第4話 男装して王に会うしかない
〈 4 〉
両親に見送られ、馬車で旅立った。車内では永成の隣に座り、向かい側に従者の
「永成さま、大丈夫ですか」
「……うん」
馬車に揺られる永成の表情は、とても大丈夫そうには見えない。
私は時折、窓を覆っている帷を上げ、外の様子を眺めていた。
都境の門を出ると、広々とした農地に代わる。見渡す限り麦の穂が揺れていた。このまま道を進めば州境の城壁が見えてくるが、それには半日以上掛かる。馬車内で夜明かしは身体がつらいから、早朝に出て、夜に到着する予定だ。
「永成、顔色悪いから少し眠ったら?」
「……そうする」
姉に寄りかかるのは悪いと思ったのか、修名の隣に移動して目を閉じた。
時折、激しく揺れたが、私は酔うこともなく風景を楽しんだ。うとうとして、目覚めたときには外の風景は少し変わっていた。いつの間にか北州に入っていたらしい。麦から稲穂になり、青々とした畑も見える。ところどころに大小の池もあった。暮れかけの燃えるような空の色が水面に映り、美しい。北州が水の国と言われるのもわかる。
山裾が海岸近くまで広がっていて、迂回するため馬車は左右に何度も曲がった。知っている地図どおりに進んでいる。
都を囲う城壁が見えてきたときには、もう日は暮れていた。門番に馬車が止められる。
「通行許可証を見せろ。ない者は通せないぞ」
許可証など持っていない。
閉門中の夜間は、不審者が入らないか厳密に調べているのだろう。
修名が馬車から顔を出した。
「洛王の招きで央州から来た、風水師の白永成と姉君です」
「はっ、これは失礼しました」
どうやら話は伝わっていたらしい。
無事に門は開けられ、馬車は中へと入っていった。
車内から外を見ても、暗闇で風景はわからなかった。城に近づくにつれ灯籠が増え、夜遊びを楽しむ人々の姿も見えてきた。央州の都ほどではないが、活気がある。
馬車はそのまま走り、大きな宿の前で止まった。振動で目を覚ました永成に修名が説明する。
「遅い時間なのでこちらに泊まり、謁見は明日になります。今晩はゆっくり休みましょう」
私は王に会う理由はないから、明日は永成とは別行動で都を歩き回るつもりだ。謁見の翌朝に旅立つ予定なので時間は一日しかない。計画的に動かないと見たいところにも行けずに終わってしまう。
案内されたのは別棟で、部屋がいくつもあって住居のようにくつろげそうだ。長旅で全身の疲労が激しく、尋常ではないほど眠い。運ばれてきた食事をとってから、それぞれ別の部屋の寝台ですぐに眠った。
※
翌朝、食事の時間になっても永成は起きてこなかった。
膳の前に座り、首を傾げる。
「どうしたんだろう。馬車で酔って、気分悪いままなのかな」
「様子を見てきます」
修名が永成の寝室へと向かった。
先に食べるわけにもいかず、ぼんやりと外を眺める。大きく開け放たれた窓の向こうには青空が広がっている。風が涼しくて心地よい。
艶やかな白米や珍しい野菜が入った汁物に視線を向けると、お腹が鳴った。
食べたい。
待ちきれなくなり、立ち上がって永成の元へ向かった。
「どうしたの? 体調悪いの?」
寝台に横たわる永成の背中を、修名がさすっている。どうやら一度起きて着替えたものの、また横になったらしい。修名はこちらを向き、困ったように眉根を寄せた。
駆け寄って永成の顔を覗き込む。
目は開いていたので、少しだけ安堵した。
「永成」
「……姉さま、やっぱり僕には無理だ」
「え」
「緊張して、手足が冷たくて、起きようとしても震えて吐きそうになる。何か失言をして怒らせてしまったら、家族にも迷惑かけると思うと……」
目を強く瞑ると、溢れ出した涙が枕を濡らした。
こんな思いをさせてまで、無理やり謁見させるのは気の毒すぎる。まだ成人になってもいない。男だから風水師の血筋だからと強要するのではなく、永成に合う別の生き方もあるはずだ。
そう考えたものの、血の気が引いていく。
どうしよう。
ここまで来て、王に会わずに帰るわけにはいかない。
それではまるで待遇に気分を害したかのようだ。体調が悪くなったので会わずに帰るという説明も、嫌みのように取られかねない。
契約を交わしたわけではなく、今日は人柄を確認するための顔合わせだ。実際会って洛王の方が断るかもしれないし、永成の方から断ることも可能だ。白氏は確かな血筋なので依頼が複数くることもあり、選ぶ側になる。
いずれにしても、王からの誘いを会わずに断るのは無礼だろう。
洛王が感情的な人間ならば、機嫌を損ねて永成を罰するかもしれないし、白氏すべてが誹りを受けるかもしれない。
会うしかない。
会って、この話がわだかまりなく流れるように持っていくしかない。
でも今の永成が、王の前で上手く立ち回れるはずがない。
仕方ない――。
「永成、脱ぎなさい」
永成と修名は同時に「え」と言った。
「脱ぐの、すぐ!」
布団をめくって永成の上衣に手をかける。
「姉さま……?」
怯える小動物のような目。
手荒なことはしたくないが、のんびりとはしていられない。
「私が永成のふりをして王に会う。初対面で顔は知られてないし、王の近くに寄ることもないでしょう」
幸い、と言うのは微妙だが、女性的な膨らみが乏しい身体つきだ。
胸は自分の帯できつめに締めて押さえれば、上着をはおるので目立たないだろう。永成が着ている薄紫色の上着は、丈が足下まであり裾がふわりと広がっている。袖下も長く垂れ下がり全体的に布が多い。体型はごまかせるはずだ。
「なんとか失礼がないよう、専属風水師の件はなしにできるよう、話してみる」
呆然としている弟から、追い剥ぎのように服をむしりとる。
「姉さま――!」
身包み剥がされた永成が弱々しい悲鳴をあげる。
やるしかない。
永成のためにも、自分や家族のためにも。
※
洛王の使いが来て、馬車で王城へと向かった。姉弟の姿を見たのは宿の人間だけだ。部屋を出て馬車に乗るまで、顔を見られないよう修名の影に隠れて移動した。
馬車の中で修名と向かい合って座る。
「本当に、鈴華さまには驚かされます」
「なんとかしなきゃいけないんだから、驚いてる場合じゃない」
永成は宿で休んでいる。姉の鈴華が長距離移動で酔って体調を崩している、ということにして。
王と会って、遠く離れた場所から少しの時間会話を交わすだけだ。なんとかなる。
緊張しないわけではない。
だけど今は、早く終わらせて北州の都を見物することを楽しみにしておこう。特徴的な海岸や水路、風水術に沿って建物が配されているか、星はどんなふうに見えるか。
考えているうちに城門を抜け、乾和殿という建物に通された。
乾和殿は行事の場ではなく、私的な来賓をもてなす宮殿で、とてつもなく広いわけではない。立っている場所から正面の椅子までは、十歩ほどだろうか。まだ王の姿はない。背後の扉には兵が立ち、修名は扉の向こうに待機している。
王城は外観も内部も、落ち着いた色合いだった。壁や柱の朱色は央州の宮殿よりも深みのある色合いで、柱にほどこされた彫刻なども控えめだ。
南州は全体的に色合いが派手だったので、土地柄があるのだろう。
ふと、漂う香に気づいた。控えめで爽やかな花のような匂い。どこかで嗅いだことがある。
思い出す前に、正面の奥から足音が複数聞こえてきた。
来た。
ひざまずいた。王の姿が見えた瞬間、すぐに胸の前で手を重ね、額を床に付けるほど頭を下げる。
「ああ、私が招いたのだから、そこまでしなくて良い。頭を上げよ」
落ち着いたやわらかい口調だ。
「恐れ入ります」
ゆっくりと顔を上げ、立った。
一段高い場所に立つ姿を見て、声をあげそうになった。
あの男――。
椅子に座った王ではなく、その近くにいる従者。
婚礼の日に広場で声を掛けてきた男だ。
まずい。
顔を伏せぎみにする。あの夜は化粧をしていたし、薄暗かった。一度しか会っていないし、今は男性の身なりをしている。
距離もある。
動揺して怪しまれてはいけない。
洛王が語りかけてきた。
「永成どのも知っているだろうが、北州では先王が急逝し、後を継いだ誉王も病で伏せがちだ。ほかにも何かと異変が続き、先王が風水を軽んじたからだと言う民もいる。白氏を招いたのは確かな血筋と、この者が――」
洛王は隣に立つ男に視線を向け、話を続けた。
「先日の婚礼で風水師と話す機会があり、良いのではないかと薦めてきたからだ。先王が風水師を排除したので、私もなじみがなく懐疑的だったのだが、試して損をすることもないだろう」
遊び回っていたという噂から、もっといい加減な人物を想像していたが、口調も表情も穏やかで威圧感もない。刺繍が入った黒い衣装に水色の帯を締め、若く雄々しい。
なんとかなるかもしれない。
そう思ったが、隣の男の視線が気になる。
気づかないでほしい。
男が口を開いた。
「私は
笑みを浮かべながら王の方に視線を向ける。王は少しだけ苦い表情になった。永成と修名の関係に近いが、それよりは歳近い友のような感覚なのだろうか。
星苑はこちらに視線を戻した。
「ところで姉君が体調を崩されたと聞きましたが、大丈夫でしょうか」
「はい、馬車の揺れで酔っただけですので、一日休めば回復するでしょう」
視線は合わせず、目を伏せ気味に答える。精一杯、低めの発声を心がけた。
「話した印象では、酔って寝込むような繊細な人には見えなかったが」
思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。
「……意外と繊細なのです」
「ああ、失礼しました。図太く見えたという意味ではないのです。良い意味で健康的と言いますか」
適当な発言には気をつけるのではなかったのか?
言い返したかったが堪える。
ちらりと洛王の方を見ると、王も少し呆れたような視線を星苑に向けていた。
洛王は気を取り直したように言った。
「それで、どうだろう。私の専属風水師として試してもらえないだろうか。無理だと思ったらその時点で辞退してもいい。逆に私も上手く使えないと思ったら契約を破棄するかもしれない。それくらい気楽にだ」
風水師に詳しくない分、試して合わなくても失望は浅いし、責めたりしないかもしれない。条件は悪くないが、それでも永成には荷が重い。
「実は、ご依頼の直前にほかからも話がありました。熟考して後日ご返答してもよろしいでしょうか」
「……ああ、それは致し方ないな。国内で血筋確かな風水師は白氏と柳氏のみだから、引く手あまただろう。なのにわざわざ遠路足を運んでくれたこと感謝する」
思い通りに話を進められた。
帰郷後に永成が断りの書簡を出せばすべて終わりだ。
勝利を確信して心の中で拳を握った瞬間、星苑に問われた。
「出立は明朝とのことですが、このあとのご予定は」
気が緩みかけ顔が上がっていたので、慌てて目を伏せる。
「はい、北州の地理に興味があるので、見て回ろうと思っています」
「では私が案内しましょう」
結構です!
叫びたかったが堪える。
「……いえ、本当に個人の趣味のようなもので、お忙しい中、お付き合いさせるわけにはいきません」
「こちらが招いたのですし、ここ数年で変わった場所もある。案内があった方が効率よく回れるでしょう。それに私は洛王に使われなければ忙しくはないので」
星苑が視線を向けると、洛王はため息をついて頷いた。
「と、言うわけなので行きましょう。食事も美味しい穴場に案内しますので」
星苑が近づいてきた。
冷や汗が出そうだ。
完璧な男装のはずだが、この男には顔を知られている。いや、暗がりで一度会っただけで、絶世の美女でもないのに覚えられているとは思い上がりか。
気づいたら、すぐに指摘したはず。頑なに断る方が怪しまれてしまうかもしれない。
疲れたなどと理由をつけて、早々に別れればいい。それまでできる限り、正面から顔を見られないようにしよう。
胸の前で手を重ねて、頭を下げて洛王に礼をする。王は立ち上がり、退室した。
「まずはどこへ向かいますか。行きたいところを言ってください」
気づけば近い距離にいた。長身なので上から見下ろす形になる。
慌ててくるりと背を向けて、少し離れた。
「すみません、香の匂いで咳が止まらなくなることがありまして」
「ああ、これは失礼。ここの匂いが染み付いているもので。近づきすぎないよう気をつけます」
星苑は初めて会ったときと同じように、人懐っこそうな表情で笑った。
※
城門から出ると、まっすぐで大きな通り沿いにさまざまな建物が並んでいた。客桟や酒楼、魚や肉、野菜を売る店。昼時なので店先の屋台から良い匂いも漂ってくる。鮮やかな色合いの服を着た人々が行き交っている。
「見たいところに案内しますよ。地理の調査ですか」
「調査と言いますか、地図と照らし合わせたいと思いまして」
並んで歩く。向かい合っていないので、顔をじっと見られずに済むから少し気楽だ。
うつむき気味で隣に顔を向けなければいい。
「でしたら、ついでに風水師としてご意見を聞かせてもらってもいいでしょうか。もちろん有償に限るということでしたら報酬は払います。北州では最近いろいろと異変があり、対策が急務なのです」
専属風水師を雇うのも、打つ手のひとつということだろう。それにすべて頼るということではなく。
「私が知っているのは先王が急逝されたことと、誉王が病がちなことだけです」
それらがどこまで風水と関係していると言えるか。
星苑は頷いた。
「誉王は子が三人いますが男児はいないため、今は宰相と洛王とで執務に当たっています。そのためか西州に不穏な動きがあります」
西州と北州の折り合いがあまり良くないというのは聞いたことがある。どちらも漁業が盛んで大陸との交易が大きな財源になっている。港と漁場がほしいのだ。
とはいえ同じ国で親戚だ。小競り合い程度だと思っていたが、実際はもっと深刻なのかもしれない。
「最近、王墓が荒らされました。西州の人間によるものだとわかっています」
「風水では陰宅、陽宅という考えがあります。陰宅とは墓、通常人々が住む空間である陽宅と、どちらも大事にしなければ、もう一方にも悪い影響が出ます。墓荒らしは明らかに凶事を呼び込もうとする行為でしょう」
西州は風水を重んじている。しかし悪用しているのなら不快だ。王に命じられてやむを得ずなのかもしれないが。
あるいは宣戦布告のつもりか。
この島国は長年平和が保たれていた。各州を治めているのが初代皇帝の一族というのも大きいだろう。しかし同じ血はときに他人以上の深い争いを生む。
西州と北州が戦を始めれば、周囲に飛び火するかもしれない。
「甘いものは好きですか」
「え?」
突然の話題転換に思わず隣を見上げてしまう。
「米粉を練って、黄大豆の粉をかけたものが人気です」
星苑は返事も聞かず、屋台に「二つ」と声をかけ、お代を渡して受け取った。
「はい、どうぞ」
差し出された串を手に取る。串に刺さった餅には黄色い粉がかかっていた。
「ありがとうございます」
発した息で黄色い粉が軽く舞った。こぼれ落ちないよう、すぐにかじりつく。ほのかに甘く香ばしい大豆と、もっちりした生地が口の中で混ざり合う。もぐもぐと咀嚼して、飲み込んだ。
「美味しい」
「それは良かった」
星苑は笑って、餅をかじりながら歩き出した。並んで歩く。
「墓荒らしの件は、犯人も意図もわかったのでまだいいのですが、気になるのは土地の陥没と農民の流行病が相次いでいることです。風水をおろそかにしたせいだと言う者もいますが、どうなのでしょうか。あなたの姉君は風水は呪術ではなく学術だと言っていましたが」
土地の陥没。
流行病。
「陥没はどのあたりですか」
「山を少し上がったところです。数年前から山肌を削って住宅を建てているのです」
「そこに向かっているのですね」
「気づかれましたか」
星苑はいたずらを気づかれた男児のように屈託なく笑った。
その笑みに騙されないぞ。
そう思ったが、土地のことなので興味が沸いた。
まあ、いいか。
実際に見てみよう。
餅を食べ終えると、星苑が串を受け取り、立ち並ぶ屋台の横にある屑籠に捨てた。
賑やかな通りを東に曲がり、ゆるやかな坂道を上がっていく。北州は山裾が海岸に近いため平坦な土地が少ない。そのうえ海岸線は入り組み、池が多い。住宅を増やすため埋立てもしているだろう。
前方には削られた山肌が見えた。
地形を変え、山から降りてくる気の流れを阻害する高い建物を建てれば、自然からの力を受け取れなくなる。
「この国は風水に基づいて都が置かれ、城の向きなども決められました。北州もそうです。央州の都が大陸との公益に便利な西側にではなく東にあるのも、そこが一番運気をもたらす地形だからです」
大陸の政権が移り変わる中、約三百年、楚氏が皇帝として君臨していられたのも、風水術のおかげと言えるだろうか。
「よからぬことが起きるのは、風水を無視しているせいだと」
「断言はしません。どれほど風水術を駆使しても、よからぬことが全く起きない桃源郷のような場所はないですから。専属風水師は風水術で完璧を目指すのではなく、自然の力を把握して、長く栄え平和に過ごせる提案をするのが仕事です」
「あなたは姉君に似てますね」
「え」
顔が引き攣った。語るのに夢中で、弟のふりをしているのを忘れかけていた。
「……よ、よく言われます。そっくりだと」
視線を逸らす。
「一度会っただけなので記憶は不確かですが。第三皇子の結婚相手が長女ではなかったのは、既に婚約者がいるのだろうと言われてましたが、そうなのですか?」
「いえ、全く気配もありません」
「では専属風水師に」
首を横に振った。
「専属風水師は男性のみなので」
「そういう決まりなのですか?」
「決まりでは……」
女性でも声を掛けられるのなら、弟より先に雇われていたはず。
「姉君は、そんな決まりにとらわれるような人には見えませんでした。風水師として生きたければそうするのでは」
地上に落ちてきた最初の雨粒が頬に当たったみたいに、はっとした。
とらわれているのは自分自身だったのだろうか。
ゆるやかな坂道を登っていると、新しい住居群が見えてきた。山を削って平らな場所を作ったのだろう。
等間隔に並ぶ建物の前に、地面が大きく割れてへこんでいる場所があった。道の脇の草むらなので、大きな被害はなかったようだ。
陥没した穴を眺めてから、振り向いた。
小高い場所から海まで見渡せた。複雑な形をした海岸線もはっきりわかる。
「わあ……」
感嘆の声をあげてしまい、思わず口を両手で塞ぐ。
隣にいる星苑は、こちらを見て笑みを浮かべていた。
危ない。
地形に気をとられて、男装していることを忘れるところだった。
脳内に叩き込んだ地図と照らし合わせる。
「海岸線も川の流れも、少し変わっていますね」
「はい。見ての通り、北州の首都は平坦な土地が少ないのです。先王は民が住みやすいようにと、不要な池を埋め、氾濫しやすい川の流れも変えたのです」
割れた大地をもう一度見てから尋ねる。
「井戸を埋めていませんか」
「……井戸?」
「はい。井戸をただ土で埋めるのは良くないのです。土の中で毒性の大気が充満することがあります。それが爆発し、あのような形で現れたのかもしれません。土の深い場所は繋がっているので、井戸のすぐ近くで起きるとは限りません」
「……なるほど、確かに井戸はいくつも埋めている。しかし以前もそうしていたはず」
「先王は風水に限らず、迷信めいたことは排除したと聞いています。昔は井戸を埋めるときは祈りを捧げていたはず。それを生業とする人たちは、安全で正しい埋め方を知っていたのです」
ずっとにこやかだった星苑の表情が険しくなっていく。
「以前のやり方を調べてみよう」
「それと、流行病にかかった民は、どこの誰なのか把握しているのでしょうか」
星苑は頷く。
「州で一番の名医に診察してもらい、原因を調べるために情報はすべて記しているはず」
「住んでいる場所を調べてください。同じ水脈を使っているのかもしれません。間違った井戸の埋め方で水質が汚染された可能性があります」
「……水脈の汚染を解消すれば、これ以上、病は広がらないということか」
「そうなりますね」
星苑は口元に手を当て、考え込んでいる。
やらねばならないこと。
焦燥感と希望。
「星苑さま、どうぞすぐ城へ戻ってください。病人が住んでいる場所と、飲んでいる水の流れと照らし合わせたいのでしょう」
「しかし、私が連れてきたのにあなたを置いていくわけには」
「いえ、私は地図とは変わっている海岸線や川の位置を記したいので、ここに残ります」
星苑は目を見開いてから笑みを浮かべ、両手で私の手を強く握った。
「感謝する。この恩は忘れない」
強い口調で言い、すぐに坂を駆け降りていった。呆然とその背中を見つめていたが、やがて見えなくなった。
握られた手のぬくもりが、まだ残っている。突然過ぎて避けることもできなかった。
大きくため息をつく。
とにかく、なんとか切り抜けた。
なりすましを勘付かれることもなく、永成の専属風水師の話も機嫌を損ねることなく断れそうだ。
両手で拳を作って天上に突き上げる。
やった!
大声で叫ぼうかと思ったが、背後で草が揺れる音がして、弾かれたように振り返った。
野良犬が道を横断しているだけだった。
ふう、と小さくため息をつき、帯に仕舞っていた紙を取り出す。筆の代わりに細い棒状にした墨で地形を記していく。
やっと、やりたかったことが、誰の目も気にせずできる。
青い空と眼下に広がる街並み、その向こうに広がる海原。風も心地いい。
鼻歌を歌い出したいくらい上機嫌だった。
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