六 こんなバディはいやだ。ネクタイで首吊りはもっといやだ。

第31話 勤務の浄化 一

 気がつくと、いつもの部屋だった。呪宝如来を観察したかったが、影も形もない。


 テーブルには自分が所有する契約書があり、足元にはアタッシュケースが二つ。まさかと思いすぐに検分した。幸いにもなんらおかしくなってない。


 室内には自分以外に誰の姿もなく、タブレットも用意されてない。自分のスマホは元のまま残っているものの、あいかわらず通信圏外だ。


 老婆が伝えたいきさつ……土地を奪ったこと、呪宝如来はそもそも封印されていたことはぜひとも博尾に質さねばならない。また、『神捨て』の挑戦者達の犯罪が博尾達からの説明と微妙にずれていることも。


 なにもしないまま時間を潰すのは、渕山からすれば苦行に近かった。腕たて伏せでもしたいくらいだが、いきなり博尾達が帰ってきたらまずいだろう。


 一分、二分と腕時計の針が進んだ。三分でついに渕山はソファーからたちあがった。


 仮に、勝手に部屋からでるのをとがめられたら手洗いにいきたくなったとでも弁解すればいい。こんな大金と多くの他人の人生がかかっているさなかに、企画の主催者……つまり博尾……が断りもなく席を外す方がよほど失礼だ。


 渕山は、部屋をあとにした。一つには、窓ごしでもいいから屋外の景色で心を洗いたいという意識もあった。


 廊下にでると、館の外自体はすぐに見られた。塀がある。


 こんなもので心が洗われるわけがない。結局は館内と変わらない。


 ならば、二階へあがらねばならないが……さすがにそこまではためらわれた。あらぬ誤解を招く恐れがある。まず、転ばぬ先の杖ではないが手洗いを探しておくことにした。


 十秒とたたず、簡単にいきついた。『手洗い』と書かれたプレートが掲げられたドアがある。呪宝如来のあった部屋から数メートルにすぎなかった。場所さえはっきりすればいいのであり、本来の意味で使うつもりはない。


 こうなると、ますます二階へはいきにくくなる。手洗いにいきたくなった人間が、まず自分のいる階でそれを探すのは当たり前だからだ。


 諦めてもどろうとした直後、手洗いのドアがむこうから開いた。五十かそこらの、太鼓腹をした男とはち合わせになった。ネクタイこそしめてないが、スーツ姿で金回りはよさそうだ。ただ、身なりの割にはへの字に曲がった唇とシワの寄った眉間が近づきにくさを漂わせていた。


「ど、どうも」


 とりあえず、渕山は一言告げた。


 館の人間か。そうでなければ挑戦者か。後者なら、『神捨て』を経ずして会うのは様々な意味でナンセンスだろう。極端な話、ここで渕山が害意にさらされる可能性すらある。


「あんた、ここの人かね」


 挨拶もなく、いきなり尊大な口調だった。


「いえ、違います」

「じゃあ……地元の人?」

「それも違います」

「なら、どうしてここにきたんだ」


 そんな質問は、自分が挑戦者だと逆説的に白状しているようなものだ。


「ここの所有者さんにボディビルを指導しにきたトレーナーですよ」


 このうえなく正直な返答である。


「ボディビル?」


 けげんな聞き方には、渕山を胡散臭く思っているのが露骨に現れていた。


「はい、ですが所有者さんがどこかにいってしまって探すことにしたんです」


 胡散臭いのはそっちの方だとなじりたいのを我慢して、渕山は穏やかに答えた。これまた事実だ。


「手わけしよう。俺は一階、あんたは二階」


 勝手に采配されて、渕山は自分のにこやかな表情がひきつってくるのを意識した。


「まず、あなたがどんな目的でここにこられたのを教えて頂けませんか?」


 まさか殺人だの傷害だのとはいえないだろう。意地悪な好奇心というものだ。


「知る必要があるのか?」

「私はあなたからのご質問に答えましたしね」

「そりゃあそっちの勝手だ」


 ぶすっと刺すように、不愉快な言い種で男は拒絶した。


「なら私も勝手にさせてもらいますね」


 すぐ隣の部屋には莫大な現金のあるアタッシュケースと契約書がある。うかつといえばうかつだが、こうなったからにはこんな人間の目にさらすなど論外だ。


「おいっ、人がわざわざ建設的な提案をしてやってるのにその態度は……」


 こんなパワハラオヤジにつきあう筋あいはなかった。同時に、呪宝如来のある部屋にいた方がいい理由もはっきりした。


 男を無視してきびすを返し、渕山はさっさと帰った。足音からして先方もついてきているようだ。


 ドアを開け、戸口をくぐると男も入ってきた。


「そのアタッシュケースと書類はなんだ?」

「あなたには関係ないでしょう」


 そっけなく答え、渕山は自分の席についた。こうなると、男にはさっさとでていって欲しい。


「じゃあお前のものか」

「そうです」

「まさか、中身は死体じゃないだろうな」

「知りません」


 いいかげんにしろと怒鳴りつけたいところだ。


「開けてみせろ。書類もだ」

「なんの権利があってそんな要求をするんです?」

「やましいことがないならできるだろう」

「あなたはお巡りさんかなにかですか?」

「そうじゃないが、この辺に凶悪殺人犯が潜伏しているという噂を聞いてる」

「ますますご自分の目的を教えるのが先じゃありませんか」


 最初からこの男が礼を守って会話すればすんだものを、無駄な時間が流れている。


「取引だ」


 渕山の回答よりずっと抽象的な理屈だった。


「取引?」

「商談だよ」

「はぁ」


 とてもじゃないが信用できない。


「喋っただろう? なら、こっちの要求に応じてもらう」

「商談ってだけじゃ、なんの話かわかりませんよ」

「そこまでどうして知る必要があるんだ」

「私はボディビルだってはっきりお話しましたよね。あなたも具体的に答えて下さい」

「生命保険の商談だ」

「生命保険?」

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