第3話 北からの誘い




  〈 3 〉



 婚礼から数日経っていた。趙姫がどう過ごしているのか詳しく知ることはできないが、人目もはばからず寄り添って過ごしているという噂も聞こえてきて、家族は安堵していた。

 夕食の席に久しぶりに長男夫妻もそろっていた。父母が並び、向かい側に私と弟、その横に長男夫妻が座っている。それぞれの前に膳があり、豪勢ではないが見目が良い料理に食欲がそそられる。

 父が長男の連城れんじょうに声を掛ける。


「皇子はお変わりないか」

「はい、心身ともに健やかです」


 連城は第二皇子の専属風水師だ。幼いころから勉学が好きで、風水術も完璧に会得している。表情はやわらかだが、身体が大きいので頼もしい感じがする。一年前に妻をめとり敷地内の別棟で生活しているため、一緒に食事する機会は今はそう多くない。

 妻の柳然りゅうぜんが山菜を口に運んだ。食べることが好きな柳然は、頬がふっくらしていて健康的だ。


「この山菜、初めて食べますがとても美味しい」


 母・思月しげつが微笑んだ。


「お口に合って良かった」


 父は酒をひとくち飲んでから、皆を見回して言った。


「揃っているのでここで報告しよう。専属風水師を白氏から迎えたいという話がきている。相性もあるから、まずは一度会って話して決めたいと。永成、すぐにでも北州へ行きなさい。依頼主は北州の王だ」


 永成はびくっと震えた。


「……私ですか」

「そうだ。いつかは職に就かねばならないだろう。央州を離れるのは心細いだろうが、皇族に就くより気楽で、むしろお前には良いのではないか」


 永成は青ざめていた。花や動物に話しかける穏やかで心優しい弟。風水術の知識も蓄えていて問題はないが、緊張すると頭が真っ白になり言葉が出なくなるような繊細なところがある。王族を前に意見を言えるだろうか。

 年齢は十九歳。かなり歳が離れている気もするくらい、幼い感じもある。

 私は父に尋ねた。 


「北州の王とは王でしょうか。体調を崩されてるとも聞きますが、いずれにしても誉王は北州を統べる者。永成には荷が重いのでは」


 龍沈国は約三百年前、大陸で小国が乱立した時代に跡目争いから逃れた氏が、東の小さな島へ渡り建国した。初代皇帝が島で暴れていた龍をなだめ、島で最も高い金慶山に眠らせたという伝説がある。

 龍と戦った証など実在しないので、英雄の伝説として話が盛られている可能性も高い。

 三代目皇帝の時代に、この国でも跡目争いが勃発した。戦で島が焦土と化さぬよう、皇帝を頂点とし、東西南北四つに分けた州に王を配し自治を認める形となった。世襲性のため、現在も各州を束ねる王は全員皇帝と同じ血を引く楚氏だ。

 皇帝の領地は島の中央を占める山々と、そこから北東の海まで広がる地で、最大の都がある。央州と呼び、白氏も代々この地で暮らしている。


誉王よおうではない。その弟の洛王らくおうだ」

「洛王と言うと、遊び歩いていて政にも無関心と聞きますが」


 風水師は政治やそれに関わる人を把握していなければならない。地形や天候の違い、風習などもだ。だから人からよく話を聞き、地図を眺めていた。


「昨年、先王が亡くなり誉王が治めることになったが、病がちと聞く。洛王も遊び歩いてはいられなくなったのだろう」

「確か、先王は風水を嫌っていたのでは」


 父は頷いた。


「風水など根拠ない占いだと、専属風水師は雇わずすべて己で決めていた。だから息子たちも風水に触れていない。ただ、先王の突然の逝去から誉王の病、ほかにも異変が続いているようだ。それで風水師を試してみようと思ったのかもしれん」


 永成の顔色は一層悪くなった。箸を手に持ったまま固まっている。


 私が男なら、永成に無理させることなく自分が行ったのに。


 ため息をつきそうになった。

 性別など関係なく、それぞれに合った生き方を選べる世の中にならないのだろうか。

 そのためにどうすればいいのか。

 世界を変えるほどの力がこの手にあるわけではない。


「とにかく、いつまでも仕事をせずにいるわけにもいかないだろう。こちらから北州の王府へ向かうと伝えておくぞ。北州なら一晩馬車に揺られていれば着く」


 島の中央にある山脈は険し過ぎて馬車では越えられない。ほかの州へ行くときは山裾を迂回するから、西州なら二日掛かる。

 永成は目を固く瞑り小さくうなずいた。王に会いもせず「行きたくない」と断るわけにはいかない。

 子供のころ、家族で南州観光したことがある。暖かく、こちらでは見ない鮮やかな色の甘い果物もあった。

 北州はどんなところだろう。

 地図で地形は知っていても、実際に見てみないとわからないことも多い。

 行ってみたい。


「私も着いていっていいですか? 北州の様子を一度見てみたいのです」


 北州は海岸が入り組んでいて、川が多く水路が活用されている。大陸から定期的に来る船は米を積んで戻っていく。龍沈国は小麦を主食としているが、涼しい北州は米の栽培が盛んだ。

 父は険しい目でこちらをみた。


「弟の用にかこつけて遊旅ゆうりょか? でもまあ永成も心細いだろうから、側にいるのは良いかもしれんな」

 永成がすがるような目で小刻みに頷いた。

 父は、母似で心優しい永成に甘いのだ。この話を進めようとしているのも、将来が心配だからだろう。

 話はまとまり、三日後に北州に向かうことになった。


     ※



 旅立つ前夜に荷造りをした。私が王に会うわけではないので、着飾る場はなく衣服の量は少ない。それよりも地図を詰め込むことにわくわくした。

 地図は白氏に代々伝わるものだが、今は少し変わっているかもしれない。調べて地図に書き加えよう。央州では山に隠れている星も北では見られるかもしれないから、天体観測も楽しみだ。

 永成は緊張で眠られないかもしれないけれど、私は初めて見る世界に期待が膨らみ、なかなか寝付けなかった。

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