第9話


         ※


「ふうっ! 終わった……のか?」

「ああ、なんとか生き延びられたな」

「今日は酒盛りだ! マスター! 俺の奢りでいい、全員分のビールとワインとカクテルを――」

「バッ、馬鹿野郎! マスターはもう……」


 そんなどんちゃん騒ぎを冷たい目で見つめながら、レベッカは首をぐるりと回した。


 どうやら生存者の確認をした方がよさそうだ。でないと、人間同士で乱闘が起きかねない。きっとそれは、恐怖からの脱却によるものなのではないだろうか。タガが外れたような。


 レベッカは、一人で腕を組んで背中を石壁に預けた。

 バッタ型食人獣のボスを駆逐して、二十分ほどが経過している。


 人の死というものには、いつか『慣れ』がやって来る。生きている、遺された側の人間の心に。

 確かに、今回の戦闘で見知った顔がやや減ったような気がする。だが悲しいとか、可哀そうだとか、そんな感情は湧いてこない。


 誰かが欠けたところで、そいつと同等かより腕のいい相棒、あるいはパーティメンバーを見つけられれば、自分には何の不都合もないのだ。

 職業病のようなものだろうか? なかなか味気ない年の取り方をしたものだ。


「頭がいてえな……」


 柄にもなく考えすぎたらしい。レベッカは背中と両の掌を石壁につき、自身の身体を軽く跳ね飛ばすようにして皆の方へと歩み寄っていった。そして、決定的な違和感を覚えた。


「おうレベッカ、大丈夫か?」


 ゴンが振り返る。レベッカは一瞬で、ゴンもまた自分と同じ懸念を抱いていることを察した。


「……ケレンはどこへ行った?」


         ※


 レベッカとゴンが懸念を共有する二十分前。すなわち、ボスバッタが駆逐された直後のこと。


「はあっ! はあ、はあ、はあ……」


 ケレンは息を切らしながら、肩の高さに掲げていた右手を下ろした。

 どうやらバッタ型の食人獣たちは殲滅できたらしい。ケレンはぐらり、と体勢を崩してから地面に膝をついた。


 長く深い溜息が、肺から押し出されてくる。

 安堵と恐怖に苛まれ、ケレンは思わず嗚咽を漏らした。その場でうずくまり、自身を抱きしめるように丸くなる。


「うっ、ぐうっ、くっ……」

「坊ちゃん」

「う、うぅ……」

「坊ちゃん、ケレン坊ちゃん」

「え……?」


 繰り返された呼びかけ。そっと肩に宿る人の温もり。

 ゆっくり顔を上げると、そこにはある人物がいた。屈みこんでこちらの顔を覗き込んでいる。


 ひどく痩せた、しかし精悍な男性だ。真っ黒いフードを被り、その下にはややきつめの服を纏っている。それだけで、ケレンはこの人物が魔導士、あるいはそれに準ずる立場の人間だと推察した。


「あ、あなたは……?」

「わたくしの名など、どうでも構いません。黒子、とでもお呼びください。今お時間はよろしいですかな?」


 完全に放心状態だったケレンは、かくん、と頷いた。


「では、少々お待ちを」


 魔導士が、さっと掌で地面を撫でる。そこには円の中に幾何学的な紋様を詰め込んだような図が現れている。さらに、理由は分からないが、この魔法陣が見えるのは自分と魔導士だけなのだと、ケレンには理解された。


「今なら他者の目はありません。さ、お早く」

「は、早くって……?」

「ご無礼」


 すると魔導士はケレンの腕を掴み、魔法陣にブーツの裏を接触させた。

 直後、一瞬にして魔導士とケレンは呑み込まれていった。


         ※


 ケレンの足が地面に接触した。ややよろけながらも、姿勢を正して転倒を免れる。

 周囲は真っ暗。スポットライトに照らされるようにして、自分と黒子だけが互いを視覚的に認識している。


「危ないところでしたな、ケレン・ウィーバー様」

「おっと……。あの、ここはどこ――」

「質問は少々お待ちを。まずはわたくしが、今回お呼び立てした理由についてお話させていただきます」


 黒子の口調は、慇懃かつ穏やかだった。その落ち着き払った態度に、ケレンは黙り込む。


「まず、ここは現実世界ではありません。我々魔導士や魔術師が、密会を設けるために任意の場所に展開可能な閉鎖空間です」


 ケレンはゆっくりとあたりを見回してみたが、自分と黒子にしかライトは当たっていない。盗聴などされていなければいいが。


「ご懸念についてはお察しします」


 黒子が片腕を掲げ、掌を差し出しながら語る。


「しかし、今はわたくしを信じていただくしかありません」

「は、はあ」


 脱力しきった声音で、ケレンは答えた。なんだか、この空間に放り込まれた時よりも、今の方がへたり込んでしまいそうだ。


「まず、わたくし共の目的からお伝えしてしまいましょう」


 そう言って、黒子は語り出した。


         ※


 魔導士の目的は、簡単に言えば食人獣を根絶することだった。

 この大陸には三十~四十人の魔導士が潜伏しており、独自のネットワークを駆使して食人獣の在り方、対処方法を考案してきた。


 しかし、調べるだけでは被害を防ぐことはできない。大陸全土に偵察者を配する必要があった。

 そこで彼らは、一部の一般の人間に自分の力を付与し、戦ってもらおうという考えた。


「わたくし共の存在を感知できる人間の存在は極めて稀です。しかし、わたくし共が魔術を行使するには、どなたか人間のお身体をお借りする必要がある。ご協力いただけますかな、ケレン殿?」

「あ、待ってください。じゃあ、僕が道中や戦闘で魔術を使えたのは……?」

「わたくしが大量の魔術力をあなた様に提供したからです、ケレン様」

「そ、そうなんだ……」


 黒子は一歩、ケレンに歩み寄った。スポットライトがついて来る。


「ケレン・ウィーバー、あなたには素質があるようだ。我々と一緒に来ていただけたら、決して悪いようには致しませんよ」

「行くって、どこへ?」


 一瞬呼吸の間を置いて、魔導士は答えた。


「我々の総本部へ。もちろん、そこでお考えを改められても構いません。しかし、この世界で人間の数は、一時期にあまりにも膨大なものになり、今度は食人獣の出現によって減らされることになった。この奇妙な現象を止める力が、あなたに備わっていたとしたら?」

「そ、それは……」


 確かに、黒子の言う通りなのかもしれない。母親を食人獣に殺害されたケレンにとっては、絶対的な権利であり、義務でもあるように思われる。

 しかし。


「今回は僕だけなんですか? 誰かに同伴を願い出ることはできますか?」

「残念ですが、坊ちゃま。いくら信頼のおける人物といっても、それはあなたの中での指標に過ぎません。我々は、魔力を有する方々を感知することはできます。しかし、その周囲の人々につきましては、安易に信頼できるものではありません」

「で、でも……。あの二人は、えっと、レベッカ・サリオンとゴン・ウルドーは、僕を守ってくれたんです! 凄腕の賞金稼ぎで、戦い方も凄いんです! だから僕たち三人で――!」


 しかし、黒子は重々しく首を左右に振った。


「あなたが我々に加わってくだされば、食人獣との戦闘における、より詳細な記録を得られえる。我々の後に続く人々に、陰ながらも大いなる貢献ができるのです。それでもご不満ですか? それとも――ご不安、ですか?」


 ケレンは一つ、深呼吸をした。

 そもそも、僕がこんな旅に出たのは何故だ? 母さんが狼型の食人獣の犠牲になったからだ。そして、父さんだったらあんな食人獣を倒せる武器や方法を開発しているかもしれないと思ったからだ。


 でも――。

 

「……」


 ケレンと黒子は沈黙した。というより、黒子は微動だにせず、声もかけずにケレンの好きなようにさせているという感じ。


 もし自分が黒子について行けば、目的の達成にはぐっと近づくかもしれない。

 だが、レベッカとゴンがいなければ、自分の首が刎ね飛ばされていたかもしれない。


「お考えが固まったようですね」

「はい」


 ケレンはほぼ無表情で顔を上げた。


「僕はこのまま、レベッカやゴンと旅を続けます。それに、僕の父さんは優秀だけれど、用心深い科学者です。彼の助力は大変大きなものがあると思いますが、僕以外の人間に対してイエスと答えてくれるのかどうか、責任は持てません。だったら、予定通り僕がローデヴィス経済特区へ向かって、父さんを説得します」


 そう言い切った時、ケレンの背筋がぶるり、と震えた。黒子が唐突に、不快なオーラを放ったのだ。

 まあ、オーラなどというものは一般人に言わせれば眉唾物だ。

 しかし、ケレンにはひしひしと感じられる。


 ひょっとして、黒子は怒りを覚えているのだろうか。

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