第21話【第五章】

【第五章】


 その日の夕刻。

 夕飯が供給されるまで、ケレンはデインハルト博士にべったりだった。途中までの喧嘩など、まるで綺麗さっぱり忘れ去ってしまったかのように。


 母親が惨殺されたことによるショックや、その後の旅路での恐怖体験から、保護者の存在を強く求めていたのだろう。ケレンは喜怒哀楽を全面に押し出しながら、両手を振り回したり、足を踏み鳴らしたり、縋りついてわんわん泣き出したりを繰り返している。


「なあ、レベッカ」

「んあ?」

「懐かしいとは思わねえか」

「うるせえ、懐古厨」


 ゴンが話題を出してみるが、まったく乗り気でないレベッカ。というより、過去というものを極力排除しているようなきらいもある。

 流石に先ほど、レベッカの境遇と眼球に関する話題を投げたのは誤りだったか。

 士気の上昇が重要であろう、このタイミングでは特に。


 懐古厨……。

 レベッカの言葉を反芻しつつ、ゴンは腕を組んだ。

 懐古厨と言われてしまうのだったら、いっそケレンにでも話してみようか。可能であれば、だが。

 ケレンが生きているうちに、食人獣などいない世界になってほしい。そんな思いもあった。


 ふとケレンの様子を見ると、どうやら感情の起伏は落ち着いてきている様子だ。


「ケレン、ちょっといいか」

「うん……? どうしたのさ、ゴン」

「無理強いはしねえが、俺の話に付き合っちゃくれねえか?」

「あ、う、うん」


 ケレンは袖で涙や鼻水をずいっと拭い、ゴンに向き合った。


「あたしはちっと出てくる。爺さん、地上にテレポートできるか?」

「ええ、構いませんよ」


 その場でひっそりと佇んでいたジンヤに連れられ、魔法陣を使ってレベッカは地上へと出ていった。


「レベッカ、どうしちゃったんだろう?」

「まあ、あいつにはあいつの過去、ってもんがあるからな。酒の席では少しは語ってくれるんだが。過去なんざ、語る必要はねえんだよ。本来なら、な」

「そうなんだ……」


 神妙な顔で俯くケレン。その肩に手を載せて、ゴンはすっと椅子にケレンを座らせた。


「まあ、比べてみりゃ俺の過去なんて大したことはねえんだけどな」


         ※


 ゴンが産まれた時、皆は初めてゴンが四本の腕を有していることを知った。

 だが、それは驚くべきことではない。三〇〇年前に、食人獣や魔術師が突如として出現したのがきっかけで、多少の身体的な差、特異性などは、それ自体が異常とは見做されなくなっていた。


 だから、確かに腕が四本、というのは珍しい人間だったが、忌避される対象にもならなかった。

 それよりも、主な問題だったのは衣服の着脱に関すること。流石に四本腕、それも二メートルを越える大男に合わせた衣服となると、なかなか発見が難しかった。

 それでも、母親や祖母が縫ってくれるオーダーメイドの衣服が、ゴンにはこの上ないプレゼントだった。


 ゴンが二十歳を過ぎる頃、食人獣の群れがゴンたちの村に迫っている、という情報が入った。その知らせは隣村の青年が伝えてくれたのだが、その直後に青年は事切れてしまった。

 慌てて処置しようとしたところ、青年の背には深く長い斬り傷が走っており、救いようがなかったという。


 青年が命に代えて伝えてくれた情報をもとに、作戦会議がもたれた。いや、作戦というよりは、避難時に皆がどう動くか、という段取りを決める会議だ。

 真正面から、まともな武器もなく食人獣に立ち向かおうという猛者は流石にいなかった。


 話し合われる中で明確になった問題点。それは、どんな背格好の食人獣がやって来るのか分からない、ということだった。


 食人獣の到達予定日の三日前。女性や子供、老人は、隣町までの避難を完了しつつあった。それを見つめていたゴンに、ある村人が声をかけてきた。


「おいゴン、お前、二十歳になったばかりだろう? 皆と一緒に逃げるんだ」

「いや、俺だってもう大人だ。腕だって四本あるし」


 二組の腕を組んで、パキポキと拳を鳴らすゴン。それに対して、村人は指示を出した。


「じゃあ、あの崖の上で待機してくれ。食人獣のやつが村に入ったら、皆が打撃武器で追い立てる。それを援護するんだ」

「援護?」


 ああ、と頷きつつ、村人は小石を拾い上げる。


「こいつを化け物にぶつけてやるのさ。怯んだ隙に、俺たちが竹槍と小銃で、そいつの頭を吹っ飛ばす」

「小銃? あの骨董品を使うのか?」

「そうだ。こんな辺鄙な村にあるのはそんなもんだ。使えるものはなんでも使え、ってな」

「分かった。皆も俺も、生き残れるように最善を尽くそう」

「そうだな。ゴン、援護は頼んだからな」


 その言葉に、ゴンは野性味に溢れた笑みを浮かべた。

 それでも襲撃を受けるその日まで、誰も食人獣の姿を思い描けなかった。


 食人獣がその姿を現したのは、翌日早朝のこと。

 澱が沈殿したかのような霧の向こうから、重厚感のある足音を響かせて。


         ※


 かくして現在。

 デインハルト博士の地下構造物の隅で、ゴンは壁に身体を預けていた。

 喉の渇きを癒すべく、冷蔵庫からペットボトルを取ってくるよう、ケレンに頼む。

 すぐさま戻って来たケレンは、いつになく気遣わしげな顔で問いかけを続けた。


「そ、それで? 食人獣はどんな姿だったの?」

「亀だ」

「亀?」


 ケレンの直球勝負に、ゴンは受けて立つ。


「よりにもよって亀とはな……。丘の上から投石で狙うには、あまりにも不利な相手だ。ほとんどが甲羅で弾かれちまう。それでも、俺は投げ続けた。拾っては投げ、拾っては投げ……。だが、意味がないのに変わりはなかった」

「じゃ、じゃあ、村に残った人たちは……?」

「全滅。俺の親父も兄貴も、みーんな死んじまった」

「そ、それは……」


 流石にこの空気、ケレンには重すぎたか。ゴンは少し後悔した。が、それも今更だ。


「俺だって亀に追われる羽目になったんだぞ? なんとか逃げ切って、無事を確認してから他の皆のいる借りの宿舎に向かった」

「そこにいる皆は無事だったんだね?」

「まあな。だが、諦めて自殺を試みるやつがあんまり多くてな……。だがそれは、食人獣がもたらした被害の一部にすぎない」

「一部?」

「ああ。俺たちは故郷も家族も喪っちまった。こんな思いをする人間は少ない方がいい。だから俺はお袋と婆さんの許可を取って、賞金稼ぎになったんだ」


 今度こそ、ケレンは沈黙した。


「それにしても遅いな、レベッカのやつ。眼球の整備に行ったのか」


 既にケレンには、レベッカが義眼であることは伝えてある。

 ゴンは目だけを動かして、魔法陣を視野の中央に捉えた。


 すると、博士が秘密話用に宛がってくれた部屋がノックされた。


「ゴンさん、ケレンくん、レベッカさんはまだ外出中かい?」

「ああ、そのようだ。すまねえな、博士。突然押しかけて」

「気にせんでくれ。私も君らも、食人獣を憎む同志だ。だろう?」


 ゴンはすっと視線をケレンの方に向けた。ぐいっ、と顎を引くケレン。


「博士、あんたの言う通りだ。ローデヴィスとはいえ、今日みたいな食人獣がいつ現れるか分からん。もし連中に効果的な武器があったら、使い方を教えてもらえねえか?」

「もちろんだ。だが、今日はもう遅い。夕飯も供給される頃だ。武器に慣れるのは明日からでもいいと思うんだが?」

「了解だ。俺たちもそっちに行く」


 そう言ってゴンが振り返ると、そこにはさっきと同じ格好のケレンがいた。


「どうした?」

「いや、これは僕もどうかしていたんだけど……。僕の母さんは、生きたまま狼の食人獣に殺されたんだ。なのに父さん――デインハルト博士は全然気にしていないっていうか。早く武器をもらって村に帰らなきゃならないのに」


 そんな彼の肩を、ついっとゴンが突っぱねた。


「いてっ! 何するんだよ!」

「いい武器が手に入っても、使いこなせなきゃ台無しだ。ここまでの旅路が無駄になる。今は落ち着いて、親父さんと話をしろ」

「父さんとはさっき十分――」

「いいや、足りない。俺と話した時間の方が長いだろ? それじゃあ駄目なんだ」


 ゴンは自分の顔が歪むのを止めきれなかった。


「家族なんて、いついなくなっちまうか分からねえ。今を大事にしろ」

「ん……」

「しっかし、本当に遅いな、レベッカのやつ。スタンドプレーはあいつの十八番ではあるんだがな」


         ※


「夜になった途端、いっぺんに暗くなりやがったな」


 そう独り言ちながら、レベッカは周囲を見渡しつつ、人通りのない街路を歩く。

 食人獣の再出現を恐れて、皆が警戒しきりなのだ。

 コツ、コツと、レベッカのコンバットブーツの音がする。レンガ造りの道路や建物に反響しているのだ。


「さて、怪しいやつはいねえかな、っと」


 拳銃をカバーをスライドさせながら、レベッカは慎重に歩を進めていった。

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