四 イタすぎる超逆ギレ毒男君

第17話 中傷の沈黙 一

 ようやくにも、呪宝如来の部屋に復帰できた。


 博尾の姿はなく、テーブルにはついさっき……という感覚が正しいかどうか……まで彼が読んでいた契約書が置かれていた。書類のむきも変わってない。手洗いかなにかで席を外しているような錯覚すら覚えた。


 渕山は、手を伸ばして契約書を改めたいという気持ちをどうにか抑えつけねばならなかった。博尾から渡されない限り礼を欠く行為になる。


 さらには、左袖のシミは相変わらずいすわっている。


 しつこく鎌首をもたげる葛藤を心の中で叱りつけていると、ドアがノックされた。


「はい」

「失礼します」


 現れたのはメイコだった。右肩から左脇腹にかけて、青黒いベルトを斜めにかけている。ベルトはタブレットにつながっていた。


「大変申し訳ございません。博尾は急用ができてしまい、いっとき席を外さねばならなくなりました。こちらに帰ってくるまで数十分ほどかかるとの話です。渕山様にご要望がございましたら、私が承ります」


 もどかしい事実がよどみなく説明された。渕山は座ったまま聞いており、メイコはたったままだ。説明が終わっても、渕山としては着席を促す気になれなかった。微妙な立場の差もあるが、ここにきてから異様な事態がとどまらずに苛だっていたことも大きかった。


「あのう、失礼ですが先ほど……」

「佐藤様における『神捨て』は、博尾の設定ミスからきた没入であり心からお詫び申しあげるとのことです」


 渕山の不満を見透かしたように、メイコは遮った。


「没入っていうのは私がバーチャル空間に入ったことですか?」


 メイコに答えさせても仕方ないという思いもあったが、聞かずにはいられなかった。


「左様でございます」

「契約違反で……うわぁっ!」


 右足首を、いきなりなにか硬いものでつつかれた。仰天した渕山は手足をすくめて背中でソファーの背もたれを叩いた。慌てて腰をかがめ、床を見まわすと一羽のカラスがうずくまっている。捕まえるべきかどうか迷っていたら、溶けるように消えてしまった。


「いかがなさいました?」

「い、今、カラスが!」

「カラス……? で、ございますか?」

「いたのに消えたんです!」

「はぁ……」


 気の抜けた返事がなんとももどかしい。メイコに怒るつもりはないが、役割上どうにもならない。できるだけ穏便に抗議しようとはしているが、渕山にも喜怒哀楽というものがある。


 自分の感情を多少なりと整理したくて、渕山はソファーに座り直した。その直後、脇腹に鋭い痛みが走った。まさに佐藤に刺されたところだ。


「渕山様、ご気分を悪くなさいましたか?」


 メイコは鉄面皮のままだ。彼女の気遣いが契約についてなのか負傷についてなのか、判然としなかった。


「い、いえ」


 すぐにでも服を脱いではっきりさせたい。しかし、まさかメイコのいる前でそれはできない。手洗いにでもいけば……。


「博尾は、渕山様への報酬の上積みで対応したいとのことでした」


 傷より金だ。メイコは、渕山の真の泣きどころをしっかりわきまえていた。


「具体的にいくらですか?」

「最終的に、全てひっくるめて当初の五倍とのことです」


 もし本当なら、数か月は遊んで暮らせる。あるいは愛車を買い換えられる。


「またこんなことがあったら困りますよ」


 脇腹はいつでも拝める。それより釘を刺す方が重要だった。メイコの美しくはあるが無表情な顔に、渕山はもっとも至極な苦情を投げつけた。


「その点につきましては、博尾が責任をもって対処するとのことです」


 丁寧だし筋は通る……メイコが答えたように博尾が実行するなら。


 じつのところ、渕山はいいように博尾に振りまわされている感情がわだかまっている。顧客だからまだ耐えているが、メイコではなく本人が説明して頭を下げて欲しい。だから、渕山としては博尾が姿を現すまでの時間潰しかたがたメイコを質問責めすることにした。少しでも多くの情報を手にする意味もある。


「あと、佐藤さんもここの地下室にいるんですか?」

「はい、そうです」

「鈴木さんとは別に?」

「はい。ただし、今は同じ部屋にいます」

「同じ部屋?」

「『神捨て』に失敗し自首が決定した以上、孤立した環境で思い詰めるのではなく同じ立場同士で語りあうのが人間性を回復する近道だと博尾は考えております」


 鈴木と佐藤……いっしょにして大丈夫なのだろうか? 一見、正論には思える。しかし、そう簡単に人の精神が切り替わるのだろうか?


「こちらで、お二人のご様子がわかります」


 メイコはタブレットを渕山に良く見えるように掲げ、スイッチをつけた。


 天井の隅につけたカメラから、まさしく二人がテーブルを挟んで食事をしていた。ハンバーグと白米、カップスープが和やかな会話とともに減っていく。こんな状況でなければ、恋人達のデートと誤解したかもしれない。


 いや。バーチャル空間なのは差しひくにせよ、あれほど恐ろしい最期を遂げたというのにどうしてこんな穏やかな雰囲気になるのか。


「二人に限らず、『神捨て』はご本人が抱える浅ましい自己保身を疫病神とみなして捨てさせるところに意義があります。もちろん、裁判なり処罰なりは受けねばなりません。ある意味で、その覚悟を踏まえたからこそはればれしているのです」


 渕山の心境を見透かしたかのように、メイコは語った。


「そこまで整理がついているなら、まあ理解できなくはないですが……」


 なんとなく気になり、渕山は呪宝如来をちらっと見た。


 やはり、新たに変化している。


 佐藤と会うまで、如来はなにも持っていなかった。今は独鈷が右手にある。握り拳三つ分くらいの長さをした、先端が鋭く尖った仏教の法具だ。銅かなにかでできているように思えた。


「いくら悟ったところで、犠牲者やその遺族にはなんの救いにもならないのですけれどね」


 メイコの台詞に、渕山は心底ぎょっとして如来から目を離した。

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