第6話 焦慮の脱出 二

 なんにせよ、与えられた環境にあわせていくしかない。神捨ての儀式について、リンクをたどった。


『神捨ての儀式


 災厄をもたらす悪い神々を捨てるための儀式。


 挑戦者は、静岡県巣出村へいき神捨ての祠で自分の境遇を述べる。それから試練を受け、成功すれば悪い神々を海へ流すことができる。失敗すれば死ぬ』


 いや。いやいやいや。


 渕山は、自分で把握する限り神捨てなど必要としていない。むしろ福の神に憑かれているとすら思える。起業が順調に進んでいるのだから。だいいち、挑戦者は鈴木という人物だそうだ。博尾がなにか勘違いを……。


 スマホをしまいながら、渕山は頭をぐるっと回して店の外を眺めた。フランス料理屋、丼物屋、蕎麦屋に中華料理屋……。飲食店ばかりだ。そういう専門街かなにかだろうか。


 がしゃん、とけたたましい音がした。はすむかいにある丼物屋の窓が割れ、派手に炎と煙が吹きあがった。次いでフランス料理屋も中華料理屋も、要するに手近な飲食店は次から次へと火災の餌食になっていく。


 無意識に、かつ反射的に身体をすくめた渕山はまだ無事そうな建物を両目で必死に探した。かなり距離はありそうだが、大型スーパーへいけばどうにかなりそうだ。映画館やゲームセンターまで併設された、田舎の郊外によくある類の店だ。


 汗だくな身体に鞭打って、渕山は走り始めた。こうなると、日頃の筋肉が物をいう。あっさりと正面出入口が近づいてきた。


 先客がいた。火炎放射器男こと鈴木だ。渕山が近づくと振り返ったが、撃ってはこなかった。逆に屋内へと逃げこんだ。


「あっ、待って下さいよ!」


 渕山としては、危害を加えるつもりはない。鈴木は撃ちこそしないが逃げはした。つまり、火炎放射器の燃料が切れている可能性が高い。燃料がまだあれば、渕山を威嚇してもおかしくないだろう。


 鈴木を追って大型スーパーに入ると、期待に沿って火の粉一つ舞ってない。もっとも、それが当たり前のはずなのだが。


 鈴木は渕山より背が高い反面、たいした筋力はなさそうだった。まして重い火炎放射器を担いでいる。追いつくのは当然として、鈴木が店内で有用な品……たとえばナイフや包丁……を入手する前でなければならない。


 店内は、やはり無人だった。商品はふだんのように陳列されていて、よけいに不気味さを盛りあげている。これが肝試しなら渕山は足がすくんで動けなくなりかねないが、鈴木に詳しい話を聞くという使命感と火炎放射器はどうやら燃料切れらしいという推察が足を駆りたてた。


 時間差から、鈴木は店の奥まで走っていた。天井から調味料と書かれたプレートが吊るされた辺りになる。


 大して時間はかからないだろうと判断し、渕山は全力で走った。プレートが目印になるから方向も問題ない。


「あのう、鈴木さんで……」


 ようやくたどりつき、声をかけようとした渕山は言葉を失った。鈴木は火炎放射器を床に降ろしたまま、ノズルを渕山に据えて引き金を引いた。同時に渕山はすぐ隣の棚へ飛びのいた。一秒前まで渕山のいた辺りを、まっすぐに伸びた炎がつきぬけていく。ポロシャツの左袖が……表面だけにせよ……泡をたてて少し縮んだ。化学繊維が焼けながら溶けたせいで、鼻をつく薬品めいた臭いもする。火傷にまではならないが、ぞっとする熱量だ。


「な、なんなんだ!? 俺はただ……」


 棚越しにどうにか話をしようとしたものの、恐るべき炎熱で喉が干上がりそうになった。穏やかに情報交換できる気配は微塵もない。


「死ね! 疫病神やくびょうがみ! 死ねぇーっ!」


 中庭でのいきさつを無視するなら、面通しがすんで初めての鈴木の台詞がそれだった。


「なんの誤解だ! 俺はトレーナーだ!」


 怒鳴り返したものの返事はない。あちこちで着火した炎の塊同士がたがいに熱を煽り、売場そのものが巨大な炎をはらみつつあった。スプリンクラーはおろか警報一つ鳴りはしない。


 鈴木からすれば、なにも渕山を直接燃やす必要はない。逃げ道を炎で遮断すれば、熱はある程度まで防げても酸欠でどのみち死ぬ。むろん、逃げださないよう見張っておく必要はあるだろう。


 渕山は、頭を抱えてうずくまった。最初からめちゃくちゃな状況に振りまわされ、ついには炎の壁に閉じこめられたも同然な境遇だ。これで冷静かつ前むきな方策が建てられたらおかしいだろう。せいぜい身体を低くして煙を吸わないようにするしかない。


「いてっ!」


 左肩をかすめるように叩き、なにか硬いものが床に落ちて砕けた。ただでさえ傷んでいたポロシャツの左袖に、わずかながらも裂け目ができた。


 正体は、調味料と書かれたプレートだった。生存本能が突如としてフル回転した。


 まず、伏せたまま肘と膝をよじってできるだけ鈴木から離れた。次にまだ燃えてない棚を抱えて、別な二つの棚を橋渡しするようにして足場を作った。このとき、皮肉にも炎が盾になって鈴木は近よれない。火炎放射器の射程からも外れている。


 あとは、橋をつなげて二階への階段にたどりつけばいい。二階なら、極端なところ地上まで飛び降りても大したケガにはならないだろう。


 そんな目論見は、いざ二階へあがるとあっさり潰れてしまった。窓という窓は鉄板を溶接して塞いである。非常階段まで。エスカレーターやエレベーターは動かない。下の階は鈴木が待ち受けている。

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