第33話 勤務の浄化 三
だからといって報酬を手放すつもりもない。呪宝如来を封印してはならぬと契約書にあったわけではない。あくまで『神捨て』に協力するという追加項目を認めただけだ。呪宝如来を封印したら『神捨て』が有名無実化するのは容易に推察できるが、メイは模造品を本物にすると発言した。老婆が封印したがっているのは本物だ。だから矛盾しない。
むろん、模造品が本物になったら二度手間になりかねない。そこまでは渕山の知ったことではなかった。模造品の存在をはっきり示したのに、老婆は聞こうともしなかったのだし。
「とりあえず、一階から探しますよ。あと、なにがあるかわからないから離れないでください」
「うむ」
田中がどこに消えようと、バーチャル空間であれば金や契約書の心配はしなくていい。
まさか、トイレにあるとは思えない。時間の浪費が許されない以上、確率の低い場所はあとまわしだ。
もう一つ。一回は逃げた田中だが、どんな形で妨害してくるかわからない。老婆が人質にでもされたら手も足もでなくなる。
廊下を玄関から遠ざかる方向で進み、ドアを探した。新しく見つかったものはない。代わりに、廊下の端までくると地下に降りる階段があった。
これがテレビゲームなら、なにか特別なアイテムやイベントを期待するところだろう。そんなわくわくする予感とは正反対の様相に満ちあふれていた。
「どうした、何故降りない?」
老婆でなくとも不審に思う。渕山とてわかっている。
「いや、その……暗くて」
「まるで見えないのではなかろう」
「あ、はぁ……そうですよね」
まるで熱い風呂にはいるときのように、渕山は右足の爪先だけをちょっとだけ最初の段につけた。なにも起こらない。
「遊んでいる場合か!」
「はっ、はいいぃ」
凶悪殺人犯より老婆の方が恐ろしい。より身近で恐ろしい存在に動かされるのは凡人の業だろう。
壁ぞいでなら、背後をとられはしない。自分なりに智恵を絞った渕山は、背中を階段の壁に密着させた。かくてカニのように横むきに進む。老婆は普通に階段を降りながらついてきた。
階段を降りきると、どうにか床の模様が区別できるくらいの明かりが天井からもたらされていた。床は、意外にも木造……木目があちこちにあった。
いまだに壁を背にしながらカニ歩きをしていくと、向かい側の壁にドアがあった。抜き足差し足でドアに耳をつけ、室内の様子を把握しようと試みた……なにも聞こえない。
ノブを手にしてゆっくりまわし、指一本くらいの隙間から室内を眺めた。床と壁が見える。
人の気配はなさそうだった。深呼吸を一つすませてからドアを完全に開ける。
誰もいないのに明かりがついていた。渕山がお化けの次に怖がる暗闇はぬぐい去られているのに、やすやすとは踏みこめない。
部屋には事務机が一つだけあった。椅子もある。いずれも曽木の『神捨て』で用いられていたものよりは高級そうな仕様だった。
机の上には、書類とおぼしき紙束が山積みになっている。その脇には一本のネクタイがあった。紺色で、艶のあるかなり高級そうなネクタイが。
「お前の首をしめていたのと同じものだな」
「わ、わざわざ説明しないでくださいよ」
老婆の一言で、ただでさえあやふやだった足腰がひっきりなしに震えだした。
ここまできて回れ右は許されない。書類を読まねばならない。つまり、壁から背が離れる。
この部屋に隠れられるような場所はない。背中がどこにあろうが、不意討ちを心配する必要はない……理屈はそうでも気持ちがなかなかついていかない。
「はよせんか!」
老婆に気あいをいれられ、弾かれたように書類までいきついた。
一枚目は表紙で、『旧巣出村再開発計画』とあった。二枚目以降は表紙が示したとおりの内容で、五年ほど前からこの洋館がある辺り一帯を観光地として整備する企画書だ。老婆が土地を奪われた時期と一致している。
観光地の目玉は修験道の一日体験で、協賛団体として巣出村山伏協会の名があった。
企画の責任者は田中 昌士とある。肩書きは観光資源課の課長だ。
巣出村としてのかかわりはあるが、呪宝如来については特に記載がない。もうこの部屋にかかわる必要はないだろう。
渕山は、老婆とともに部屋をでた。当たりくじを引くまで肝試しを続行せねばならない。
幸いにも、次のドアまでは十メートルくらいしか隔たってなかった。ふたたび聞き耳をたてたが、やはりなんの物音もしない。用心にも用心を重ね、ドアを細く開けた。いきなり濃く青い光が流れでて、渕山は慌てて目をつぶった。しかし、良くも悪くもなんの進展もない。こわごわ室内を見直そうとすると、今度は緑色の光だった。
老婆に急かされるのも心臓に悪い。決断した彼は、戸口をいっぱいに開放した。
天井の中央に、カラオケにあるようなミラーボールがぶらさがっている。青だか緑だかの光はそこからだ。
ミラーボールの下には、一人の女性が吊るされていた。色とりどりの光に照らされつつ微動だにしない。紺色のネクタイが彼女とミラーボールを連結していて、ネクタイの下の端が彼女の首に巻きついていた。首を吊ってか絞められるかして死んでいるのは明らかだ。身につけているのは肌の露出が広いクリーム色のカクテルドレスで、靴も高級そうなハイヒールだった。髪は染めてこそないが、長めにのばしたうえで薄青色の宝石かなにかをあしらったピンを使って飾られている。彼女のちょうど真下にあたる床には新聞が見開きの状態で置かれていた。
部屋にあるのはそれきりだった。
「こ、ここには……呪宝如来はなさそう……ですね」
自分でも嫌になるくらい尻すぼみな声音になった。
「だが、あの新聞は気になる」
「じゃあ……私はここで見張りしま……」
「自分が請け負った話だろう!」
「うひぃっ!」
正論ではある。呪宝如来が無関係なら田中にかかわると判断せざるをえない。『神捨て』の進行がどうだろうと、こういった状況で自分から放りだすのは悪手だろう。
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