第16話 粘着の解脱 六

 音のした方に注目すると、フロントのすりガラスが木っ端微塵に割れている。気をつけの姿勢で、頭からすりガラスを割って室内に乱入したのは佐藤の部屋にいた三つ揃いだった。当人は指一本変化しないまま棒のようにまっすぐ押しだされ、ごとんと床に落ちる。


 その直後、佐藤がガラスのなくなった穴からもぐりこんできた。つまり、佐藤はあたかも破城槌のように三つ揃いを使ってすりガラスを割った。


「探しましたよ! ケガもしていたのに、血のですぎで死んじゃったら困るじゃないですか!」


 極端に常軌を逸した事態が渕山を金縛りにしているのをいいことに、佐藤は勝手なことをまくしたてた。


「ちゃんとパイプも持ってきたんですよ。罰ゲームを再開しなきゃ」

「あ、あんた……プロデューサーとホテルの人間の両方から嫌なことをされたんだろ?」


 無神経な質問にもほどがあるのは百も承知だ。渕山も唯々諾々と佐藤に従ってはいられない。


「そうですよ。だから殺したんです」

「警察に訴えたらすんだ」

「じゃあ私の生活はどうなるんですか! お金は! 仕事は!」

「あんたぐらいに美人でスタイルがよければいくらでもツテができるだろ?」

「わかってませんね! あたしみたいな地下アイドルがもめごとを起こしたら、どこの事務所でも使ってくれませんよ!」

「なら仕事を変えろよ。屈辱にまみれてまでやることか?」


 渕山とて必死に自力で営業努力を積んできた。佐藤の境遇には同情するが、手放しで認める気にはなれない。殺人や死体への恐怖をまぎらわせるためにも、佐藤に対して突き放した態度をとらざるをえなかった。


「あなたにあたしのなにがわかるんですか!」

「なにを抱えてるっていうんだ」

「自分の家で母親が不倫相手とセックスしまくってるような家庭だったんですよ、あたしん家は! そんな母親の血を引いているのがたまらなく嫌で、路上スカウトについていったんです! 初めてあたしの値打ちをちゃんと認めてくれる人に会えたんです!」

「結局そのプロデューサーに裏切られたんだろう?」

「ええそうですよ! 最初はぎりぎりの寸止め画像とか水着写真とかだったんです! でも、たいして売れなくて、ついに本番ありのポルノをやろうっていわれたんです! でもあたしは断りました!」

「それでむこうが諦めるはずがなかった」

「そうしたら、いつもの撮影中にホテルの支配人とプロデューサーの二人がかりで襲われたんです! 必死に抵抗したら化粧台の椅子でプロデューサーを殴り殺して、理性が効かなくなって支配人もやっちゃったんですよ!」

「俺と心中すればそれらが全部清められるとでもいいたいのか?」

「当たり前です。だからこその『神捨て』なんですよ!」

「落ちついて考えろ。俺とその儀式がどう結びつくんだ?」

「それは……ここにきたら、自然とそういうアナウンスが……」


 ようやく佐藤の熱が多少なりと落ちてきた。


「俺はそんなもの聞いてない。バーチャル空間の心中で無罪放免だなんて、ちょっと考えたらおかしいってわかるだろ?」

「だったら、あなたはどうしてここにいるんですか?」


 佐藤からすれば肝心な質問だ。渕山からすれば、まさか博尾に依頼されたとは明かせない。さりとて下手な嘘はつけない。


「『神捨て』に疑問を持っていて、検証するためにやってきた」


 どうにかぎりぎりのラインを守った。


「そ、そんな……」

「あんたこそ、どうやって『神捨て』にいきつけたんだ?」


 渕山は、本気で知りたくて尋ねたのではなかった。当人の背景がどうあれ、凶悪犯罪者がすがりつきたくなるネタを博尾が意図的に流したと知っていれば十分だ。本音としては一刻も早く本業にだけ専念したい。


「どうやって……どうやってって……。そんなの、あたしの勝手じゃないですか! もういいです! どうせあたしの気持ちなんてだれもわからないんですから!」

「お、おい、落ちつけよ」


 思わず渕山はなだめたが、佐藤は持参してきたパイプ……まさに渕山を刺した物……を自分の左胸にあてがった。止める暇もあればこそ、佐藤はパイプごと床に身体を投げだした。ブラウスと皮膚が裂ける音がして、パイプの切っ先が彼女の体内に食いこんだ。


「ごぼぉっ! いびたび……いいっ! び、びといぎに……死ねるって……嘘じゃない……! いだび! いたび!」


 苦しさのあまり、佐藤はのたうちまわった。


「だずげで……ごぼっ……ごぼっ……ママ……お願び……じぬの……びや……心中なんで……ぢっども……うづぐじぐ……ない」


 床を血まみれにしながら、佐藤は泣いて後悔した。それも、ぴくぴくと引きつる手足が力を失うまでだった。時間にすればせいぜい一分ほどか。


『おめでとうございます! 勝者 渕山!』


 鈴木のときと同じアナウンスが、間抜けというも腹ただしいことこの上ないタイミングでありがたくもなんともない祝福渕山にを与えた。


 アナウンスが終わるや否や、室内は……コップに水を注いだかのごとく……なんの前触れもないまま海水で満たされた。そのときには渕山の姿は消えていた。

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