第31話
異変はすぐさま現れた。
ふっと、周囲の空気が淡い緑色に包まれる。恐竜を押しとどめていた瓦礫が、ゆっくりと浮かび上がっていく。
恐竜の姿が見えた時、無数のコンクリート片があらゆる方向に突き飛ばされていた。
もしレベッカの状況把握が一瞬でも遅ければ、今度こそ彼女は瓦礫に押し潰されてミンチ状態だっただろう。
そんなレベッカの手には、件の手榴弾。
これには強靭な縄が取りつけられ、片端は既にメリッサ後部の金属部品に巻きつけてある。
レベッカはメリッサに乗って、軽くエンジンを吹かしつつ、ビルの陰から顔を覗かせた。そして、すぐさま恐竜と目が合った。
「あ。やっべ」
と言いつつ、半分はレベッカの狙い通り。恐竜は襲い掛かる前に大口を開けて咆哮し、あたりの空気をビリビリと唸らせた。ゴンが縫い留めた顎から、サーベルがするり、と抜け落ちてしまったが、作戦に支障はない。むしろ。
「ちょうどいいじゃん」
レベッカは容赦なく、恐竜の口へと手榴弾を投擲する。この程度、投げつけられても恐竜にはどうということもない。
これが、ただの手榴弾だったならば。
恐竜は何事もなかったかのように顎を閉じ、後ろ足に力を込める。一気にレベッカに食らいつくつもりだ。
「おおっとぉ!」
レベッカは急旋回して、恐竜の真正面に躍り出た。そのままフルスロットルで一直線に疾駆する。虚を突かれた恐竜は、前のめりに倒れ込んだ。
レベッカは発煙筒を上げ、埠頭で待機中のケレンへ合図する。今度は紫色の光が、縄に染みこんでいく。物体を破壊するのではなく、強化する魔術だ。
これでは手榴弾が口内にある限り、恐竜は引っ張られていくことになる。
「こっちもそろそろ……!」
するりとレベッカの袖から出てきたもの。それは小振りのスイッチだ。レベッカはそれを躊躇いなく押し込み、バックミラーに目を凝らす。
そこに映っていたのは、苦しげに頭部を震わせる恐竜。手榴弾が爆発し、無数の針を口内で射出したのだ。
「っしゃあ!」
レベッカはスイッチを放り投げ、ガッツポーズを取った。
顎を固定されてしまっては、恐竜もレベッカについて行かざるを得ない。しかも、その罠が自分の最強の武器である顎を封じてしまっているとなれば猶更だ。
(ケレン、どうだ? 大丈夫か?)
(……)
テレパシーを返す余裕もないのか。無理もない、ケレンはなんの修行もしていない、ただの子供なのだから。それだけ必死になってくれているということなのだろう。
「ま、苦労は若いうちにしとけってね」
ぺろりと唇を湿らせ、レベッカはまた一段ギアを上げた。
※
同時刻、ローデヴィス経済特区西岸地区、第十一埠頭。
「くっ……、ふっ!」
ケレンは全力で魔力を飛ばしていた。
魔導士たちの主任務は、飽くまでも海に落ちた恐竜の身動きを押さえ込み、窒息死させること。作戦開始時は、ケレンはその時の補欠要員だった。
だが、それではケレンの無謀な正義感を引き留めることはできなかったらしい。
レベッカが向こうでかぶりを振っていることなど、ケレンには察しようもない。
それでも、ケレンにも分かっていることがある。
崩れるビルの外壁やガラスの音。それに、地面を揺さぶる大きな振動。
一定のテンポを伴って地面を伝わってくる振動に、薄っすらと目を開ける。正面に走っているのは、海洋プラントと市街地を結ぶ広い道路。両脇にあるのは、大型機械の製造所や船舶の整備ドック。ずっと奥には、中心市街地の高層ビル群が見える。
唐突に、向かいのT字路の左側から何かが飛び出してきた。
間違いない、レベッカと彼女の駆るメリッサだ。恐竜はレベッカを追いかけながら、同時に無理やり引っ張られている。
(皆、伏せて!)
リーネストの言葉に、ケレンはすぐさま対応してみせた。廃船の陰に素早く潜り込み、恐竜の死角に入ったのだ。
僅かな隙間から顔を上げる。レベッカと恐竜は、この埠頭に滑り込むところだった。
見える範囲で魔術を行使するなら、ケレンにもできる。僅かな時間だが。
どん、どん、どん、どん、と恐竜の足音が迫ってくる。それでもケレンは目を逸らさなかった。飛散したアスファルト片で軽く頬を裂かれても。
恐竜は勢いそのままに、ケレンや魔導士たちの間を駆けていく。あとはケレンが魔術の行使を止め、物理現象に任せるだけだ。
(頑張りましたね、ケレン。あなたはご自分の身を守りなさい。我々魔導士が蹴りをつけます)
(了解!)
リーネストが告げた直後、恐竜の足音とは比較にならない打撃音がした。レベッカが埠頭の先端部で急旋回したのだ。メリッサに繋がれた縄が切れ、恐竜は遠心力で廃船の溜まり場に頭から突っ込む。
波音というより爆音に近い振動と共に、盛大な水飛沫が現れた。恐竜は四肢を使って頭部をもたげようとしているが、前足が小さすぎて水面を掻くことができない。
(今です!)
現場指揮を執るリーネストの思念に応じた魔導士たちは、一斉に身を露わにした。
全員が両の掌を開き、そこから真っ赤なオーロラ状の波を発する。
やや縦幅のあるオーロラは、恐竜を次々に拘束していく。顎や腕、尻尾などに纏わりつき、どんどん恐竜の自由を奪っていく。
それは同時に、恐竜を海底へと沈み込ませていくことでもあった。
グルルルッ、と苦しげに呻き、ぶくぶくと気泡を浮かばせながら、恐竜の姿は全員の前から消えた。
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