第23話
※
(侵入者を捕縛しました。名はレベッカ・サリオン。彼女の心には、我々にとっても有益な情報や思想が込められています。くれぐれも丁重に扱ってください。わたくしもそちらへ参ります)
(畏まりました、姫様。ご随意のままに)
恭しくこうべを垂れながら、セドはテレパシーを送った。その先にいるのは、リーネスト・アライリアン。レベッカに遭遇した、自分たちの主たる聖女である。
この思念は、魔導士たちの精神通信空間から発信されていた。真っ暗な、しかしスポットライトで話者が照らし出される、特注の講堂からだ。
「セド、姫様は何と?」
「やはり思った通りだよ、シェン。捕らえた人物をこちらへお連れなさるそうだ」
「そんな! どこの馬の骨とも知れない賞金稼ぎを……」
「何かお考えがあるはずだ。そう易々と殺気を放つんじゃない」
「……ふん」
セドに窘められ、腕を組むシェン。不満な様子だが、姫様と呼んで敬愛する幼女、リーネスト・アライリアンの望むところとなれば反対はできない。
唇をきゅっと噛みながら、足をこつこつと鳴らすシェン。彼女のそばに何者かの気配が現れたのは、間もなくのことだった。
「ジンヤ、只今参上いたしました。並びに、こちらの異境の者も」
甲高い羽音にも似た響きが、周囲の空気を震わせる。ほんの一瞬のことだ。その僅かな音と動きで、ジンヤはさっとフードをはためかせ、ひざまずく体勢でその場に現れた。
彼が立ち上がって両腕を突き出すと、そこにもう一人の人物が仰向けの姿勢で顕現された。レベッカだ。
気絶させられた姿勢のまま、すやすやと寝息を立てている。
「さて、いかがなさるおつもりですかな、姫様?」
丁重に、しかしどこか余裕を持たせた態度で、ジンヤはリーネストに問いかける。
ふっと彼女が周囲を見渡すと、残りの四人が次々に顕現するところだった。七人で構成された輪の中心に、リーネストは立っている。
「本日、この街が、地底進行可能な大型食人獣の襲撃を受けたことは、皆さん知っての通りかと思います」
皆が静まり返った。ぴくりとも動かない。肯定の意思表示だ。
「この襲撃がもたらしたインパクトには、計り知れないものがあります。それは、我々魔術派と、ローデヴィスのもう一つの防衛機関、いわゆる科学派との間に決定的な溝を作ってしまったということです。さらに言えば、魔術派と科学派、双方の戦闘力が拮抗し、互いに相手の優位に立とうと、卑劣な手段を講じ始めるかもしれないのです」
「その卑劣な手段には、我々と一戦交えようとする過激派の存在も含まれますでしょうな」
ジンヤの落ち着き払った、しかしショッキングな言葉に、僅かながら皆のフードが揺らいだ。
それに構わず、リーネストは言葉を続ける。
「我々にできることはただ一つ。三〇〇年前からずっと保たれてきた人体脳内術式を、再び活性化させることです」
今度こそ、皆がどよめいた。ジンヤでさえ、フードの外からでも分かるほどに目を白黒させた。
「姫様! 姫様! このセドに、発言の許可を!」
「許可します、セド」
「は、はッ。恐れながら申し上げます!」
セドの動揺しきった声音に、再び皆の興奮が静められる。
「食人獣の跋扈する世界で、加えて人類が二極化し、争いを繰り返すようになるのを見過ごすわけにはいきません! し、しかし、脳内術式の再活性化は、いくらなんでも、その……非人道的ではないでしょうか?」
「何か代案はありますか、セド?」
「そ、それは……」
俯くセドを見て、ジンヤは溜息を一つ。
まったく、衝動的にものを言うからこうなるんだ。
かく言うジンヤは、レベッカを安全に空中浮遊させていた。両手が空いた状態で、右手で何かを招く所作をする。すると、闇の向こうから素早く担架が滑り込んできた。
そっとレベッカを横たえつつ、ジンヤは空咳を発した。
この七人の中で、最長老であるジンヤ。その言葉が周囲に与える影響は、なかなかに重いものがある。
軽く息を吸って、ジンヤは語り出した。
「脳内術式の再活性化は、やはり最終手段とした方がいいでしょう。人類存続のためとはいえ、我々はこの三〇〇年間をこの魔術に縋って生きてきました」
「だっ、だったら猶更――」
割り込もうとしたセドを無視して、ジンヤは続ける。
「脳内術式は、魔力を持たない者を探知し、半自動的にその脳内に魔術の痕跡を残してしまいます。これが、本来共存すべきである科学派の脳負担を増大させ、至るべき人類の進化を妨げてきたとしたら。今こそが、脳内術式の垣根を壊して互いに共存する転換期を言えるのではないでしょうか?」
「あ、あのっ!」
次に挙手したのはシェンだ。
「いっぺんに脳内術式を解除してしまうのは危険だと思います! ゆっくり行政長官らから話していくべきかと! そうしなければ、我々がずっと科学派、というか一般の人々に術式をかけてきたのが大々的に公表され、三〇〇年分の怨嗟を喰らうことになってしまう!」
その言葉に対し、リーネストは熱くも冷たくもない視線をシェンに注いでいる。
リーネストと視線を合わせ、ジンヤは語りだした。
「レベッカ・サリオンは、この街の警備の厚さを見込んで、魔導士や魔力を有する者たちを国中に派遣し、食人獣に対する警備、及び殲滅を任せよ、と申し出ております。ここまで視野を広げられる人間はそういるものではありません。魔導士でなければ、ね」
「……」
「となれば、これは危険思想にもなり得ます。魔導士の派遣先を巡って、暴動や虐殺、市民同士の殺し合いにまで事態は発展しかねません。その間我々は、無数に分裂した人々を仲裁しつつ、食人獣を駆逐していかなければならない。あまりにも負担が大きすぎます」
リーネストは悩んでいる。
これでも長い付き合いだ。ジンヤには、ここで返答するのがいかに過酷な行為なのか、分かっている自信がある。それをリーネストが行わなければならない、という胸の痛みもある。
若い魔導士たちの前で啖呵を切ったものの、自分にだって名案があるわけではない。
再び与えられた沈黙は、まさに冷たさを感じさせるほどのものだった。
二人の闖入者がこの場に現れるまでは。
※
レベッカが魔導士たちに捕縛される、約十分前。
「ゴン、ねえ、ゴンってば!」
「なんだ、ケレン。重い話は酒と一緒に呑んじまうのが一番だ。邪魔をするんじゃ――」
「レベッカが危ない!」
「ん?」
果実酒を口を置き、ゴンはケレンの方へ目を遣った。
「今、敵の攻撃で気絶させられたみたいだ! 早く助けなきゃ!」
「本当か?」
訝しげなゴンに対し、ケレンはぶんぶんと首を縦に振る。
「早く武装して! あんまり大人数で行ける場所じゃないから、僕と二人で行こう! そしてレベッカを助けるんだ!」
自分には、他者の嘘が少なからず読み取れる。
そう自負しているゴンだが、今のケレンの目には嘘の欠片も見られない。これは本当にマズい状態なのかもしれない。
「了解だ、ケレン。だが俺には場所が分からねえ。案内を頼めるか? かなり危険な役割になるが――」
「僕だって魔弾を使える! 甘く見ないでよ!」
唾を飛ばして豪語するケレン。
もしかしたら、偶然授かったはずの魔力が、ケレンの中で強大になりつつあるのかもしれない。流石に魔導士になったことのないゴンには、想像することしかできないが。
「お勘定だ。釣りは取っといてくれ」
何事かと呆気にとられるバーのマスターの前に金貨袋を置いて、ゴンはケレンに引っ張られるように退室した。
ひとけが乏しくなった街路に出て、ゴンは早速ケレンの前に立ち塞がった。
お手並み拝見だ。
「で? レベッカはどこにいる? そこへ行くための手段は?」
「今魔法陣を展開する。ついて来て」
そう言って、両腕を水平に広げるケレン。
すると彼の足元を中心に、淡い水色の魔法陣が展開された。一瞬でだ。
「お、おぉ?」
自分が今まで見てきたものよりも、遥かに素早く、そして強い。あたりが清浄化されていくようだ。
「行くよ、ゴン」
「おう!」
前回、魔導士たちの拠点に立ち入った時は、長くて暗い滑り台を下りていくような感覚があった。念のため、ゴンはサーベルの代わりに拳銃を抜く。
残弾を確かめると、ちょうどケレンが魔法陣に吸い込まれていくところだった。
ふっと息をついて、ゴンもまた、魔法陣の中央に足を踏み入れた。
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