血戦目録 -食人獣駆逐データファイル-

岩井喬

第1話【第一章】

【第一章】


 一台のオートバイが、海岸沿いの断崖絶壁を走っていく。

 車道は狭いし、未舗装だ。それでもオートバイはフルスピードを緩めなかった。


 青い空、白い雲、広大な海原。ふと足元を見遣れば、黄色い小さな花々が健気に咲き誇っていることに気がついたはずだ。


 だがそんな余裕はない。それは、フルフェイスのヘルメット越しにでも感じられる悪臭のせいだ。

 血生臭く、残酷で、やや焦げ臭さを含んだ空気。それが下降気流によって地面に押しつけられている。

 

「あーあ、あたしが警護してくれって言われた村、とっくに襲われてんじゃん……」


 そう、運転手は政府の治安維持組織の末端に位置する警護員なのだ。

 が。実際に組織の運営権を握っているのは、現役の、あるいは退役後も小金に執着しているワル共だ。ロクなやつがいやしない。だから情報周知が遅れる。


 暑苦しいし、ライダースーツを脱ぎ捨てようか。運転手はそうも考えた。だが、どんなに薄くてもスーツの有無は防御性能の高さに直結する。

 任務完了まで、汗で張り付く衣服の気持ち悪さには耐えねばなるまい。


「案内所の親父め、今度こそ追加料金ぶんどってやるからな……」


 村が見えてきた。やはりというか案の定というか、村は『食人獣』と呼ばれる怪物に襲われていた。

 そこかしこに遺体やその断片が散らばっている。家屋や商店には情け容赦なく炎が襲いかかり、その逆光で、運転手は状況を判断した。


「今度は狼か」


 腹を減らせて、山から海沿いへ下りてきたのだろう。

 運転手は獲物の数を九、十頭と見積もった。


 ようやく地面が平坦になったところで、運転手はヘルメットを外した。片手を口に突っ込み、ヒュッ、と甲高い音を鳴らす。

 三回目で、ようやく狼たちはオートバイの存在に気づいた。

 彼らにとっての獲物なのだろう、村の入り口を守っていた衛兵二人の遺体から顔を上げる。三頭だ。


 いかにも狂暴そうな犬歯、鋭い眼光、重低音を伴った唸り声。

 流石に威嚇しているのだということは分かる。だが運転手は、通じないことを前提でこう言い放った。


「悪いな。こっちも仕事なんでね」


 オートバイを減速させずに、勢いよく狼に突撃する。明らかに轢き殺す軌道だ。

 

「ふっ!」


 オートバイのサドルを踏みつけるようにして、運転手はバク転した。その手には、大口径の散弾銃が握られている。

 ずどん。

 狼の雄叫びに匹敵する、腹の底を震わせる発砲音。散弾銃の銃声だ。むしろ爆発音と言った方が近いかもしれない。


 ごくごく丁寧に整備された散弾銃は絶好調だった。

 オートバイが勢いよく中央の一頭を肉塊にする。それを確認しつつ、運転手は発砲。左側の狼の頭蓋を粉塵へ。


 降下しながら右腕一本で散弾銃を回転させ、巧みに次弾を装填。着地前に跳びかかって来た右側の狼も、見事に脳漿をぶちまけることとなった。


「メリッサ!」


 運転手が声を上げる。すると、まるでそれを聞いていたかのように、オートバイは素早く戻って来てターン。

 これはAI、とかいう技術によってできた産物であるらしい。まあ、そんなことに興味を示すほど、運転手は暇ではなかったが。


 運転手は散弾銃に残弾を込め、元村へと足を踏み入れた。

 山と海に挟まれた狭い土地に、家屋や商店が並んでいる。おもな産業は、畜産とガラス工芸。決して裕福とは言えない。


 それでも運転手――レベッカ・サリオンに話が回ってきた。ということは、やはり緊急事態の発生を、村民たちは理解していたことになる。

 もし彼らに、用心棒の依頼を出すことを躊躇わせる要素があるとすれば。


「金か、結局」


 ひとまずこの村の安全を確保し、戦闘にかかった経費は案内所の親父からぶん捕ることにする。


「メリッサ、あんたはひとまず待機。すぐ戻るよ」


 返事がないのは当たり前。だが、この『メリッサ』と名づけられたオートバイには、レベッカも思い入れがある。今晩あたり、宿を見つけて油を差してやるか。


 そんなことを考えていたら、村のやや中央にまで来てしまっていた。

 レベッカは散弾銃を背後にマウント。代わりにメリッサの荷台から短い木製の棒を手にする。


「よっと」


 レベッカが大きく腕を振るう。すると、そこから長い刀身が現れた。普通の刀の二倍の長さはありそうだ。いわゆる薙刀である。


「さあ、ミンチにされてえやつからかかってきな!」


 と言ったのは、いささか遅かった。レベッカが薙刀を取り出している間に、一匹の狼が後ろ足に力を込めていたのだ。素早く跳躍し、レベッカの首を食いちぎるつもりでいる。


「あー、まあ、最初は誰でも緊張するよな。安心しろ。一頭目はもう逝ったぞ」


 言い終えると同時。適当に握っているだけに見えたレベッカの薙刀は、後方から飛びかかった狼の喉を貫通した。

 地面に叩き落とし、薙刀を引き抜く。レベッカは後ろを見もせずに、しかし精確に狼の喉を本体から切り離した。


「おいおい、誰も来てくれねえのか? シケた連中だな、ええ?」


 薙刀を握ったまま、大袈裟に腕を広げてみせる。

 するとやはり、血に飢えていた個体(きっと弱すぎて仲間に入れなかったのだろう)が包囲網を崩しながら跳びかかってきた。


「だからって、あたしの視野に収まる範囲から攻め込む馬鹿があるか」


 冷めた口調で、レベッカはこれをいなす。簡単だ。薙刀をしっかり持って半身になり、重心を落として立ち塞がる。

 これで、狼の二枚おろしの完成だ。


「ま、誰も食いたかあねえだろうがな」


 流石に好機を見出せなくなり、自棄になったらしい。残る三、四体の狼は、四方から一斉にレベッカへ跳びかかってきた。


 残りの狼たちに、ロクな戦闘経験はない。と、いうレベッカの読みは正解だった。

 経験があれば、戦力差を見越して撤退するはずだ。


「なーんか分かんねえけど――死んどけ」


 決着がついたのは一瞬。なんともお粗末な最期だった。

 レベッカが行ったこと。それは、やや屈みこんで足を地面と一体化させた状態で、さっと薙刀を真上に掲げたこと。それだけだ。


 狼たちは自らの勢いを殺しきれず、斬られに跳んだようなものである。

 ただ一つ、レベッカに一矢報いたとすれば――。


 びたびたびたびたっ、と、自らの血でレベッカに洗濯の手間を与えたということだ。

 もちろん、これは安直かつ早急に事態の鎮静化を図ったレベッカ自身の手落ちでもあるが。


「うっわ! 生臭え! とっとと洗わねえとな……。メリッサ!」


 呼びかけると、メリッサが軽快にエンジンを吹かしながら、蛇行走行してくるところだった。レベッカはそのサドルをぽんぽんと叩いてやる。

 それから、今作戦の最終段階に入ることにした。


「村民の皆さん、ご無事ですかあーーー?」


 そう、死傷者の数を控えておかねばならない。


「こちらは全国食人獣対策本部・遊撃隊所属、レベッカ・サリオンでーす。あ、こっちのぶーぶー言ってるのは相棒のメリッサ。よろしくお願いしまーす」


 どうにも、レベッカにしてみれば慈善事業というものの想像がつかない。

 他人のためと言いながら、逆に元気を分けてもらった。よく聞く話だ。


 だったら最初から何もしなくても構わないのではないか?

 そもそもそれは、他人に認められたいという自己実現欲求達成のためのエゴにすぎないのではないか?


 いやいや、考える時間はいつだって訪れる。今は低能な為政者のように、恥じらいを捨てて自分の主張を喚き散らしていいというわけではあるまい。

 そこに気づいた自分自身を、レベッカは褒めてやりたくなった。と、ここで目つきを戦闘モードに戻す。安全が確保される、あるいはされたと判断できるところに着くまで、自らを休ませるわけにはいかない。


「あ、ヘルメット取らなきゃ」


 そう呟いて、レベッカは自分のフルフェイスのヘルメットを脱いだ。そのまま左腕に握らせ、何とはなしにぶらぶらと揺れるがままにしておく。


「ふーん……。ああ、あの教会か」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る