第26話 反抗の脱却 三

「約束を破ってるじゃないですか!」

『いいえ』


 メイの否定とともに、渕山の身体からは痛みが消えた。改めて脇腹を確認したが、傷口は影も形もなくなっていた。


『このように、現実世界になんらの影響ももたらさないようにできますから』

「でもやろうと思えば博尾さんの意志で影響させられるんですよね?」

『いいえ。ご契約書にありますが、あくまで影響させません。先ほどのは、渕山様が『神捨て』は絵空事でないのをご理解下さるためだけの措置です』

「百歩譲って私の契約はそうだとしても、呪宝如来云々は突飛すぎますよ」

『ご懸念ごもっともでございます。実のところ、そちらのお部屋にある呪宝如来様は模造品です。しかし、『神捨て』が進めば進むほど本物に近づきます。何故なら、バーチャル空間のデータを取りこみ再現していくからです』

「話の順序が逆でしょう?」

『模造品とはいえほんの少しはご利益が残っていたからこその成果です。つまり、まず加害者を『神捨て』で更正させます。そのデータと呪宝如来様を合体させるのです』

「なら、そもそもバーチャル空間はどうやって成立できたんですか? まさか、博尾さんが天才プログラマーだからとかいうんじゃないでしょうね?」

『それは、現在のところ私どもにとっても最高の機密事項です。渕山様がご契約を完遂してくだされば、初めてお見せできます』


 こうなるとカルト宗教の手口そのものだ。肝心な疑問はのらりくらりと受け流し、信者として深入りすることだけを要求する。


 だから、渕山は席を蹴るべきではあった。これまでの協力に対してなにがしかの金銭は要求できるだろう。この安全策はしかし、逆にいえばそこまでということでもある。


 自分の脇腹やふくらはぎについて先方が自由自在にコントロールできたのもまた事実。放置しておくと、生殺与奪を相手に委ねるのに等しい。


 本来、渕山は『神捨て』という一騎討ちデスゲームで挑戦者を待ち受ける審判側だった。これ以上の係わりあいは、自らも別な意味での挑戦者になることに他ならなかった。


「継続にあたり、こちらからも条件があります」


 ややあって、渕山は意志をまとめた。


『なんでしょう』

「今すぐ博尾さんと直接交渉したいです。あと、報酬は当初の五倍じゃなくて百倍を全額前払い即金で頂戴します」


 こんなめちゃくちゃな話は、百倍でもまだ安いくらいだ。


『報酬はともかく、博尾には速やかにお伝えします。一度回線を切りますのでお待ち願えますか?』

「わかりました」


 音もなく、タブレットの画面はまっくらになった。


 一分とたたず、博尾は渕山の求めたとおりに現れた。背後にはメイコがいて、アタッシュケースを両手に一つずつ持っていた。


 さすがに、渕山はソファーからたって博尾達を迎えようとした。博尾は軽く右手を掲げて渕山を止めた。


「私の不手際でいろいろとご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」


 たったまま、博尾はメイコともども最敬礼で背を曲げた。


「やっぱりお顔を見て話がしたいですよ」


 カルト宗教がどうかかわろうと、顧客は顧客だ。そこは、渕山もわきまえている。しかし、皮肉な口調になるのはおさえられなかった。


「仰るとおりです。すぐにお話に移りましょう」


 博尾が着席し、タブレットはメイコが預かった。博尾は契約書を改めて渕山の前にだした。


「失礼、拝読します」


 渕山は、一言半句に至るまで徹底的に契約書を吟味し直した。報酬のくだりはたしかに百倍になっている。また、渕山の身心について一切の悪影響をもたらさない誓約、及びそれを破った場合の罰則……報酬を百倍から百五十倍にする……まで盛りこまれている。一方で、今後一回でも挑戦者が成功すれば……つまり、渕山が負ければ……全てご破算とある。残りの挑戦者はあと三人。渕山としても、自分だけが有利になるつもりはない。内容そのものに非の打ちどころはなかった。


「それで、博尾さんは本当に『神捨て』が……あー、被害者の復活まで含めて可能だと考えてらっしゃるんですか?」


 署名する前に、それだけは絶対に本人から聞きたかった。


「無論です。動物実験はすでに成功しましたよ。さっきタブレットでご覧になっただけではありません」


 博尾は、自分の右人差し指でずいっと眼鏡の位置を直した。猫背と相まって、顔より眼鏡が大きくなったような気がした。


「ここにくる前、カラスがやたらに騒いでいたでしょう?」

「あ、はぁ……」


 嫌な予感がしてきた。


「あれは、私が殺したカラスをバーチャル空間で復活させてから実体化したものです。もっとも、何羽かは死体で実体化しましたが」

「……」

「ゆくゆくは、あなたのパートナーであるスゴイワちゃんも……」

「い、いえ、そこまでには及びません。あと、『神捨て』についてですが挑戦者はどんな権利や力を持っているんですか?」

「あなたに面とむかって三メートル以内に近づけば、私に拘束を要求できます。私はそれに応じて三本の赤い輪であなたを拘束します。ただし、この輪はなにかの弾みで壊れたりゆるんだりすることがあります」

「それはどんなときですか?」

「たとえば、挑戦者が激しく動揺したときです」

「鈴木さんのときはどうしてあんな形になったんですか?」

「まだプログラムが安定していなかったからです。同じ理由で、規則として説明できませんでした」

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