第28話 反抗の脱却 五
未成年だし必ずしもそうなるとは限らないが、まず地面からでるためにはハッタリでもなんでも使うしかない。
「お前が逃げるよりましだろう!」
「お前、身長はどのくらいだ?」
「ああ!?」
「身長だよ。俺は一七六センチ」
「ひゃ、一七四センチ」
「ならやっぱり、俺を地面に座らせでもした方が能率的だぜ。どうせ俺はふくらはぎをケガしていて速くは走られないし。拘束リングがあるだろう?」
「あれはお前とむかいあわなきゃいけないから、最後の手段だ」
「最後の手段? お前、人とむかいあうのが怖いのか?」
これは挑発ではなく素で疑問に感じた。
「やかましい! お前の知ったことか!」
「図星だな。このままじゃキリがない」
「だからってのんびり犬みたいな真似ができるか!」
「じゃあ、俺の腕が掘り起こされたくらいのときにやれよ。的が大きくなるんだから当たりやすくなるぜ」
いかにも先手をとっているようだが、渕山の方こそ冷や汗がひっきりなしに顔を濡らしている。彼としては、両腕が自由になったら下半身を自力で引き抜いて逃げるつもりだ。
「わかったよ」
曽木はゴルフクラブを手放し、渕山を閉じこめている土を素手で引っかくようにどけていった。耳の近くで曽木の荒くなっていく呼吸を聞かされるのにはうんざりしたが、我慢するしかない。
しばらくすると、両肩が空気にさらされるようになった。一度目的がはっきりしたら、黙々と作業する曽木の集中力はたいしたものだ。まさにボディビルダーにむいている。勧誘するつもりはないが。
肘まで自由になったところで、試みに両足をゆすってみた。拍子抜けするほど土が緩んでいる。試作のバーチャル空間な分、こういう細かい仕あがりがまだ雑なのだろう。
「よし、手がでた」
渕山は、指をすりあわせて土を落とした。
「じゃあそろそろだな。動くなよ」
曽木が渕山の発掘をやめ、ゴルフクラブを拾おうとしたのも束の間。渕山は両手で地面をついて我と我が身を自由にした。自分の背より数十センチほど高いところによじ登るようなものだった。
「あっ、動くなっていっただろ!」
「知るか」
『神捨て』には大金がかかっている。やすやすと挑戦者のいいなりになるつもりはない。
身体中にまとわりつく土の感触が不快だが、そんなことより逃げるのが先だ。
本気で走れば、引きこもり浪人生ごときに追いつかれるはずがない。コンクリートのレーンを抜けて、出入口にたどりついた。そして、施錠されているのを知った。
せっかくの優位を台なしにしてしまった。怒り狂った曽木が、ゴルフクラブを持ったまま走ってくる。このままでは袋のネズミだ。二時間逃げまわっていればすむかもしれないが、芝生の先にゴルフカートがある。打ちっぱなしにどうして必要なのかは知らない。
曽木はゴルフクラブ以外の品は使えない。なら、ゴルフカートを運転していれば追いつかれないし疲れずにすむ。
曽木をある程度まで引きつけてから、渕山は出入口を背にして百八十度逆の方向へと走った。いきなりむきあう形になった曽木は、混乱して金縛りさながらに硬直する。
ゴルフカートへはあっさりとたどりつけた。鍵もさしたままだ。その辺の自動車と変わりはすまいと踏んで運転席につき、エンジンをかけた。サイドブレーキを解放してアクセルを踏むと、車体はするすると滑らかに走りだした。
ほくそ笑む渕山の表情は、ゴルフカートが急に加速したせいでたちまち凍りついた。ブレーキもハンドルもなんら操作できない。スピードメーターはすでにして四十キロを越えていた。飛び降りたら打ち身だけではすまなくなる危険がある。もっとも、恐怖にさいなまれる渕山はただ縮こまるしかなかった。
ゴルフカートは一直線に防球ネットに突っこんだ。渕山が目をつぶってハンドルにしがみつく暇もあればこそ、防球ネットは障子さながらにあっさり破れた。
ようやく気づいた。打ちっぱなし場は断崖絶壁に建てられていた。渕山は、ゴルフカートごと崖の斜面を転げ落ちていった。全身を四方八方から滅多打ちにされ、渕山は気絶した。
意識を失ったあと、夢を見た。そこで、道を尋ねた老婆がでてきた。場所も、老婆のいた民家の軒先だ。
ただ、民家があるのは山奥ではなく海辺だった。波に揺られて、無数のカラスの死骸が打ちあげられたり引きもどされたりしている。浜は砂ではなく砂利で、海水に濡れて様々な色に輝いていた。
『ほらね、捨てにくる奴らばかりだろう?』
老婆は勝ち誇った様子だった。
『あなたは、なにか『神捨て』にかかわっているんですか?』
渕山はでなくとも、もはや老婆が無関係とは思えないだろう。
『昔はかかわっていたとも。昔は』
『昔……?』
『巣出村は修験者の休憩所だったのさ。あたしはその世話役だった』
『いつの話ですか?』
『四、五年前まで』
『そんな最近……?』
修験者などというから、大仰な時代劇めいたものを予想していた。
『ひろおが私を騙して土地を奪った』
そんな馬鹿な。ありえない。
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