテーブルを囲むように、細長いベンチが四脚ある。一つを選んで腰かけた。


「うん?」


 テーブルには、新聞が一部置かれていた。どうせまともな事件の取材じゃないだろう。しかし、読まないと情報不足になってもっと酷い状況になる。一秒でも長く休みたいのに、近森ではないが嫌がらせとしか思えないタイミングだ。


 舌打ちしたくなるのをこらえて、渕山は新聞を読んだ。両手で広げるのではなく、テーブルに紙面を広げて読んだ。


 案の定、新聞は近森の爆弾テロを特集していた。巻きこまれた家族連れが、中学生を含むハイキング客というのも初めて知った。そして、風力発電所より前にもこことは無関係な他地域の太陽発電やら地熱発電所やらにしつこく妨害工作を働いていたらしい。


 ただ、近森にとって究極の手段は時限爆弾である。そうした精密機器は、経験を積めば積むほど本人にしか残せない技術的なクセが現れやすくなる。皮肉にも、彼女は自らの技術で自分の首を絞めることになったそうだ。


 それでも、彼女が最後に実行したテロ……旧巣出村風力発電所爆破事件……は予防されなかった。悲惨な現場写真も掲載されていた。


 渕山は、写真の片隅にある祠に目を奪われた。爆発の影響でか、のけぞるように倒れかけている。それと連動して、祠の地下にあたる部分がわずかに地表にせりあがっていた。すなわち、地下にあった箱の一部が浮きあがるように露出している。


 祠……。たしか鈴木の『神捨て』に参加させられたときだった。『神捨新聞』によれば、『神捨て』は巣出村の祠で自分の境遇を述べるのが始まりだそうだ。


 『神捨て』の噂は博尾がバラ撒いた。博尾は近森の爆弾で祠が明るみになったのを知っていたのか……?


 新聞には、それ以上詳しいことは書いてなかった。息も整ってきたし、鬼ごっこを再開……どこかで時計の鳴る音がする。


 血相変えた渕山は、使える筋肉を余さず使ってあずまやから走り去ろうとした。その直後、あずまやは木っ端微塵に爆発した。破砕されたコンクリートや木片とまぜこぜになりつつ、渕山は池まで吹きとばされて着水した。


 爆風や熱は、大半があずまやの破壊そのものに消費された形になっていた。さらに、落下したのは道路ではなく池だ。だからこそ渕山は無傷ですんだ。ずぶ濡れにはなったが。


 冷たく濁った水中で、空気を求めて抜き手を切ると右足になにかが絡みついた。藻か枯れ枝か。浮上するのをやめて、右手で外した。ぬるぬるする感触にはつきあいきられず、すぐ捨てた。


 と、今度は左腕に巻きついたものがある。いらいらしながら右手をまたふるったが、泥水をすかして目のあたりにしたのは内臓……小腸だった。ここまでのいきさつからして、爆死した犠牲者のものだろう。


 思わず開いた口からごぼぉっと空気が抜けた。水を飲みそうになり、躍起になって口を閉じる。鍛えてなければこのショックだけでも溺れていただろう。水面までほんの数メートルしかない。とにかく浮上あるのみ。


 やっとたどりつき、まずは胸いっぱいに空気を吸いこんだ。一度態勢をたてなおしたら、あとは岸まで泳げばいい。渕山の筋力なら造作もない。


 水深は次第に浅くなり、ついには足が届くようになった。泳ぐ必要がなくなって歩きだした直後、近森が現れた。右手に時限爆弾を持っている。また拘束されるわけにはいかないが、逃げるなら池を泳いで渡らねばならない。


「ぎゃあーっ!」


 悲鳴をまきちらしたのは近森だった。濡れそぼっている以外に、渕山に変化はないはずだ。


「く、くるなーっ! 化け物!」


 その辺にある木々の枝がざわつきそうなほどの絶叫だった。せっかく『神捨て』を成功させるチャンスだったのに、近森は回れ右して全力で逃げていった。

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