第22話 中傷の沈黙 六
かまどは薪をくべて火をつけてあり、鍋からは蓋ごしにグツグツ煮える音がする。畑ごと燃やしてやりたいが、パソコンと帳簿は無視できなかった。
長居すると、本当に中毒しかねない。上着を脱いで顔の下半分に巻きつけ、できるだけ息をしないようにして室内に入った。
速やかに帳簿をめくると、二種類のアルファベットと数字が延々と横書きで羅列されていた。アルファベットの一種類はイニシャルかなにかのような書き方をされていた。もう一種類は大文字が一個ずつ。
手書きではなくパソコンかなにかで印刷されている。大半に、ボールペンで二重線の見せけしが引かれていた。
これだけではなんのことかわからない。時間と酸素がじわじわ消費されていくのは百も承知で、パソコンを起動した。
帳簿にかかわる記録でも読めるのかと思いきや、画面に現れたのは渕山と同じ道路を歩いて丘の頂上を……つまりは渕山自身を……めざす瀬川の姿だった。防犯カメラとでも繋がっているのだろう。
時間が多少かかるにせよ、瀬川は渕山がどこにいようと把握できるようだ。足もケガをしたし、このうえ鬼ごっこをしてもらちが開かない。
瀬川の口ぶりからして、この小屋や畑が彼にかかわっていると推察しても的外れではないはずだ。真相など知りたくもないが、知らねば瀬川の『神捨て』をくじくことはできない。そのためには彼を無力化せねばならない。
鈴木のときと同様、待ち伏せしかないだろう。渕山にとってただ一つの優位は、瀬川には自分の現在地がわかってもなにを狙っているかまではわからない点にある。
しかし、電気柵や虎バサミの様子から彼に用心させてはならない。もっと派手な仕かけを使って、落ちついた判断ができないようにせねばならない。
必死に頭を使い、策を思いつくことはできた。実行には覚悟がいる。
渕山は、覚悟という言葉がそれほど好きではなかった。ボディビルにいそしむ人間の何割かは、有害無益な精神主義や根性主義に陥る。そんな手あいが好んで口にするのが『覚悟』だった。
まさに今、ぎりぎりまで追い詰められてようやく悟った。『覚悟』そのものは少しも悪くない。はき違えた使い方をする人間が悪い。
決断した渕山は、かまどの中で燃え盛る薪を引っぱりだしては小屋のそこかしこに投げつけた。たちまち火が壁をなめていき、可燃物のほとんどが勢いよく煙をあげる。
渕山は、小屋の床に這いつくばった。煙をできるだけ吸わないようにするのと、瀬川の視界に自分をさらさないようにするためだ。
いうまでもなく、無制限に待つことはできない。瀬川がくる前に小屋が焼けおちたら終わりだ。
ふくらはぎの痛みに加え、汗だくになるくらいでは追いつかない熱気が渕山を拷問さながらに苦しめた。自分が持たなくなるのが先か、瀬川がくるのが先か。
蒸し焼き寸前の渕山が意識を失いかけたとき、小屋のドアが乱暴に開けられた。右手にバケツを持った瀬川が、血相を変えてはいってくる。全身びしょ濡れだった。察するに、まず自分が水をかぶってからバケツに水を満たしてやってきたのだろう。
瀬川の爪先が目の前まできた。渕山は起きると同時に肩をみぞおちにめりこませた。奇襲は完璧で、瀬川はうめき声さえだせずに背中から床に倒れた。バケツが手から離れて転がり、せっかくの水がぶちまけられた。
「こ、拘束だ!」
叫んだのは渕山ではない。彼に馬のりされかかった瀬川が一言発しただけで、渕山の身体は三本の赤い輪に捕らえられた。
「どけよ!」
攻守逆転し、渕山は輪のせいで動けないままあおむけに寝かされた。今や瀬川が渕山を見おろしている。
「さんざん引っぱりやがって。じゃあ、薬を飲めよ」
『渕山様の拘束を確認しました! では、いよいよ最後の試練に移ってください!』
勝ち誇った瀬川の表情が、どこからともなく聞こえてくるメイのアナウンスで即座にくもった。
「なんだよ、最後の試練って! こいつを捕まえるのがそれなんじゃないのか!」
瀬川は憎々しげに渕山を指さした。渕山からすれば知ったことではないが、黙っていた方が瀬川の自壊を早められそうなので口は閉じておいた。
『渕山様に薬を飲ませて殺せば勝利ですが、むりやり強制するのは失格です』
「そこまで聞いてないぞ!」
『申し訳ございません。ご質問がなかったので。でも、大事なチャンスではありませんか。意識を切りかえていきませんか? 小屋もそろそろ全焼ですし』
犯罪者の自己救済を励ます礼儀正しい美人の技術スタッフ。風むきは必ずしも渕山に不利ではなさそうとはいえ、頭がおかしくなりそうだ。
「じゃ、じゃあどうすればいいんだよ!」
瀬川は、メイさえかかわってなければ渕山を首をしめてでも殺しかねなかった。
『渕山様に、ご自分の犯罪にちなんだ質問をして下さい。渕山様が不正解なら瀬川様の勝利、逆は逆です。ただし、小屋が焼けおちたらお二人とも失格です。それから、この小屋にヒントがある質問でなければなりません』
「いきなりいわれてパッと質問なんて思いつけるか!」
『私の計算では、小屋が焼けおちるまであと約三分です』
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