第8話 焦慮の脱出 四

 一度外にでると、渕山は全力でスーパーから離れた。頃あいを見て振り返ると、一階は完全に炎の餌食となっていた。残りの階も時間の問題だろう。


 結局、この辺りにある建物はほとんど火にまかれてしまったようだ。ならば、路上も決して安全ではない。


「おいっ、起きろ! おいっ!」


 渕山は、鈴木を路上にあおむけに横たわらせてから乱暴に脇腹を蹴った。


「うぐぐぐ……」

「さっさと起きろよ!」


 鈴木を制圧しただけでは根本的な解決にならない。生命の危険が差し迫っている恐怖が、渕山から余裕や礼儀を奪っていた。つけ加えるなら、鈴木は理屈もへったくれもなく自分の命を狙ってきた人間でもある。


「うわぁっ!」


 目を覚ますや否や、鈴木は手足をすくませた。


「うわぁっ!」


 鈴木が仰天したこと自体に、渕山は驚かされた。


 愚にもつかないギャグコントをしている余裕はない。


「鈴木さんなんだよな、『燃やしてみた』の」


 怒りを隠さず、渕山は聞いた。


「そ、そうだけど」

「あんた、ここからどうやって安全地帯へいけるか知ってるんだろ?」

「お前を殺したらいける」


 鈴木は真顔だった。


「はぁっ!?」

「だから、死んでくれ」

「ふざけるな! 変な薬でもやってるのか!?」

「お前こそ、俺よりは歳下だろ!」


 渕山は二十代になったばかりだが、鈴木は三十前後としか思えない。


「だからなんだよ!」

「まず敬語を使えよ!」

「こいつ……人を殺しかけといて礼儀を云々できた義理かよ!」

「殺しじゃねえよ! 神捨てだよ!」

「ああ、俺のスマホにもそんな話がきてたよ。どうやったらそんな与太話を信じられるんだよ!」

「メイコってメイドがはっきりそう保証した!」

「なに!?」


 聞き捨てならないとはこのことだ。


「ここは本当の現実じゃない。メイコの主人の博尾って奴が作ったバーチャル空間だ。俺は博尾の研究にお前を殺すことで協力して、成功すれば罪をもみ消してもらえるって話なんだ」

「あのな……。ちょっとは考えろよ。どうやってお前の犯罪をチャラにできるんだよ」

「そりゃあ……コンピューターの専門家だし……」

「仮にできるんだったら、とっくに博尾さんはやりたい放題だろ!?」

「そこまで知らねえよ! どうせ他にやれることはねえし、目の前で札束も積まれたんだ!」

「いい加減にしろ! いってることが支離滅裂だ!」

「じゃあ、お前が俺の記録を消してくれるのかよ!」

「おとなしく刑務所にいくしかないだろうが! だいいち、武器がなけりゃ俺にかなわないのはもうわかっただろ!」


 それは事実だ。


「け、けどよ……どっちみち、お前をやらなきゃ……」

「どうせバーチャル空間だから、俺を本当に殺したことにはならないとかなんとか説得されたんだろ?」


 半分はハッタリの当て推量でカマをかけた。鈴木は黙ってうなずいた。ということは、鈴木の倫理感覚は完全には麻痺してない。


「いくらなんでも、俺達を未来永劫ここに閉じこめてはいられないだろ? ゲームに協力したのは事実なんだし、こうなったら俺を殺すどころじゃないよな? だったら、二人で元にもどる算段をつけようじゃないか。そうすれば、俺が博尾さんを説得してやるよ」


 鈴木の主張が事実なら、渕山が黙って殺されるのが一番手っとり早い。渕山からすれば、バーチャルだろうとどこだろうと納得もできないまま殺される筋あいは一切なかった。もっとうがったことを考えるなら、鈴木はそれで脱出できても渕山は本当に死ぬような仕かけかもしれない。だから、ぎりぎりまで死ぬという選択肢は実行できない。


「ほ、本当か?」

「ああ。ここで口論するよりマシだろ」

「そうだな。ああ、そうだな」


 顔をしかめながら、鈴木はようやく身体を起こした。さっきの乱闘で肩を痛めているから辛そうだったが、手を貸してやる気にはなれなかった。


「そっちの方がこの辺りに詳しいんじゃないのか?」


 どのみち渕山は門外漢だ。


「いや、俺もここの道なみしか知らない」

「なら無事な建物を探すしかないな」


 そう口にしつつも、当てらしい当てはない。


 と、ここで渕山のスマホがメールを受信した。中身を開くと、簡単な地図が添付してあった。道筋が明るく光り、目あてとおぼしき建物に赤い立体矢印がついている。


 察するに、これもこれ以前のメールも博尾の差し金だろう。すべて彼の手のひらのうえなのは百も承知で動くしかない。


 渕山は、一人ですたすた歩きはじめた。鈴木があとを追う。


「俺ってモテるしみんながチヤホヤするから、動画配信とかいけるかと思ったんだよな」


 道すがら、聞きもしないのに鈴木は身の上を語ってきた。正直なところ、ろくな人間でないのは明らかだ。しかめた顔が鈴木に伝わってないのがまだしもの幸いだった。この類とは、できれば徹底的にかかわりたくない。不機嫌な様子すら見せたくない。


「最初はさ、食レポとかでけっこう同接稼いでたし羽振りもいいから大学やめてこれ一本でやってこうときめたんだ。なんか決断力あってカッコいいかなって思って」


 根っこはともかく、うわべだけで判断するなら少しだけ渕山と似ている。それがますます近親憎悪めいた感情をかきたてた。


「そしたらさ、とたんに人気が落ちちゃってかなりショックだったよね。もう、なにやっても落ちてばっか」


 いいかげん、無視されているのに気づいて欲しい。


「でさ、いろいろ頭使ったんだよね。迷惑系は絶対ヤだけどさ、なんとか再生は稼ぎたいよね」


 たいよね、といわれても。


「思いついたのが『燃やしてみた』なんだよな。炎上のメタネタ。なんでもかんでも燃やすんだ。ヤバいくらいウケたよ」


 だんだん本気で聞きたくない領域にさしかかってきた。


「最後に燃やしたのが古タイヤとアスファルト。近くで遊んでたクソガキがボールをぶつけやがって、山火事になったんだ。クソガキもそのクソ親も死んだみたいだけど、俺は逃げた。だって俺の責任じゃないし」


 どちらかといえば、鈴木こそ火炎放射器で焼き殺されるべきだろう。

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