第2話
※
その教会は、小高い丘の上に建っていた。
確かに、レンガ造りの教会というのは籠城するのにうってつけだろう。巨大な木製の観音扉もあるし。
脅威は取り払ってやったのだから、本当ならこのまま踵を返して帰っても構わない。だが、レベッカの仕事はまだ終わりではなかった。
狼たちの殲滅に成功した。その旨を村長に報告し、簡単な報告書にサインをしてもらわなければならない。でなければ、証拠能力ゼロとして、今回の報酬は受け取れなくなってしまう。
「まさか村長が食われちまったって話じゃねえよな……?」
元々細い目をさらに細め、レベッカは観音扉を睨みつける。暗い桃色のライダースーツは目立つはずだが、誰も声をかけてこないのはどういうわけか。
レベッカ・サリオン。二十六歳。
賞金稼ぎ界隈では、それなりに知られている腕利きの用心棒。だが、実際のところは遊撃要員としての色合いが強い。彼女と共闘するものは、常に弾丸と斬撃の嵐に備えなければならない。
髪は短めのポニーテールに纏められ、主要武器は己の身体の半分ほどの長さを有する散弾銃。そして、長いリーチを誇る薙刀。
その他、ダガーナイフを数本装備し、時と場合によっては手榴弾まで用意する。
だから彼女に仕事を頼む際は高くつくわけだが、食人獣に対する憎悪すら感じさせる目つきには凄まじい説得力がある。これだけで、レベッカを用心棒にしたり、大規模戦闘の前線に立たせたりする顧客も多い。
過去は明らかにされていない。だが、食人獣との戦闘の絶えないこの大陸で、英雄的立場を占めているのは確かだ。
レベッカは薙刀を収納してメリッサの荷台に括りつけ、散弾銃を取り出した。
ずどん、ずどん、ずどん。
空に向かって三連射。これで気づいてもらえなければ、観音扉にメリッサを体当たりさせてでも――。
そう思った直後、みしり、といって扉が向こう側に引き開けられた。
幼い少女が周囲を見渡し、やがてレベッカの姿に気づいた。
「や、やあ」
「ひっ!」
すぐに引っ込む少女。赤の他人が強力な武器を持って立ち塞がっていたら、確かに逃げ出したくもなる。レベッカは反省し、ちょっと待ってくれ! と声をかけた。
「な、なあ、ここに村長さん、いるんだろう? 話があるんだ。これを」
レベッカは胸元から一枚の紙を取り出した。
「君、読み書きはできるか?」
ささささっ、と首を左右に振る少女。
「じゃあ、これを村長さんに渡すんだ。頼むよ」
恐る恐る手を伸ばし、丸められた用紙――今回の村の警護における契約書を受け取る少女。今度こそ少女は振り返り、とてとてと奥の礼拝堂に向かって駆け出した。
「さて、と」
レベッカは再び閉ざされた観音扉に背を預け、ぼんやりと空を見遣った。
入道雲が濛々と立ち昇り、周囲の空色と絶妙なコントラストを成している。
それに比べて、地上のなんと悲惨なことか。死体、肉片、臓物、もがれた四肢。ありとあらゆるところで、ありとあらゆる死に方をしている人々がいる。
やはりこの村がここで存続できる望みは薄いだろう。
レベッカは顔を顰め、再び空に目を遣った。
「のどかなもんだ――って、どうわっ!?」
「おお、用心棒のお方! 大丈夫ですかな?」
「いててて……ああ、大丈夫。ぼんやりしてたもんで」
レベッカは背中から倒れ込んだ。唐突に扉が開かれて、バランスを崩したのだ。
それでも、身体を半回転させて腕を突き出し、頭部を地面に打たないようにしたのは経験の賜物といえる。曲芸師でも観ているような顔で、少女が目を丸くしていた。
そして、今ドアを開けた人物こそ、この村の村長だった。浅黒い肌をして、真っ白な口髭をたくわえている。随分痩せて杖を突いているが、健康体ではあるようだ。濃い緑色の袈裟のような服を纏っている。少女の袈裟は桃色だった。
「賞金稼ぎ様、今回の食人獣の殲滅、感謝申し上げますじゃ。これをお受け取りなされよ」
「はいはい。毎度あり」
受け取ったのは、硬貨の入った布袋。これで一週間は食いつなげる。そう思うと、レベッカでも多少は頬が緩む。反対に、村長の顔色は冴えない。
「どうしたんだ、村長?」
「いや……。わしらから直接、賞金稼ぎ様にお頼みしてもよろしいじゃろうか?」
「は?」
何の話だ。レベッカは眉をハの字にして、腰に手を当てた。
まあ、話を聞かないわけにもいくまい。もっと儲けられればそれに越したことはないのだから。
レベッカが曖昧に頷くと、村長と少女はこくり、と頷き、講堂へと足を踏み入れた。
※
まずレベッカが思ったこと。それは、若い男性がとにかく少ないということだ。
お陰で負傷者一人を運ぶのにも、大変な労力が払われている。
「おい、そっちだ! 重傷者の方へ」
「駄目、助からないわ!」
「ああ、私の可愛い息子、どうして……!」
普段のレベッカなら、運が悪かったとしか思わない。だが、今はとてもそんな気分ではなかった。小さな男の子の遺体に縋りつく老婆を前にしては。
「あの婆さんの息子夫婦は、出稼ぎに出ておりましてな。いつ帰ってくるのやら……」
「……」
「ああ、こちらですじゃ。おうい、セリスさんや! 賞金稼ぎ様がいらっしゃったぞい」
様づけされるのが性に合わず、レベッカは目を逸らした。が、その直前に目に入ってしまった。セリスと呼ばれた女性――三十代くらいだろうか――の左腕が失われているのが。
「うむ……。助からんかえ?」
「流石に無理だ、村長。出血が多すぎて」
レベッカが佇んでいると、微かに女性、セリスの口元が動いた。声にならない空気の擦過音が流れる。
「えぇ? どうしたんじゃ、セリス?」
「ちっとどいてくれ」
レベッカは耳をセリスの口元に寄せた。そして、内容を把握した。
「村長、彼女には子供がいるのか?」
「ああ、ケレンと言いましてな、先日齢十二になったところですじゃ」
「ふむ……。助けてくれ、か」
レベッカは顎に手を遣ったが、それも一瞬のこと。
「悪いな。断るよ」
「そ、そんな!」
声を上げたのは先ほどの少女だった。年格好からして、ケレンの友人だろうか。
レベッカはその瞳に、過去の自分を見たような気がした。
あの時も自分は全くの無力で、泣き喚くことしかできなくて、背筋を這い上る絶望に呼吸を遮られて――。
「……今回一度だけ。村から出た可能性もあるからな。あたしは反対側の道を探す。報酬はすぐあたしに渡せるようにまとめておいてくれ」
「ありが、とう」
感謝の言葉に振り返ると、セリスは微かに笑みを浮かべて事切れていた。死期に至って笑顔を浮かべられる人間は珍しい。レベッカは少々、興味を抱いた。
簡単な打ち合わせをして、レベッカは講堂を出る。
まさにその時だった。ばっ、と太陽光が陰った。一瞬のことだ。何かが頭上を通過したらしい。そして大抵、その『何か』は友好的なものではない。
レベッカの瞳が、その黒い何かを捕捉する。あれは、鳥型の食人獣だ。
「チッ、まずいな」
これほど低空を飛行しているとなると、連中は既に狙いをつけているはずだ。
あの先にいるのがケレンだとしたら、あっという間に骨だけにされてしまう。
「飛ばすぜ、メリッサ。悪いな」
そう言って、レベッカは思いっきり愛車を最高スピードに押し上げた。
※
鳥のお陰で、ケレンがどこにいるのかははっきりした。助けられるかどうかは微妙なところ。散弾銃では射程外。
レベッカがどの武器を使用するか思案する間にも、鳥たちは急上昇からの急降下でケレンを襲っている。狼の牙や爪よりはマシだろうが、負傷したケレンの息がいつまで続くか分からない。
ここで、レベッカ本人にも気づかない、否、気づけない思いが、彼女の胸中に芽生えていた。これほど必死に誰かを助けたいと思ったのは久々だったのだ。
「こいつを試してみるか」
レベッカがメリッサの荷台から取り出したのは、ストックを切り詰めて小回りが利くように改造した自動小銃だ。フルオートに設定し、間髪入れずにぶっ放した。
パタタタタタタタッ、という小気味よい銃声と共に、弾丸が鳥たちの軌道付近の空気を裂いていく。これだけで一、二羽は仕留めたはずだ。
こちらの様子に気づいたのだろう。鳥たちは一斉に飛び上がり、上空からレベッカを見下ろす隊形を取った。それを確認したレベッカは、すぐに地面に目を戻す。
人だ。そこには確かに人がいた。年齢や性別は定かでない。だが、生きている。随分荒いが、呼吸をしている。
「大丈夫か、おい!」
メリッサを急停止させ、レベッカは飛び降りた。
間違いない、彼こそがケレンだ。全身傷だらけだったが、やはり生きてはいる。
「こんなところで見捨てられるかよ……!」
レベッカは弾倉を交換し、今度こそ狙いを定めて銃撃を開始した。
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