第22話

 身を屈め、時折壁に背を着けながら、飽くまでも軽々と街路を進む。

 拳銃を手に行くレベッカは、実にさまになっている。だが、ここは最先端工業都市の民間人居住区。場違いである感は否めない。


 それに警官や準軍事組織が黙ってはいない。彼らもまた見回りを行っている。どちらかといえば、レベッカの方がずっと危険人物とマークされてしまう。


 それを百も承知の上で、レベッカは進む。そしてあっさりと、民間人立ち入り禁止区画のフェンスを乗り越えた。


「なんだ、せっかく非殺傷弾を使ってやろうと思ったのに」


 この先の警備状況は、お粗末なものだった。

 街の首脳部だって、中心地に当たる工業エリアで生産している『何か』の情報が漏れることを警戒してはいるだろう。

 だが、今は住民を安心させるべく出払っている様子だ。


「こっから先は実弾の出番だな」


 素早く弾倉を取り換えるレベッカ。

 低層の研究施設、謎の液体の貯蔵タンク、発電用と思われる奇妙な装置。

 それらの陰に巧みに隠れながら、レベッカは中心部へと進んでいく。


 何故彼女がこんなことを始めたのか?

 答えは明白で、レベッカはこの街、ローデヴィス経済特区を信用していないからだ。


 確かに、眼球の調整や最新の銃火器の調達において、ここは非常に役立つ中継地点ではある。

 だがそれは、いわば綱渡りをバク転の連続で行っていくようなもの。自分の一挙手一投足に不安がつきまとう。安定しない。何者かにマークされているような気がする。


「チッ。ったく何なんだよ、この感覚は……」


 ゴンは感じたことがないそうだが、それは彼がこれほどこの街の中心部に踏み入ったことがないからだ。

 そんな考えが彼女の脳裏をよぎったのは、ほんの一瞬のこと。だがそれは、彼女の敵にとって、奇襲するのに十分すぎる時間だった。


 銃声が轟くより早く、レベッカは陰に引っ込んだ。ふと見下ろすと、自分の拳銃のバレルが酷く歪んでいる。あと少しズレていたら、レベッカの手の指が弾き飛ばされていただろう。


(どうか矛をお収めください、レベッカ・サリオン)


 あたしのことを知っている? 舌ったらずな口調からして、こんな幼い知人はいないはずだが。


「おいおい、あたしの名前を知ってるんなら、そっちも名乗ってくれねえか? フェアにいこうぜ」

(ああ、これは失礼致しました。わたくしの名はリーネスト・アライリアン。この街での魔導士たちを束ねる者です)


 ふむ。礼儀はなっているが、まだまだ子供だな。いや、魔導士の年齢を正確に把握するのは困難だ。もしかしたら、幼女の姿のままで二、三〇〇年は生きているのかもしれない。

 レベッカは背負っていた散弾銃に初弾を装填しながら、問いを投げかけた。


「で? そんなお偉いさんがどうしてあたしなんかを狙う?」

(それはあなたが一番ご存じではないのですか?)


 ううむ、必要最低限の言葉で追い詰めてきやがる。

 確かに、彼女の言う通りだ。自分はこの街の中心部に用がある。今回、この街を目指していた理由もそれだ。

 ローデヴィス経済特区の守るべき中枢システム。それに不用意に立ち入られたら、この街の治安を維持する人間たちは黙っていられないだろう。魔導士もまた然りだ。

 その道中で、ケレンを同伴させることになったのは想定外だったが。


 それでも今この場所で、相手がサーチライトを使わずにいてくれたのには助かった。

 今のレベッカの目は赤外線探知モード。ライトなど点けられたら、眩しくてシステムに異常が生じる恐れがあったのだ。


 それはさておき。

 レベッカは考えていた。今ここで、自分の目的、というか自分が知りたいことを言い出してしまっていいものだろうか?

 破壊工作が目的ではないが、こんなところをフラついていては、それだけで厳罰に処されそうだ。


「仕方ねえな……」


 散弾銃も拳銃もセーフティを確認し、自分が隠れているコンテナの陰から滑らせた。


「撃つなよ。こっちは丸腰だ」

(存じ上げております。どうぞ、この光の下へ)


 眼球を通常の光学センサーに切り替え、両腕を上げながら、レベッカはリーネストの前に身を晒した。これは、二人にとって初の邂逅となる。


 やはりな、とレベッカは思った。リーネストは幼女の格好をした手練れの魔導士だ。自分の眼球がそう認識し、警戒警報を鳴らしている。

 全身を姿は、他の魔導士とは正反対の白いローブを被っている。その神々しさは、幼女という概念を遥かに超越していた。

 外見はそれこそ、可愛らしい年相応の幼子だ。

 かつて存在した巫女と呼ばれる人々は、きっとこんな雰囲気を纏っていたのだろう。


 加えて、この場にいる者は二人だけではない。当然ながら、リーネストの護衛についている魔導士がいる。ざっと十名はくだらない。

 少しでもおかしな動きをすれば、レベッカとてあっという間に蜂の巣だろう。


 既に死線を越えてしまったか。

 レベッカは半ば呆れながら、両手を上げて魔導士たちの前に姿を露わにした。

 すぅっ、と外気が涼しくなったような感覚に陥る。

 そうか。これが魔導士の発する殺気か。


(レベッカ・サリオン、一般人や渡航者がここに踏み入ることは禁止されている。ご承知ですね?)

「まあな」

(今わたくしは、あなたの言動を責めるつもりはありません。しかし、興味がないと言えば嘘になります)

「何が言いたい?」

(あなたはどうして、ここにやって来たのですか?)


 あまりにもシンプルな問いかけに、レベッカは肩透かしを食らった。

 前回ローデヴィスを訪れた時にも、次こそは侵入しようと思っていたのだが。用件があるのはこちらだから、人影のないところに行けば自然にマークされるとは思っていたが、どうやら読みは当たったらしい。


「あんたらの力で、世界中から食人獣を一掃してもらいたい」


 リーネストは微かに両眉を上げた。周囲を囲う黒服の連中も微かに息をつき、それがさざ波のようにレベッカの心に反響する。


(どうしてわたくしたちの拠点が、ここにあると察せられたのですか?)

「一番ここが発展した都市だからだ。あたしは賞金稼ぎとして、いろんな国や村を見てきたが、いつ戻って来てもローデヴィスの発展ぶりはすごい。寒気がするほどだ。これだったら、魔導士たちや強力な兵器を地方に広めて、世界を守るべき。あたしはそう思ったんだがね」

(なるほど)


 あっさりと納得した様子のリーネスト。

 

(レベッカ・サリオン、あなたの意志は分かりました。では、こちらも述べさせていただきます)


 そう言って、リーネストはすっと右手を差し出した。直後、今まで見た魔弾はおろか、実弾兵器をも上回る速度で、光線が発せられた。


「がっ!?」


 真正面、それもこめかみに命中させられたレベッカ。

 そのまま額を強打されたかのように、後方へと吹っ飛ばされた。


 ふと、自分の胸中を分析する。

 いつか自分も、食人獣を駆逐したいと思っていた。

 それを明確にしてくれたのは、誰あろうケレン・ウィーバーだ。せめて彼の旅路の終着点、ローデヴィスに至ってから、誰かの伝手で政界に自分の声を届くようにするつもりだった。

 魔術と科学の両面から食人獣に挑めば、人類にも勝機はあると思っていた。


 しかし――理由は分からないが――、魔術の側面からは、完全にこの要請は却下されてしまった。魔術が行使できるならまだしも、自分にあるのは銃と薙刀、爆薬が少々。

 こんなお粗末な装備で延々と食人獣を狩り続けるなど、どう考えても不可能だ。


 それに、生きて帰してもらえるかすら危うい。

 もし魔術師たちが、今のレベッカの持つ思想に触れたら、それを自分たちにとっての脅威と捉えるかもしれない。魔術師とて、掃いて捨てるほどいるわけではないのだ。支援不足で自分たちが死地に立たされることを危惧してもおかしくはない。


 レベッカの思考が及んだのはここまで。

 後半の方に行けば行くほど、荒っぽくざらついたものになっていく。


 ケレン、すまない。父親に会わせて、きちんと二人で生活ができるかどうかを確かめてからおさらばするつもりだったのだが。

 ゴンにも謝らなければ。タダ働きに付き合ってもらって、本当にすまなかった。あんたが強いことは、今回の旅路でも分かったことだ。今後も達者で、戦い続けてくれ。


 そして、レベッカはばったりと仰向けに倒れ込んだ。微かに開いた瞳には、スモッグと高層建築物の小さな照明。それ以外、何も映ってはいなかった。

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