第4話


         ※


 教会に到着して、レベッカは実に巨大な地雷を踏んでしまったことに気づいた。

 観音扉が向こう側に引き開けられ、そこから二人の女性が現れたのだ。担架の前後を掴みながら。


 その光景に動揺したのは、レベッカだけではない。というより、レベッカよりもケレンの方がよほど酷く慌てふためいていた。


「あ、あのっ! 僕、セリス・ウィーバーの息子のケレンです! 母は無事なんですか!?」


 その瞬間、二人の看護師がぐっと息を呑むのが察せられた。

 まさか、と判断したらしい。ケレンは許しをもらうまでもなく、担架にかけられていた布を取っ払った。

 そして、優に三十秒は固まっていた。


「あ、あのな、ケレン、これはどうしようもなかったんだ。誰が悪いわけじゃねえ。だから――」


 とレベッカが言いかけた瞬間、ケレンはその場に、すとん、と膝をついた。そして、ゴウッ、だか、グアッ、だか、表現のできない呻き声を上げた。


 とてもこんな子供を見つめてはいられない。

 レベッカはギリッと奥歯を鳴らし、まだ陽光の残る外へとゆっくり出ていった。

 まったく、いつのあたしだよ。思い出させやがって。


 講堂を出ると、既に死者の火葬が始まっていた。灰色の煙が濛々と立ち昇り、夜空の群青色に溶け込んでいく。

 レベッカは背中を講堂の外壁に預け、目元を右手で押さえる。その時についた溜息は、我ながら随分と冷たいものだった。


 どのくらいそうしていただろうか。火葬のための炎が小さくなり始めた頃のこと。


「賞金稼ぎ様、皆夕飯を頂いておりますじゃ。もし食欲があれば、じゃが」

「ああ、村長……。しばらく一人にしてもらえるか」

「承知致した」


 しかし、講堂に入っていく村長を呼び止めたのもまたレベッカだった。


「村長、ケレンは? どんな様子だ?」

「あの直後にばったりと気を失ってしまいましてな。まあ、鎮静剤を使わずに済んだのはいいとしても……」

「それだけ彼にとっては大打撃だった、ってことだよな」

「仰る通りですじゃ」


 レベッカはふん、と一つ鼻を鳴らし、足元に置いた鞄から一枚の羊皮紙を取り出した。


「明日の早朝、私はケレンを連れてちょっとした旅に出る。ケレンの父親はいないんだろ、ここには?」

「左様」

「どうやらあたしには、ケレンを親父さんに会わせる責任があるようなんだ。出来得る限り万全の策を講じて、あたしは彼の命を守る。ついては――」

「ふむむ……。しかしこの村はご覧の通りの貧民街でしてな、これ以上大金を動かすわけにはいかないのですじゃ」

「ああ、代金はいらない。もしかしたら、あたしの目的地と被るかもしれねえしな」


 村長は額から顎にかけて、皺くちゃの手でするりと拭った。


「しかし、賞金稼ぎ様もご承知でいらっしゃいましょう? 前回の大戦から食人獣が人類の脅威となったことは。そして総人口が年々減っている。あなたお一人ならまだしも、少年を連れて行くのは無謀ですじゃ。ケレンを守りながら旅をするのは……」

「だから言っただろう、代金は不要だと」

「危険な旅路であるにもかかわらず、子供一人を同伴させるのに代金不要とは……」


 村長は目だけを動かして、傍らのレベッカを睨んだ。何を考えているのは分からないと、疑われても仕方がない。

 しかし、彼女がそれを気にする素振りを見せることはなかった。ただ、夜空を見上げて呆けたように星々に見入っている。


「分かりましたですじゃ。明日の昼前には、ケレンを落ち着かせてあなたと話せるように心構えをさせておきますじゃ」

「いや、必要なのは心構えじゃない。心構えなんて、食人獣に睨まれた瞬間に吹っ飛んじまう」

「では、何と?」


 レベッカは顎に手を遣り、それからふっと教会の十字架を見上げた。


「神のご加護、かな」


         ※


 レベッカは半ば後悔、半ば諦念のこもった心持ちで翌朝を迎えた。

 まったく、自分らしくない戯言をほざいてしまったものだ。


 井戸を借りて顔を洗ってから、ケレンが目覚めるまで、あるいは人語を解せるほどになるまで、講堂内をうろうろしながら過ごした。

 昨日就寝前に、武器のメンテナンスは済ませている。ケレンさえ立ち直ってくれれば、すぐにでも出発できる態勢だ。


 村長と二、三の資料や契約書の遣り取りを済ませてから、陽光の下に足を延ばす。

 うむ、暑い。夏なのだから当たり前である。

 だが今のレベッカは胸中穏やかではなかった。真夏の陽光とは対照的だ。

 

 ケレンが現れた時、レベッカは拍子抜けした。頑丈そうなリュックサックを背負い、トレッキング用の杖を手にして、出発準備万端だったからだ。


「な、なあ、ケレン……」

「おはようございます、レベッカ。行きましょうか」

「行くって、お前どこにいけばいいのか分かってんのか?」

「ローデヴィス経済特区。戦後に造成された工業都市です」


 なんだ、分かってるじゃないか。

 自身もよく訪れる街だ。レベッカは急に、この旅が気楽なものに思えてしまった。


 って、それでは駄目だ。最近は食人獣の被害が増加傾向にあるし、どこで遭遇するか分からない。メリッサの二人乗りで戦闘を回避できるかどうかも怪しい。


 何より、そういう油断で自滅した賞金稼ぎたちをレベッカは嫌というほど見てきている。

 あいつがくたばっただの、そいつは死んじまっただのという噂もまた、耳にタコができるほど聞いている。


 その点、レベッカは不思議な感覚に囚われていた。このケレン・ウィーバーという少年だが、彼だけは守り切らなければ。そんな強い意志が、自分の心臓から全身に循環していくのを感じる。


 何故なのかはさっぱり分からない。だが、自分とて食人獣のために人生を狂わされたのだ。他人様の都合はどうあれ、いずれ自分が対峙しなければならないものに立ち向かう必要に迫られる。そう思っていた。


 そんな思考に耽っている間にも、ケレンはレベッカから目を逸らそうとはしなかった。

 上等だ。それでこそ、あたしの旅の道連れに相応しい。


「んじゃ、行くか」

「はい」


 実に明瞭な声で、ケレンは返事をした。


         ※


 出発前夜、母の遺体に縋りついてわんわん泣き喚いたケレンは、いつの間にか自分がベッドに横たわっていることに気づいた。誰かが寝かしつけてくれたのか。


 という考えに至り、同時に、母は亡き者にされてしまったのだという感覚に襲われた。

 今度は喚き立てたりはしなかった。逆だ。凄まじい脱力感と無力感に、身体中の神経が巻き取られてしまったかのよう。


 これが喪失感というものなのかと、ケレンは一人で納得した。

 そっと上半身をベッドから起こすと、そこはまさに地獄だった。血の海に肉片が漂っていると言っていい。


 普段のケレンなら、恐ろしくてすぐに目を逸らすところ。だが、今の彼はもう昨日までの彼とは違う。

 ケレンの脳裏に浮かんでいたもの。それは、自分を食い殺そうとする食人獣――狼や鳥たち――の真っ赤な瞳だった。


 僕を狙う? ああ、そうかい。僕を捕食し、骨の髄液まで吸い尽くす幻想を、精々その小さな脳みそで考え続けるがいい。それより早く、僕とレベッカが皆殺しにしてやる。


 自分が異常で極端な思想に走っていることに、ケレンはまだ気づいていなかった。


         ※


 そして翌日。

 レベッカは荷台にケレンを乗せ、海岸から西、内陸部へと向かっていた。


 食人獣は、当然人間のいるところに現れる。となれば、逆に人の立ち入らない密林などは遭遇を避けるのにうってつけなのだ。


 一つ難点があるとすれば、このあたりの密林が、以前の大戦での主戦場になっていたこと。

 不発弾は一通り除去されたはずだが、まだ完全に安全とは言い切れない。

 加えて、人骨の回収の進みが悪い。腰を下ろしたら頭蓋骨があった、という事態もしばしばだ。


 流石に気味悪さに震えを押さえられないケレン。だが、こんなことではいけない。自分とケレンを叱咤する。ケレンが自分の腰に掴まる力が、少しばかり強まった。


「揺れるぞ。気をつけろ」

「はい!」


 だが、揺れたのはメリッサではない。地面そのものだった。


「ぐっ!」

「うわっ、なな、何だ!?」

「噂には聞いていたが、まさかな……」


 レベッカが散弾銃を取り出すのを見て、ケレンも魔力を練り始めた。

 メリッサを横滑りする形で停車させるレベッカ。


「ケレン、昨日のアレ、使えそうか?」

「大丈夫です、あれの一極集中型を撃ち込みます!」

「じゃああたしが足止めする! 後を頼むぞ、ケレン!」

「はいっ!」

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