第2話 婚礼の夜から始まった
〈 2 〉
第三皇子の婚礼は宮廷で盛大に催された。門では太鼓と鐘が一斉に打ち鳴らされ、楽隊が演奏する中、妃を乗せた煌びやかな馬車が進んでいく。
道の先に建つ黄和殿は城内最大の宮殿で、内部は奥が階段状になっている。朱色の柱、花が描き込まれた天井、最上段の金色の玉座、人々の衣装、すべてが色鮮やかでまばゆい。
玉座で待ち構えている皇子の元へ、赤い衣装に身を包んだ妃がゆっくりと歩いていく。
その姿に参列者たちはため息を漏らした。
なんと美しい。
白磁のような肌に桃色の唇、目鼻立ちもこれ以上ないくらい整っている。
第三皇子は良い妃をもらった。
人々の賞賛を浴びているのは、妹の
私ならこんなに褒められなかったんだろうなあ。
白氏の娘を第三皇子の妃にという話がきたとき、父親の飛龍は長女の鈴華を出すつもりだった。順番から言えばそれが自然だけれど。
父親に言ったのだ。
結婚はしたくない。
相手が誰でも。
夫に尽くして着飾り、世継ぎを産むことだけ考える生活が想像できない。先のことはわからないが、今は。運命の相手を自分で見つけて熱烈な恋愛をしたいというわけでもない。むしろ逆で、結婚も恋愛も、最上級の生活や身分も興味がない。
幼いころから風水術のことばかり考えてきた。学ぶこと、気を感じること、それだけが心をわくわくさせた。
星を眺め、羅盤を手に持ち、気を探る。
ずっとそうして生きていきたいのに。
父親も、鈴華は少し変わりもので、結婚生活は不向きと考えたのかもしれない。妹の趙姫を差し出すことになった。
「趙姫が乗り気だったからいいが、この先も断り続けていると婚期を逃すぞ。これからどうするんだ」
父親の言葉に頷いて返す。
「どうにかします」
そう答えたけれど。
これからどう生きていけばいいだろう。
皇族たちの専属風水師は男性ばかりで、女性を雇う人はいない。男性のみという決まりはないが、妃たちに関係を疑われぬよう、身近に女性を置くことを避けるのが暗黙の約束事になっているのだろう。
皇族や高貴な人々が雇う風水師は、建国以来必ず白氏か柳氏と決まってる。店を出し、平民相手に占いなどをしている自称・風水師はいるが。
占い師として生きるのは、何か違う気がする。
女性でなければ、もっと自分の知識や力を活かせる道があったのだろうか。
ため息をつきそうになったが、この場にふさわしくないので我慢する。
隣にいる弟、
「趙姫、きれいだね」
妹と似て永成も美しい顔立ちをしている。普段は長い髪を後ろでひとつに束ねているが、今は髪の一部を上で結い、髪飾りを付けていた。真面目で物静かで、容姿も相まって逞しさはない。
私は二人とは違い、父親似だ。
誰もが振り向くような美女ではない。背丈はやや高く、すらりとしているが、女性らしい曲線美に欠けるとも言える。
趙姫には、姉さまも着飾って化粧をすれば美しくなるのにと何度も言われた。今日は特別な日なので化粧をし、小さな細工が揺れる髪飾りをつけ、後ろの裾が長い水色の衣装を着ている。すべて侍女任せで、似合っているかどうかもよくわからない。
趙姫が第三皇子の隣に並ぶ。
皇帝が玉座から祝いの言葉を高らかに告げる。
祝宴が始まった。参列者たちは運ばれてきた膳の前に座り、広間で繰り広げられる歌や演奏、舞を見ながら酒を酌み交わした。
※
見たこともない豪勢な料理を食べ尽くしてから、そっと酒宴の座から抜け出た。長時間に渡るので、時折座を離れるのは珍しいことではない。
夏が過ぎ暮れるのが早くなり、頭上には星が瞬いていた。
宮殿前の広場は静まり返っていた。祝いの楽団はとうに撤収していて、各出入り口に警備の者は立っているが、散策する人は誰もいない。
寝転がって星を見たい。
そう思ったが、さすがに堪えた。
広場の真ん中で夜空を見上げる。
今日は空気が澄んでいて星がよく見える。
あれが北極星。
その近くに、北斗七星。
周りには名前が付けられた星々。
変わらない、いつもの姿だ。
異変は凶事の印かもしれないから、細かなことも見逃せない。だから変わらぬ姿に安堵する。
帯に仕舞っていた羅盤を出した。そのせいで衣装の形も崩れていたかもしれないが、常に持っていないと落ち着かない、三年前に急逝した祖父の形見だ。
皇族たちが白氏か柳氏を専属風水師として雇うのは、約三百年前の建国当初から続いている。この島国・龍沈国独自の習わしだ。国を守るために白氏は知識を子孫へと伝えている。
その力を正しく使いたいだけなのに。
何に活かすでもなく、ただ自分が楽しむだけで人生を終えるのか。
祖父が生きていたら、どう助言してくれただろう。
趙姫が妃になると決めた夜、いつもはそれぞれの部屋で眠る姉妹が、ひとつの寝台に横たわり語り合った。
趙姫は憂鬱そうな表情は一切見せなかった。
「私は姉さまと違って賢くないから、風水を教わっても全然わからなかったし、結婚する以外の幸せな未来が思いつかないの。それなら、高貴な人と結ばれるのは恵まれていると思う。美しいものに囲まれていられるし、第三皇子なら第一皇子みたいに世継ぎを産むことでの争いも少ないでしょう」
権力を欲しがる一族は、次の皇帝と縁戚になれればと娘を差し出す。第三皇子の妃が政治と直接は関わらない白氏というのは、彼らにとっても都合が良いのだろう。
「恋愛の経験もないまま結婚するのは、不安も少しだけあるけど、誰とだって初めて会うところから始まるのだから、その相手が皇子なのは、たぶんいろいろな人から羨ましがられることだと思う。白氏として生まれたことに感謝しないと」
趙姫は天女のような汚れない笑みを浮かべた。まだ顔つきには幼さも残る。物語の主人公のような夢見る気持ちなのかもしれない。
これくらい夢ある少女だったら良かったのだけど。
そう思いながら妹の輝く瞳を見つめる。
「それにね、姉さまも見たことあるでしょ、第三皇子さま、素敵よね」
目を細め、ふふっと笑った。
祝い事で遠目に皇子たちを見たことがあるが、第三皇子は特に眉目秀麗で若かった。趙姫と並べば、お似合いの二人だと誰もがうっとりするだろう。
「ねえ、本当に私でいいの? 姉さまが嫁ぐ話だったんだから、今からそうしたいって言えば間に合うかも」
私は微笑みながら、趙姫の額を軽く指で突いた。
「譲りたくないくせに」
趙姫は楽しそうに声をあげて笑った。
姉さまと違って賢くないと言ったけれど、趙姫の方がずっと賢いのかもしれない。境遇を受け止め、選び、すべてを前向きに捉える。
素直で社交的な趙姫だから、皇子ともその家族とも上手くやっていけるだろう。
「何を見ているのですか」
背後からの声で我に返った。
振り向くと一人の男が立っていた。広場は所々に灯籠があるので、顔立ちもぼんやりと見える。
見知らぬ若い男。背が高く、細身だが武道の心得はありそうな体つきだ。髪飾りの細工や紺色の衣装は、華美ではないが質が良いと一目でわかった。
長い黒髪が微かな風に揺れた。同時に、甘すぎない爽やかな香りがした。
何の用だろう。
廁なら外に出なくても行ける。
まさか迷ったのだろうか。
でも、それなら廁はどちらかと聞けばいいだけだ。
訝しみつつも、無視するわけにもいかず答える。
「星を見ていました」
男は空を見上げた。
「星を見て、恋占いですか」
「女性が星を見るなら恋占いと」
妙に冷めた口調になってしまった。
男は察したのか、すぐに軽く頭を下げた。
「これは失礼。女性は天体のことなどわからないと思ったわけではないのです。ただ、いくつかの可能性からひとつ言葉にしただけで。私にはそういう適当なところがある。気をつけなければ」
「あ、いえ、こちらこそ、妙にきつい口調になってしまい申し訳ありません」
同じように頭を下げる。
ここにいるということは怪しい人ではないのだから、もっと愛想良く対応するべきだったか。
素敵な人との出会いを期待して振る舞うくらいの要領の良さがあれば良かったが。
今更考えても手遅れだ。
「それは、羅盤というものですね」
手元に視線が向けられる。
「はい」
「なるほど、風水ですか。そういえば第三皇子の妃は風水師の家系だった。私は風水には詳しくないのだが、願いが叶ったりするのだろうか」
「風水は呪術ではありません。役立てたいと思う人のための学術です」
「天体観測もその一環と。北極星はどれだろう」
「あれです」
指差す先を正しく見ようと、男は身を寄せてきて少し屈んだ。
「あれだろうか。わかるような、わからないような」
正直な男だ。
わかったふりをすることも可能なのに。
「天帝の星。地上と同じように、天上の星々も最高神を中心に回っています。北斗七星もそのひとつで、天帝の乗り物とも言われます」
西にある大陸では、古くから北極星が天帝の星と呼ばれ崇められてきた。この島国でも北極星を祀る祠がいくつもあり、供物が絶えず捧げられている。
「天上も窮屈なんだな」
そうつぶやいてから苦笑して、言葉を続けた。
「今のは聞かなかったことにしてください」
玉座の近くで少々際どい発言だが、周囲に二人以外の姿はなく、警備の兵までは聞こえない。
「はい。ところで、何か御用だったのでしょうか。廁なら黄和殿から外に出ずに行けますよ」
「ああいう宴の場はつまらないので外に出てみたら、一人で空を見上げている姿が見えたから、何か不思議なものでもあるのかと思い近づいたんです。考えてみれば顔見知りでもないのにいきなりで、警戒されても当然ですね。それに天体観測を邪魔したのも申し訳なかった」
男は軽く頭を下げてから背を向けて歩き出したが、三歩めで振り返った。
「またやってしまった」
「何をです」
「宴がつまらないなどと言ってしまった。貴女の親族を祝う宴なのに」
「適当な発言には気をつけなければと言ったばかりなのに」
「そう」
反省というより、いたずらが露呈した少年のような悪びれない表情。
ずっと無表情で答えていたが、堪えきれず吹き出した。
「別に気を悪くはしてません。私も妹の宴から抜け出して星を眺めていたので」
「つまり同罪だ。ここでの発言は内密に」
頷いて返すと、男は口の端を上げて笑んでから背を向けて去っていった。
初めて見る顔ということは、皇族ではないのだろう。だけど婚礼に招かれているのだから、それなりの身分のはずだ。この国は島を東西南北に分けた四つの州と宮廷がある央州の五つの州で成り立っている。ほかの州から来たのかもしれない。
名前を聞かなかったし、名乗らなかった。
何者なのだろう。
少しだけ気になったけれど、恐らくもう会うことはないだろうし、宴の席でまた見かけたとしても話す機会もないだろう。
そろそろ席に戻らなければ。
羅盤を帯に仕舞ってから、もう一度だけ夜空を見上げる。
瞬く星たちは、この先に何が待ち受けているのかまだ教えてはくれなかった。
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