第5話
レベッカはケレンに頷いてみせてから、するりとメリッサから滑り降りた。ずっこけそうになるケレンを、片腕で引き留める。
「ケレンはあの木の下まで走れ! あたしが合図したら、すぐに魔弾を撃てるように!」
「了解です!」
だが、レベッカは違和感を覚える。自分がいつの間にか、迫りくる食人獣の位置をしっかり把握できているのだ。
地面の振動の発生源など、特定するのは非常に困難なはず。しかしながら、自分にはそれが分かっている。
ええい、考えていても仕方がない。
レベッカは散弾銃に初弾を装填し、何かの気配がする方へと向けた。
得体のしれない、今回の敵。分かるのは向かってくる方向だけ。
森に入るまでは想像のつかなかった、薄ら寒いほどの空気感。
直後、レベッカがバックステップで攻撃を回避できたのは、彼女の経験値と瞬発力のお陰だ。
「レベッカ!」
「馬鹿! 声を出すな! 魔弾の生成に集中しろ!」
ケレンに怒声を浴びせながら、短いステップを踏むように後退を繰り返すレベッカ。
その後を追うように迫ってきたのは――。
「木の根、なのか……?」
ケレンが呟く。地面の盛り上がり方や、さっと空を斬る雰囲気からそう考えついたのだ。
レベッカもまた、同じことを考えていた。
「野郎!」
レベッカが攻勢に出た。跳躍しながら散弾銃を発砲。一発で仕留めてみせた。――一本目の根は。
問題は、この密林の木々が巨大で、攻撃に使える根などいくらでも有しているであろうことだ。
「だったら……!」
レベッカは散弾銃をさらに三、四射。周囲の樹木の幹が削れ、その破片が飛散する。
すると、四射目で反応があった。レベッカの視界に捉えられていた樹木の一本が、がさり、と震えたのだ。
「あいつが本体か! ケレン、見ていたな?」
「はっ、はい!」
「あの木に一発喰らわせてやれ! 周囲を巻き込んでもいいから、とにかく破壊し尽くすんだ! 燃やしちまえ!」
「了解!」
この時点で、勝負は決したかのように思われた。が、しかし。
「うあ!?」
「ケレン、どうし――」
と言いかけて、レベッカは舌打ち。
標的の樹木は、根を駆使して巧みにレベッカをケレンから遠ざけていたのだ。
「奴の狙いはケレンだったのか!」
足元から引きずられていくケレン。レベッカは散弾銃を仕舞い、薙刀で根の切断を試みる。
バシッ、という斬撃音と、ケレンの間抜けな悲鳴。どうやら根の切断に成功したようだ。
このまま連続で斬りながら接近できれば……!
しかし、樹木もそれを許すほど甘くはなかった。
もう少しで薙刀の切っ先が幹に触れる。そのタイミングで、唐突に根から液体が噴出したのだ。
「うっ!?」
慌てて顔を逸らすレベッカ。幸いにも、この真っ赤な液体に毒性はなかったようだ。
それより問題は、僅かなりとも視界が奪われたこと。
「チッ! ケレン、魔弾は!?」
「僕も回避するのに精いっぱいで……! うわっ! ぐっ! ひいっ!」
ケレンを落ち着かせられなければ、致命傷を被る可能性がある。
レベッカは回避と牽制を繰り返しながら考える。
なんとかケレンに魔弾を生成するだけの余裕を与え、中途半端でもいいから撃たせる。自分の残りの体力で、そこまでの形勢逆転が可能だろうか。
「ええい!」
自分の無能さに嫌気が差す。こんな屈辱的な戦闘は久々だ。
大きく後退した際に、ケレンの首に腕を巻きつけ押し倒した。
「仕方ねえ、お前はこの木の根元で頭を守って丸くなってろ! あの樹木みてえな食人獣の動きが止まったら合図を――っておい!」
ケレンはレベッカの作戦を端から聞いていなかった。
※
あの食人獣の武器が根ならば……!
ケレンは自分の脳みそが、凄まじい勢いで回転し始めるのを感じた。
レベッカがあいつを引きつけてくれている間に。
彼女は根本にいろといったが、自分の作戦は違う。いや、もはや逆。レベッカが木の幹に隠れ、散弾銃に次弾を装填している間に、ケレンは勢いよく跳躍した。
レベッカが何か言っている。だが今は無視。自分たちの命が懸かっている。だったら後で拳骨でも飯抜きでも、罰則を与えてくれた方がずっとマシだ。そこまで考えての命令違反。
「僕にだって考えはあるんだ!」
ひょいひょいと頭上の枝を掴み、時には足掛かりにして進んでいくケレン。
レベッカは再度、薙刀と銃器を使い分け、迫りくる無数の木の根を斬り捨てていく。
ここなら大丈夫そうだな……。
ケレンの作戦。それは、敢えて自分がレベッカから距離を取ることだった。
どうやら食人獣は自分を狙っているようだし、だったら自分の逃げ方ひとつで根を混乱させることができる。そこでレベッカが根を一網打尽にし、食人獣が怯んだところで魔弾を撃ち込んでやればいい。
「よっ!」
まるで曲芸の猿のように、ケレンは木から木へと跳躍する。出身地がいくら貧しかったとはいえ、木登りできるくらいの環境は整っていたのだ。友達と早登り競走をして、一番になったことだってある。
「このあたりかな」
この時、ケレン自身は気づいていなかった。普段の弱気な自分が、自信に満ち溢れていることに。いや、これは自信ではない。一種の闘争本能だ。
無論、そんな分析ができるような状態ではなかったが。
「レベッカ!」
大声で叫ぶ。もちろん、作戦概要を伝えている余裕はない。だが、作戦概要が『ある』ことは伝えられる。
キッと自分を睨みつけたレベッカ。だが、一度頷いたケレンを見て、腹を括ることにした。
それを確認したケレンは、両手を胸の前で組み合わせ、魔弾の生成を再開した。
※
レベッカは、ケレンの作戦をすぐさま了承した。
「あのガキ、意外と肝が据わっていやがる……」
自分も期待に応えなければ。
レベッカは虎の子の手榴弾を胸元から外した。一旦わざと転倒し、一回転。その間にピンを口で抜く。
それから素早く立ち上がり、薙刀を横に滑らせる。目前に迫っていた根を斬り捨ててから、手元の手榴弾を放り投げた。
今の動作はケレンにも見えたはずだ。今度こそ、ケレンは身を伏せているはず。レベッカもうずくまり、爆風を回避すべく備える。
爆発音が轟いたのは、まさに次の瞬間だった。熱波と黒煙にやられ、根を滅茶苦茶に振り、乱す食人獣。
ケレンはすぐさま枝の上に立ち上がり、魔弾の生成を開始した。キュイン、という機械的な、それでいて神秘的な光が手元に集まってくる。
黒煙が晴れた直後に、レベッカは散弾銃を捨てて自動小銃を使い始めた。まだ視界もはっきりしないだろうに、銃撃で千切られた根が次々に吹き飛んでいく。
「――そこだ!」
ケレンはレベッカの放つ火線を頼りに、魔弾を撃ち放った。
レベッカの頭上を通過し、ぐんぐん地面に近づいていく魔弾。それは見事に食人獣の根元を直撃した。
「やった! やったよ、レベ――」
「まだだ!」
レベッカは大声でケレンをその場に留めた。薙刀を突き出し、ゆっくりと前進する。
彼女には、何かが見えているのだろうか?
念のため、その場でケレンは身を伏せた。
※
何らかの気配がする。
レベッカは慎重に前進した。危険が残っているのなら、今のうちに叩いておかなければ。
彼女がケレンの魔弾を目にしたのは、今回を含めて二回。たったの二回だ。
だが、それでも分かった。ケレンの魔弾だけで、あの威力を発揮できるとは思えない。
「誰だ? いるんだろう? あたしはレベッカ・サリオン、賞金稼ぎだ。だが、今は手ぶらだし、受けた任務に報酬は出ない。誓約書はここにある。あたしの言うことを信じないなら、あたしだってあんたを信じない。それとも、あたしの一太刀を喰らってみないと判断できない、ってか?」
レベッカは焼け朽ちた樹木型の食人獣をの根元を跨いだ。
こういう場所での、賞金稼ぎ同士の同士討ちはよくあることだ。互いの報酬のために、殺し合うことだって少なくはない。
「もう一度言おうか? 耳の穴かっぽじって聞けよ?」
「その必要はない」
応答があった。ひどく低い、唸るようなドスの効いた声。巨大な食人獣のようだ。
だが、確かに発した言葉は人間のもの。何者なのか。
「なんだ、あんたか」
「なんだ、とはご挨拶だな、レベッカ・サリオン。俺だよ」
ふん、とレベッカは鼻を鳴らした。
「こんなとこでてめえのツラなんて見たかねえよ、ゴン・ウルドー」
「違いねえな、そりゃあ」
木の上からその様子を見ていたケレンは、しかしその光景に恐怖を覚えた。
奥の森から、ざわざわと闇が蠢き、そこから腕が生えてきたからだ。それも何本も。
だが、レベッカは気にもしない。むしろ薙刀を下ろし、握手をしている。
「な、何なんだ、あれ……?」
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