第29話 反抗の脱却 六

『ひろおって、千島さんの方ですか?』

『誰でもいい。とにかく奪い、悪趣味な館まで作った。だから呪われた』

『呪うって……化け物とか悪魔とか?』

『お前はあそこでなにを見聞きしていた!』


 苦手な話題がでてきたうえに一喝され、渕山は首をすくめた。


『呪宝如来を復活させてはならぬ! あれこそ修験者達が千数百年もの長きに渡り封印してきた元凶!』

『なら最初から教えておいてくださいよ』


 博尾とは別な意味で手際が悪すぎる。


『最初に会ったときは博尾達の世界に半ば支配された状態だった。すまぬ』

『じゃあ、今は違うんですか?』

『少しだけ違う。どういうわけでか……』


 老婆の台詞に、突如として雑音が入りだした。


『あのう、よく聞こえないんですけど』

『博尾が……』


 雑音はますます激しくなり、老婆の姿が点滅し始めた。


『まだ具体的なことが……』


 と、いいかけた渕山の姿も点滅した。そして消えた。


 目をさますと、渕山は四角四面な事務机につっぷして寝ていた。座っている椅子も机の規格とどっこいどっこいの安っぽさだ。


 辺りを見まわすと、八畳程度の間取りの中央に似たような机を四つくっつけあって長方形を為している。渕山が寝ていたのもその一つだ。いずれの机にも中古のデスクトップパソコンが置いてあった。窓からはビルや道路が見える。時間帯は昼間のようだ。腕時計の時刻は午後三時半。曽木から逃げていたときは、いちいち腕時計など目にする暇がなかった。だから、どれくらい過ぎたかわからない。


 部屋の壁には丸く平たい磁石をいくつかつけた白板がかかっていて、上の端に『今月の指導実績』と黒いマジックペンで書いてあった。もっとも、白板にはそれ以外なにも書きこまれてない。ドアは白板のすぐ隣につけてあった。


 どんな弾みかはともかく、シャツの胸ポケットから机にこぼれでたスマホがメールの着信音を鳴らしている。


 スマホを手にする前に、身体をあちこち軽く叩いたりさすったりしてみた。傷一つない。ボディビルで鍛えておいたお陰……のはずがない。


 老婆がいないのは当然として、曽木もいない。またしても自分一人。


 とにかくスマホがうるさい。机から取りあげて、メールを開けた。神捨新聞の第四回だ。


 例によってわかりきったことしか書いてない。ただ、顔だけはしっかり把握できた。痩せてひょろひょろした、それでいて眉の太さだけが目につく。本人には悪いがお世辞にも美形とはいえない。たぶん、自分の外見への劣等感も犯罪にかかわっているのだろう。


 渕山は、試みに目の前のパソコンをつけた。画面にはメールのアイコンしか表示されてない。具体的には、三通のメールが残っていた。一通めは曽木の親に宛てたもので、二通めは『巣出村山伏協会』なる相手にだしている。三通めは、一通めとはまた別に曽木の親に送っている。三通とも年月日には何故かモザイクがかかっていた。


 まず一通めを読んで、このパソコンの持ち主が塾の講師だとわかった。曽木は通信教育でこの塾の指導を受けているそうだが、模擬試験はいっこうに点数があがらない。思いきって山伏の修行にださせてはどうかという提案だった。滝に打たれたり自炊したりで引きこもりから抜ける機会になるかもしれないという主旨だ。


 渕山は失笑を禁じえなかった。それこそカルト宗教の理屈だ。荒行や自炊で引きこもりが直るというなら日本中の滝やらキャンプ場やらがそうした人々で満杯になっているだろう。


 二通め……『巣出村山伏協会』宛てのメールは、負の意味で笑えなかった。どうやらこの講師は『山伏協会』の一員らしく、ちょいちょいこの手の生徒を山送りにしては協会からの礼金として紹介料を稼いでいるようだ。曽木の両親からも紹介料を請求することで二重に儲けていた。半ば強制的に家から連れだし、厳しい修行を踏まえて飢え死に寸前まで追いこんでから手のひらを返したように厚遇する。やられた側は、むりやり感謝させられるうちにいつの間にか本気でありがたいと思いこむ。まさに洗脳だ。


 三通めは動画が中心で、ふんどし姿の曽木が滝に打たれている。十秒足らずの時間だが、いろいろな意味で寒々しかった。これこのとおり修行に励んでいるという、誇らしげな報告を伝える本文に至っては曽木に芯から同情した。


 パソコンを切ってから、渕山は他の机にあるそれも試した。いずれも電源そのものがつかなかった。


 問題は、これでいつまで時間がかかったかだ。気絶していた部分はカウントされないとして、曽木はどうやって渕山を探すのか。まさかこの部屋に籠城すればいいわけではなかろう。


 どのみちここでえられる収穫はなさそうだ。渕山は机から離れ、ドアからでた。


 常識的には……あるいは現実には……別の部屋か廊下に進むはずだ。


 ここはバーチャル空間である。わかってはいるが、まさかいきなり木に囲まれた山小屋が戸口のむこうに現れるとは。


 激しい水音まで聞こえてきたので、戸口から一歩でて山小屋のさらに奥を眺めると滝があった。


 山小屋の窓からは、うっすらと煙が昇っていた。火事ではなく炊事でできた煙のようだ……かすかだが味噌や醤油の香りがする。意味もなく炊事をしているのではないだろう。これまでの傾向からして、ろくな代物がないのは明白だった。それでも確かめねばならない。


 腹を括り、山小屋のドアまで歩いてノブを捻った。

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