第7話 焦慮の脱出 三

 真っ暗闇より辛うじてましな明るさだが、このままでは用事にならない。渕山はスマホのライトをつけた。期待を満たして二階の様子がわかる。書店だ。一つの階が丸ごと書店になっている。


 一冊一冊の本は、世間で良く見かける内容ばかりで大した意味はない。のんびり読書している場合でもない。


 焦る気持ちを抑えつつライトの光を左右に振ると、窓を塞ぐ忌々しい鉄板の一枚一枚に同じ印が刻まれているのがわかった。ためつすがめつしていると、QRコードだと察しがついた。


 正直なところ、果てしなく係わりたくない。やるしかない。


 しぶしぶスマホのカメラで読みとると、すぐにリンク先のサイトへいけた。ネット動画の投稿を扱っているところで、実のところ渕山も利用していた。厳密には、サイト内にある個人のページだ。むろん、渕山のページではない。


 直近の一連は『燃やしてみた』というファイル名でまとめられている。ページの利用者は、自分の名前を『タイマツルート』などとうそぶき宝箱のような仮面をかぶっている。


 渕山は、最新の動画を再生した。


「ファンの皆さん今日はー。タイマツルートです。今回の『燃やしてみた』は、古タイヤのアスファルト添えです! お楽しみに!」


 良く晴れた白昼、明るく陽気な音楽とともにタイマツルートが喋りだす。声音ですぐに鈴木だと判別できた。


 動画の中で、鈴木は折り畳み式の茶色い長テーブルを前にたっていた。背景から、どこかの山にあるキャンプ場なのがわかる。顔は不明瞭だが、ボール遊びをするこどもたちもちらちら映っていた。


 テーブルの上には、鉄板を組みあわせた握り拳二つ分くらいのコンロが置いてあった。コンロとテーブルの間には分厚い板が挟まれ、防火用と白抜きで記された赤いバケツも隣にある。


 コンロの中には古タイヤの切れ端が詰めてあった。


 音楽が盛りあがり、タイマツルートこと鈴木は市販品の着火剤をタイヤにまぶした。それからノズルつきの大きなライターで点火する。たちまち古タイヤが燃えあがった。


 再生画面の下にあるコメント欄には、面白がってはやしたてるような意見もあった。一方で、回を重ねるごとにエスカレートがとまらない動画の内容を批判するものもあった。


 派手に炎をほとばしらせつつ、まっくろな煙を激しくたち昇らせる様子がアップで映され、音楽がいっそう強く演奏された。


 その直後、突然やってきたボールがコンロを跳ねとばした。弾みで防火用水のバケツをも倒してしまう。アスファルトを交えた古タイヤは長机にたちまち火をつけた。


 画像がいきなり下に落ち、カメラが地面に落ちたとわかった。あちこちから火事だという絶叫や悲鳴が響き、長机をなめつくした炎がキャンプ場の草むらや木に移ってなお広がった。カメラもまた炎に飲まれ、動画はそこでとぎれた。


 鈴木が火事を起こしたのは明白だ。渕山は、暇さえあれば身体を鍛えていたからこうしたニュースには関心を持っていなかった。ならば、警察に捕まるどころか軍隊で使うような火炎放射器を担いでそこかしこに火をつけ回っているのは何故だ。


 当人の台詞と、この界隈にきてからスマホでもたらされた情報を総合すると……。


 まさか、自分を殺せば神捨てとやらが成立するのか。ナンセンスをとおりこして狂気の沙汰だ。当然ながら、渕山は一切関係ない。鈴木の犯罪を減刑できるはずもない。


 せめて、洋館の中で鈴木と対峙していれば糾弾する機会があったかもしれない。


 虚しい仮定の数々は、こちらに近づく鈴木の……彼以外に誰がいよう……足音に踏みつぶされた。


 隠れるのは無意味だ。一階と同じことをされたら今度こそ逃げ場はない。本を投げつけるのも愚策にすぎない。


 待ち伏せしかない。幸い、こちらの方が暗闇に目が慣れている。だが、相手が火炎放射器を撃つ前に襲わねばならない。つまり、なるべく階段に近い場所で仕かけねばならない。鈴木はわざわざ渕山に近づかずとも、火をつけさえすれば渕山を始末できるのだから。


 いうは易しで、一度しくじれば二度目はない。腕っぷしなら自信はあるが、渕山は虫を殺すのにも抵抗を感じる人間だ。化け物や超自然現象とはまた別な恐怖がつきまとってくる。


 足音は次第に高く大きくなってきた。もう迷っていられない。


 鈴木に悟られないよう、靴底を滑らせながら階段に近づいた。危うく忘れかけていた熱気が下から渕山をあぶった。いざ決断すると、うまい具合に階段を見下ろす場所につけた。


 丸腰の人間を武器の力で追い詰めるなど、訓練された兵士でもなければ慢心して当たり前だ。無用心に段を上がる鈴木の頭上に、渕山は飛び降りた。


 明かりがないのと、渕山自身が思わず目をつぶったのとで着地点が微妙にずれた。渕山の両足が、鈴木の右肩を直撃する。下手をすると脱臼してもおかしくない衝撃だが、火炎放射器のベルトが辛うじてそれだけは防いだ。もっとも、いきなり上から七十キロ近い塊が落ちてきて均衡を保てるはずがない。がくんと膝を屈し、鈴木は階段にうつぶせになって倒れた。渕山が鈴木の後頭部を蹴りつけると、呻き声もあげずに鈴木は気絶した。


 分秒を惜しんで火炎放射器を鈴木の身体から外し、渕山は鈴木を肩に担いで階段を走り降りた。なるべく息を抑えつつ、スーパーをあとにする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る