第34話 勤務の浄化 四

 などと理論武装したところで恐ろしいものは恐ろしい。暗闇の漠然とまとわりつくような圧迫感もごめんこうむりたいが、死体はもはや物理的な圧力だ。


 老婆が背中から監視……としか思えない……していると思うと、普通に近づくしかない。背中を曲げて、両手だけ中途半端に伸ばした格好で新聞紙にたどりついた。見開きなら紙面に触らなくても読める。


 どこの新聞かまではわからない。とにかく自治体公務員の汚職事件・当人は行方不明という要点で書かれた記事が、嫌でも読みとれた。田中の名前と肩書きも明記されている。具体的には、旧巣出村の再開発計画で地元の宗教団体である巣出村山伏協会と癒着して現金を受けとったそうだ。記事の日付は今からちょうど三か月前。


 ミラーボールの死体については一言もなかった。つまり、新聞を拾って頁をめくらねばならない。ここまできたら、やるしかない。


 意識して頭上を見ないよう肝に銘じ、渕山はしゃがんで新聞紙をつまんだ。身体ごと引きぬくようにしてたちあがり、読みおえた部分をめくる。


 次の頁で、キャバ嬢殺人事件というセンセーショナルな見出しが渕山の顔をしかめさせた。頭上の死体がそれなのは、記事にある顔写真からすぐ一致した。


 キャバ嬢自身の名前や年齢はどうでもいいが、問題は殺しの手口と被害者から検出された本人以外のDNAだ。前者は紺色のネクタイで首を絞めたもの、後者は解析中とある。ネクタイからもDNAが発見されるかどうか調べているという。


 隣の頁に目を移して、田中が指名手配されたと知った。ネクタイからもキャバ嬢からも同じ他人のDNAが確定し、被害者の交遊記録から一人一人当たったうえで明らかになった。なお犯行時刻は汚職事件の報道から約二週間後となっている。時系列としては、田中が汚職事件を起こして発覚直前に逃亡、それからキャバ嬢殺人事件へと展開している。


 次の頁……最後の頁にもなるが……では、二件目の殺人事件が報道されていた。田中の妻だ。こちらも顔写真がある。特に美しくも醜くもない、普通のおばさんだ。手口は同じ、紺色のネクタイ。今から約一か月前……キャバ嬢殺人事件からすれば約一か月後……に起きている。まさか、自分の夫に殺害されるとは本人もまったく思ってなかったろう。


 メイの説明が正しいなら犯罪に応じた道具……ネクタイを使っている以上、田中は自分の犯罪に罪悪感を抱いてない。たしかに、渕山の首を絞めた力にはなんのためらいもなかった。


 警察は当然、隅から隅まで田中家を捜索したに決まっている。見張ってもいたはずだ。にもかかわらず、事件は防げなかった。『紺色ネクタイ殺人事件』などとわかりやすくも扇情的な名前が事件につけられ、田中の過去来歴から交遊に至るまでが事細かに語られていた。


 どの事件の関係者も似たようなものだろうが、小学校時代の同級生から役所の上司に至るまで、そもそも汚職事件をしでかすなど信じられないだの部下の面倒見がよく慕われていただのと当たり障りのない意見ばかりが寄せられている。最初から問題を抱えていましたといおうものなら、どうして放置したのかと非難される可能性があるからだ。


 それはそれで置いておく。


 見開きから最後の頁まで読んだということは、一番最初の頁はまだ手つかずとなる。新聞を畳みがてら、渕山は最後にそれを読もうとした。


「げえぇっ!」


 これを叫ばずしてなにを叫ぶのか。


 一頁目にあるのは、記事ではなかった。写真でもない。


 メイが……白衣からメイとするしかないが……呪宝如来の右側にたってなにか作業をしている。彼女は病院などでありふれた点滴台から、チューブの先端にある針を呪宝如来の右腕に刺していた。台の上端に吊るしたプラスチック製のパックの中にはドス黒い液体が満ちていた。呪宝如来は、これまでに施された様々な道具を身につけたままだ。


 それだけでも中々に異様だが、渕山が悲鳴を放った原因は別にある。メイの傍らにあるステンレス製の手押しワゴンに、鈍く銀色に光る皿がある。タブレットで目にした、カラスの死体を乗せていたのと同じ様式だ。ただ、あれよりもっと広く大きい。


 皿には炭化した鈴木の頭があった。正視に耐えないとはまさにこうした光景だろう。メイは真剣なまなざしで点滴をほどこしており、狂気を超越して幻想をすら感じさせた。


 それら一連が、動画で流れている。新聞は紙でできているとしか思えないのに。


 もっとも、動画としては数秒の時間にすぎなかった。点滴の針を繰り返し繰り返し刺している。


 新聞を手から落とし、渕山はへたりこんだ。首吊り死体といい我慢の限界だ。


 こんなときこそ老婆の檄が欲しい。戸口に顔をむけたが、誰の姿もなかった。田中に拐われたのかもしれない。


 死体の部屋にいすわるのか、凶悪殺人犯の田中がうろつく廊下や部屋を探索して回るのか。どちらも願い下げだ。


『探したいのでしょう、オリジナルの呪宝如来を』

「ぎゃあーっ!」


 いきなり新聞の動画からメイに話しかけられ、渕山は絶叫した。


『かまいませんよ、私は。むしろ、私達が仕あげたそれと比較実証したいくらいです』

「そ、それはともかく曽木が終わってから田中についての説明も新しい没入の宣言もなかったじゃないか!」

『それは申し訳ありません。あの老婆が妨害したためです。でも、渕山様も老婆に手を貸していましたよね?』

「博尾さんとの契約には逆らってないでしょう!」

『もちろんです。だから、かまわないと告げました。ほら、急がないと老婆が殺されますよ』


 こうなると、いったい誰のために働いているのかわからなくなってくる。


「金、金、金! あるところにはある! あるところには!」


 いつもの呪文を唱え、ひっきりなしにがくがくブレる膝を拳で叩いてたった。

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