第13話 粘着の解脱 三

 この調子だと、布団の下になにが潜んでいるのかわかったものじゃない。知りたくもない。渕山の立場からすれば、事情も知らないまま逃げることもできない。物理的に離れているのと彼女がまだ関心を寄せてないのとで、手足の震えを知られずにすんでいるのがまだしもの幸いだった。


「ない」


 彼女は一言だけ口にした。渕山に対してなのかどうかも定かではない。


「え?」

「拍手。ない」

「拍手?」

「あたしはアイドルなの!」


 今度ははっきりと渕山を睨みながら、彼女は乱暴に布団をはぐった。腰から下は、ぴっちりめな青いデニムをはいている。いや、元は青一色だったのだろう。彼女の手や顔と同様に、赤い血の染みがついている。


 それもそのはずだ。ベッドに座ったまま投げだされ、少し開かれた彼女の両足の間で誰かがうつぶせになって横たわっている。衣服は茶色の三つ揃えのようだが、白いシーツを当人のものとおぼしき大量の血液が広がり汚していた。とうに乾いてはいるが、血の不快な臭いはますます強烈になった。


「い、いやアイドルって……。俺、業界音痴だし」


 火炎放射器よりはマシだと思いたいが、別な意味で面倒くさい。


「アイドルっていったんだからまず拍手! それから名前聞く! どんな教育受けてるの!?」


 金切り声で彼女は要求した。面倒くさいのを通りこしてトンチンカンそのものだ。


 ぱちぱちぱち。商売柄、相手にあわせる習慣がついている渕山はとりあえず手を叩いた。


「お名前は?」


 『お』が我ながら皮肉な抑揚になってしまった。ただでさえうんざりする状況だからしかたない。


「はーい、ありがとうございまーす! 当てっこタイム、ようやくきましたーっ!」


 さっきまでの不平はどこへやら、ほがらかに彼女は宣言した。


「当てっこタイム?」


 なんとなく察しはつく。願い下げだが。


「まず、あたしの名前を当ててくださーい! 日本じゃすごくありふれてますから、簡単ですよー!」


 彼女の言葉に揺すられ、うつぶせの三つ揃いがかすかに揺れた。


「佐藤……さん?」


 鈴木はさっきでてきたから、確率的には妥当だろう。それに、博尾によればデマらしいが鈴木からでてきた名前でもある。


「せいかーい! よくできました! じゃあ、あたしの所属事務所を当ててくださーい!」


 知るか、という罵声が危うく口からでるところだった。佐藤つながりでデマを知っているかどうかくらいは尋ねたいが、彼女のペースに呑まれっぱなしだ。


「三! 二! 一! 時間切れーっ! あなたの負けでーす!」


 勝手にカウントダウンした佐藤は、にこにこ笑って渕山の敗北を告げた。


「はぁ……」

「じゃあ、罰ゲームをやってもらいますねー!」

「はぁっ!?」


 なんとも聞き捨てならない。そもそも、さっきからぴくりとも動かない三つ揃いが不気味で仕方ない。さらには、ずっと佐藤のペースだけで話が進められている。


「今回の罰ゲームは……うーん、どうしよう。そうだ! 闇にあふれた愛の流血ごっこにしよう!」


 陳腐というも幼稚なセンス。


「まずは輪っかをお願いしまーす!」


 佐藤の要望に応えるように、なにもなかったはずの空中に赤い輪が三本現れた。鈴木のときと変わらない。渕山はたちまち輪に捕らえられた。


「よいしょっと」


 佐藤はベッドを降りて、自分の手を伸ばせば触れられる位置まで渕山に近づいた。手ぶらに思えて、彼女の右手には先端を尖らせた細い金属製のパイプのようなものが握られていた。長さは五十センチ近くある。左手には、プラスチック製の巨大な……三リットルはありそうな……計量カップを持っている。


「じゃあ、ルールを説明しますね。今からあなたの背中を、この管でグサッと突き刺します。といっても内臓は避けますから。それで、でてきた血をこの計量カップに入れます。血が一リットルをこえたと思ったらストップっていってください!」

「そ、そんなめちゃくちゃな罰ゲームがあるか!」

「大丈夫ですよ、バーチャルなんですから」

「そういう問題じゃないだろ!」

「うるさいなぁ。ちなみに一リットルをこえないでストップしたら、罰ゲーム失敗で心臓をやっちゃいますよ」


 説明しながら、佐藤は渕山の背後に回った。


「あ、ちなみに二リットルの血を失ったら人は死にますから」


 あくまで楽しそうに佐藤はつけ加えた。


「やめろ! いい加減に……」

『次に、殺人事件のニュースです。本日午前十時ごろ、静岡県静岡市にあるホテルで発見された遺体は警察の調べで他殺体と判明、殺人事件として捜査することが決定されました。死因は鋭い刃物で胸を刺されたことによる失血性ショック死とのことです』


 誰も指一本触れてないのに、室内のテレビが突然ついた。渕山からも報道が見えた。ありふれたニュース番組のようだ。看板や野次馬にモザイクをかけた上で、パトカーに横づけされた建物が画面に映っている。その片隅では、真剣な面持ちのアナウンサーが別枠で表示されていた。


 無関係だとはとうてい思えない。ましてや、『神捨て』云々を踏まえるならなおさらだ。


 ここはあくまでバーチャル空間だから、ベッドにぽつんと残る三つ揃いもただの立体映像だ。ただし、死体か死体に近い状態なのはもはや疑いようがない。


『関連情報です。その後の調べで、遺体の身元は芸能プロデューサーのAさんだとわかりました。Aさんは遺体の発見現場となったホテルに、昨夜十一時ごろ一人の女性といっしょに入る姿を目撃されています。警察ではこの女性がなんらかのかかわりを持つものとして……』


 映像が現場からスタジオに切り替わり、さっきまで小さな別枠だったアナウンサーが画面の中心を担って説明した。


「なんでAにさんづけするのかな。嘘つきのド変態で人でなしなのに」


 渕山の背後で、佐藤が怒りと屈辱に満ちた不満をぶちまけた。返事をするかのように、テレビは勝手にまた別なチャンネルを画面にだした。


 安っぽい音楽が流れるさなか、少なくとも見た目にはここと全く同じ部屋で際どい水着姿の佐藤がいた。

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