第32話 勤務の浄化 二

 真夏でもないのにネクタイもしめてなければ鞄一つ持ってない。スマホで代用できるとでもうそぶくつもりかもしれないが、生命保険のような複雑な契約をタブレットもなしで果たせるとは到底思えない。


「そうだ。これで満足しただろう」

「しませんよ」

「なんだと!?」

「口でいってるだけじゃないですか、あなたのは」

「ならお前はどうなんだ。書類やアタッシュケースがお前のものという保証はあるのか」

「私がこの部屋に入ったばかりなのは知ってますよね? 書類の中身や署名について、丸暗記とはいいませんけど大雑把なことは答えられます。それで質問をすればいいんじゃないですか?」

「書類はそれでいいとして、肝心なのはアタッシュケースだ。お前の主張どおりなら、それも今すぐ答えられるはずだな?」


 渕山は、お化けも殺意も暗闇も苦手だ。しかし、自分の金に干渉してくる人間には情け容赦しない。ましてや、この男は館の一員でもなければ地元民でもない。消去法的に『神捨て』の挑戦者の可能性が高い。


 どうにか渕山の手を封じているのは、現実世界で渕山から先に攻撃すれば法律や博尾からの嫌悪感に触れてしまうからだ。


「どうした、なぜ答えん」

「現金ですよ」


 こいつが挑戦者なら、バーチャル空間で死なない程度にボコボコにしてやると渕山は心に誓った。


「現金?」

「なんでしたら金額まで答えましょうか?」

「アタッシュケースが二つとも現金なのか?」

「そうです」

「お前みたいな若造が、ボディビルだかなんだかでどうやってそれだけの大金を稼ぐんだ!」

「だから、あなたの知ったことじゃないですよ!」

「拘束!」


 たちまち見慣れた拘束リングが渕山を座ったまましめつけた。


「やっぱりだ! やっぱりお前が生け贄なんだな!」

「ど、どういうことなんですか!」

「とぼけるな! お前だって、知ってて参加したんだろうが!」


 歪んだ笑いを煮えたぎらせ、男はポケットからネクタイをだした。


「こんなにあっさりと尻尾をだすとはな。まあ、本当に死ぬんじゃないから勘弁しろ」

「こ、ここはバーチャル空間じゃないはずだ! 契約違反だ!」

「ごちゃごちゃ抜かすな!」


 男は渕山の背後に回った。喉にネクタイが当てられ、一気に絞めあげられる。


「うぐぐぐ……ぐぐぐ……」


 金が! 金が! 渕山の執念も風前の灯だ。


 ばぁんと勢いよくドアが開けられた。


「な、なんだ!?」


 反射的にネクタイが緩んだ。わずかに息を継ぐ余裕ができた。


 戸口に現れたのは、民家で道を尋ねた老婆だった。三度目の正直だ。


「その人は殺人犯・田中 昌士! 汚職役人の!」

「で、でたらめを……」


 拘束リングが伸びきったゴムさながらに力を失った。


「ふんっ!」


 ちょっと腕に力をいれただけで、リングは割れて消えた。


「わーっ!」


 予期せぬ逆転にすっかり動転し、田中はネクタイを渕山の首から外して戸口へ走った。


「どけっ!」


 老婆を払いのけて、廊下にでたかと思うと一目散に姿を消した。


「大丈夫ですか?」


 鍛えているので回復は早い。自分より、老婆の方が心配だ。


「心配無用……それより、この館を探して見つけださねばならぬ」


 ソファーをでて近よると、老婆ははきはき答えた。


「なにをですか?」

「呪宝如来だ!」


 わかりきったことを、といわんばかりである。


「この部屋にあったやつなら、模造品で……」


 と説明しつつ、少しはご利益があると大見得を切ったメイの発言が頭をよぎった。


「それは子孫!」

「子孫……?」


 仏像が子孫繁栄するということか。バチ当たりにもほどがある。


「呪宝如来を作った木の子孫を使って、ずっとあとの時代に作った!」


 なんだ、そういうことかといささか拍子抜けしながら渕山は納得した。


「本物を探すって……簡単に手にできるような保管はしてないでしょう?」

「わかりきったことをいうな!」

「すみません」


 老婆は渕山の六割かそこらの体格でしかない。しなびた手足は骨と皮。にもかかわらず、渕山は頭があがらない。助けてもらったこともあるが、元気がよすぎる意外さに困惑しきりだ。


「どっちみち、ここはバーチャル空間ですよ」

「現実世界で探すのは不可能だ!」

「え? どうしてですか?」

「厳重に保管されているからだ、愚か者!」


 期せずしてギャグコントになってしまった。


「そういえば、どうやってこんなにはっきりとバーチャル空間に出現できたんですか?」

「そのくらいの霊力はある! 今使わずしていつ使う!」

「じゃあ、呪宝如来もパッパと……」

「ここに現れるだけで精一杯だ! あたしの力でバーチャル空間を混乱させているが、いつまでもつかわからない!」


 博尾達からすれば煩雑極まりない妨害だ。逆に渕山からすれば、これまでにも『神捨て』にいくつかあった不審な点にある程度まで説明がつく。


「だからって……」

「いいから探せ! あたしは元の呪宝如来さえ見つければ封印し直す!」

「はい」


 老婆に協力するのは、命を……厳密には『神捨て』を……助けてもらった借りを返すためでもあり、博尾達のぬらぬらした態度に一撃与えたいからでもあった。金に忠実な人間として、渕山は恩義にははっきりと報いる主義だ。そこをぼかすと、本当に堕落した守銭奴になり果てる。彼がめざしているのは、拝金は拝金でもぎりぎりのところで人間味を捨てない拝金だった。それはまた、拝筋にも間接的につながっている。

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