三 熱弁より次の人。パイプ槍でグサッとな。

第11話 粘着の解脱(げだつ) 一

 ぺいじをめくるような変化は、気がつくと過ぎさっていた。


 窓一つない、呪宝如来……正確には模造品……のある部屋で博尾とむきあっている。渕山の目の前には、飲みかけのティーカップがテーブルに置かれて湯気をたてていた。汗で濡れそぼっていたはずの服もふだんと変わってない……いや。


 ポロシャツの左袖に、かすかだが黒いシミがついている。火炎放射器や看板で痛めつけられたのと全く同じ箇所だ。身だしなみに気を配っている渕山としては、自宅をでたときには覚えがない。大仕事に備えて、わざわざ新品を買ったのだから。


「どうかなさいましたか?」


 分厚い眼鏡の奥で、博尾はじろじろと渕山を見た。


「い、いえ……あの、『神捨て』とかいう儀式を……その……」


 しどろもどろな渕山の言葉が、小さな泡のように消えた。


「『神捨て』をご存じでしたか。それなら話が早い」


 早いもなにも、鈴木の主張が正しいなら博尾自身が渕山にむりやり知らしめたのではないか。


「今回のバーチャル空間は、ほぼ完璧なできばえです」

「じゃ、じゃあやっぱり……!」

「いや、お待ちを。渕山さんが仰りたいのは、いきなりあんな支離滅裂な出来事にさらされて納得できないということですよね?」


 博尾は、右手のひらをかざすように渕山へさらした。


「はぁ……まぁ……」

「誤解のないよう申しあげますが、これは契約に則った行為なのです」

「えぇっ!?」


 筋肉をつける訓練に、なぜバーチャル空間や……救いようのない外道だったとはいえ……残虐な最期が必要なのか。


「千島氏から引き継いだ契約書によれば、本契約の前に渕山さんがトレーナーにふさわしい能力を実演するとありますね。で、顧客が……ここでは私が……最終的に本契約に至るかどうかを判定する、と」

「仰るとおりですが、あくまで肉体的な力や指導力についてであって……」


 いくら金のためとはいえ、受けいれられる容量には限度がある。


「まさに指導力をもっともっと見せて欲しいんですよ。でないと、私はすぐに飽きて投げだしてしまいますから。いや、渕山さんの方から投げだされるのは自由です」


 手前勝手な話を押しやってくるという意味では、博尾も鈴木も大同小異だ。


 談判破裂で下山するのが、身の安全という点ではもっとも妥当だろう。見きり千両というではないか。


 すると、他の何者かが手を上げる。トレーナーは別に、渕山以外にいくらでもいる。かくてチャンスは他人手ひとでに渡る。


 金はあるところにはある。逆も真なりで、ないところにはない。


「いくつか質問をいいですか?」


 渕山としては、ここまでの情報だけで決断するわけにいかない。


「どうぞどうぞ」

「鈴木……さん……は実在する人間なんですか?」

「ええ」


 あっさりと博尾は認めた。


「生きているんですか?」

「至って元気ですよ。この館の地下にいます」

「地下……?」

「最初から説明しましょう。『神捨て』は私なりに思案した社会の治安維持装置なのですよ」

「治安維持装置……?」


 博尾の説明をおうむ返しするしかない。


「はい。自首する気のない犯罪者にその噂を流し、ここまでやってこさせる。バーチャル空間で自分のやってきたことを自覚させ、審判をくだす。儀式に失敗したら自首させるという段取りです」

「儀式って……」

「生け贄を殺します」


 生け贄とやらが自分自身なのは、渕山にも理解できた。笑えない。


「最初から説得しないんですか?」

「それがうまくいけば世話はないですよ。ああした連中は、人間がいくら説いて聞かせても頑として認めません。しかし、神仏の絡んだ儀式の結果なら乳児さながらに応じます」

「どうしてその計画に私を組みこんだんですか?」

「ちょうど、ここまではるばるやってくる常識人だったからです。むろん、トレーナーとしても働いて頂きますよ」

「事前に説明が欲しかったですね」


 なるべく突きはなした言い種にならないよう気をつけたつもりだったが、相当に冷ややかな口調になってしまった。当然だろう。生死の境を味わわされたという点では渕山は被害者だ。


「申し訳ありません。どうしても、最初の一回目だけは先入観のない状態で当たって頂きたかったので」

「これからは、仮に『神捨て』を実行するなら詳細を教えて下さるんですか?」

「もちろんです」

「バーチャル空間での負傷や病気は、現実には関係しないということでいいですか?」

「それもまちがいありません」


 流れるようにすらすらと、博尾は保証した。


「あと何回『神捨て』が残っているんです?」

「六人です」

「失礼ですが、おもてなしのお茶に薬物でもはいっていたんですか?」

「いえ、お茶はただのお茶です」

「なら、どうやって私をバーチャル空間に入れたんですか?」

「よくぞ聞いて下さいました!」


 事務的な態度をかなぐり捨て、博尾は自らの両手で自らのズボンの膝に深いシワを作った。


「私が開発した脳波干渉装置こそが『神捨て』の正体にして基本なのです! 今はまだ大雑把な範囲にムラのある形でしか効果が及ぼせませんが、もう少し改良すれば自由自在に相手をコントロールできます! そもそも脳波は生体反応として……」

「そ、それって人権とかでまずいんじゃないんですか?」

「大丈夫! あくまで犯罪者に対してだけ使いますから! この仕組みは私にしか使えませんし!」


 ものすごく大丈夫ではない。が、渕山としては自分に損失が及ばないかぎりどうでもいい。まして商談の場だ。


「あー、その、細かい知識はいらないです。私はあくまでボディビルのトレーナーですから」


 門外漢としては、無関心な分野で専門家の長広舌を拝聴する気になれない。


「失礼しました。つい、熱が入りすぎまして。ともかく、ご質問はまだありますか?」

「佐藤って人が『神捨て』を達成したとか……」

「ああ、それはデマです。ひ……参加者を集めるための」


 ひ? なんのいい間違えだろう。


 さておき、やはり鈴木が信じているようなうまい話でないのは明らかだ。


「はい、それで十分です。ありがとうございます」


 ぼつぼつ決断をせねばならない。

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