第22話 取り調べ
間もなく、スコットランドヤードがやってくる。この近隣の警察官達は、果たしてパーシーが影の警視総監だと言う事を知っているのだろうか。
少なくとも、パーシーによれば、ここ一年程さした事件もなく、移動などがなければ皆知り合いの者達だと言う。
その知り合いが、パーシーを疑うのだろうか。
「それで? その時悲鳴などは聞きましたか?」
見知らぬ巡査部長が、メモ帳を片手にペンを滑らせる。名を聞けば、ルイス・クロイドンと言うらしい。
事件現場は木立に遮られ、遠くからでは、確かに草のざわめきを頼りに狩りをする狩人達からは獲物としか見る事が出来ない。上着を着替えたパーシーが、目を見開いて絶命している赤毛の娘を見ている。
今回は、アンソニーも同行していた。
その隣で、パーシーと同じ第一発見者として呼ばれたスチュアートが、僅かに肩を震わせながらも、
「そう言えば、何も聞こえなかったような気がするな」
と、首を傾げた。
「君は聞いたかい? パーシー」
「ライフルの銃声が大きかったからね。良く判らなかったよ」
パーシーは肩を竦める。
「成る程……」
鑑識官達が死体のスケッチをしている横で、巡査部長が手帳を閉じた。
「で、あなたのご意見は如何ですかな? パーシー侯」
「恐らく、僕は彼女を殺してはいないよ。ヤードの諸君が来た今ではもう血は止まり、黒ずんでいる。僕が抱き上げた時には、まだ止まってはいなかったけれどね」
先程迄、己の腕の中で震えていた青年は、はっきりとした口調で見知った巡査部長と話している。やはり、パーシヴァル・エルマー・ヒースコートを理解するには、一年では無理なのだと、アンソニーは思った。
「初めこそ困惑したけれど、今は普通に考えが回るようになった。証拠が少な過ぎて判らないけれど、アンジェリカは殺されていたのだろうね。そうして、誰かがその血が乾く前に、狩り好きな僕の目をそちらに導いた」
「成る程」
クロイドン巡査部長は腕を組んだ。
「判らなくもないですな」
「パーシーは悪くない!」
スチュアートが声を張り上げる。
「僕と言う目撃者迄いるんだ。例え事故だとしても、あそこはヒースコート家の領土だ。なんの許可無しに入り込んだアンジェリカにも罪はあるのではないか?」
「まぁ、貴族間の問題には我々は理解出来かねますがな。アンジェリカ嬢がいなくなった事でジークローヴ子爵も探しておられるでしょう。取り調べはいらないとして、死体の受取人を呼んで来なければなりませんな」
午後になり、少し髭の伸びた顎を擦りながら、クロイドン巡査部長は言った。
「兎にも角にも、パーシー侯、あなたは重要参考人である事には違い無い。取り調べを受けて頂きたい」
「判っているよ。僕のカントリーハウスで良いかい? 僕が警察署などに連行されたら、使用人達や、領土に住む者達が更に混乱してしまう」
「他の刑事も入りますが、宜しいですかな?」
「ヒルダに話せば、大抵は判って呉れるだろう。ヤードの諸君、飲んだ事が無いだろうとっておきの紅茶をご馳走しよう」
そう言って、パーシーは踵を返した。
「やれやれ……」
先頭を歩くパーシーに向かって、クロイドン巡査部長は溜息を吐く。その独り言に、思わず、アンソニーは聞き耳を立てていた。
「困ったご領主様だ。領土内で起きた殺人を、遊びのように捉えておられる」
パーシーへの取り調べは、有り余るカントリーハウスの客間にて行われた。勿論アンソニーは、パーシーの後ろに控え、話の行く末を見守っていた。
「……さて」
クロイドン巡査部長は、パーシーが椅子に座った事を確かめると、おもむろに先程閉めた客間の扉を開いた。
「きゃぁ!」
「うわぁ!」
途端、何人かの使用人が部屋の中になだれ込む。キャサリンや、ジェイクの姿もあった。
「全く……使用人は使用人らしく、ドアに張り付いてないで屋敷の仕事をしていて欲しいですな」
クロイドン巡査部長が肩を竦める。
「だって、パーシー様の危機に黙っていられなくて……」
ジェイクを引き倒した儘、キャサリンは口を濁す。
「要するに、野次馬だと言う事で、間違いないでしょうなぁ」
「彼等も僕を心配しているのだ。許してやって呉れ給え。クロイドン君」
椅子に腰掛けたパーシーは脚を組んだ。
「折角の美味しい紅茶が冷めてしまうよ」
既に空になったパーシーのティーカップに紅茶を注ぎつつ、アンソニーはそのやり取りに耳を傾ける。
スコットランドヤードは、果たして彼を犯人として牢獄に閉じ込めるのだろうか。クロイドン巡査部長の言い方ならば、自宅謹慎辺りで済みそうだ。
それでも、領土に住む民の不安を拭い去る事は出来ないのだろう。
「別に、今に始まった事でもない。ヒースコート領では偶に起きる事だよ」
アンソニーの心配を汲み取ってか、パーシーが言った。
「だから、領民と領主と言う関係と言っても、ヤードの諸君とは顔見知りなのさ」
「パーシー様。もしや……」
アンソニーが動揺する。影の警視総監の事や、怪人録の存在を、知っている可能性があるからだ。
しかし、返ってきたのは意外な答えだった。
「心配ご無用。それは全て秘密だよ、アンソニー君」
そうして、主人はヴァレットの淹れた紅茶を一口飲んだ。それからクロイドン巡査部長に向き直ると、
「さて、僕はどのような事を聞かれるのかな?」
と、少しばかり愉しげに口元を引いた。
「まずは、アンジェリカ・ジークローヴ嬢に、何か恨みを持っておりましたか?」
「愚問だね」
パーシーは紅茶を啜る。
「僕はジークローヴ子爵とは殆ど逢った事もないし、そのご令嬢も然りだ。サロンに呼ばれた事すらない」
「隣の領土だとしてもですかな?」
「はぁ」
容疑者は溜息を吐いた。
「では、何故死体を見ただけで、全く逢った事のないと言うアンジェリカ・ジークローヴ嬢だとお判りに?」
「話さない。そう言ったら?」
すると、巡査部長の目が一瞬煌めきを帯び、
「署までご同行願いたい」
「僕に拷問でもするつもりかい?」
「ならば、ここで話して頂けると、あなたの領民でもある、我々にとっても嬉しいですな」
刑事としてのプライドのように、出された紅茶に手を付けない儘、クロイドン巡査部長は言った。
「パーシー侯。あなたが何をお隠しになっているのか……我々は当事者ではありませんので理解出来かねますが、良いですか? ここにいるのは、あなたの従者と、我々だけです。恐らく扉の向こうに観客はいらっしゃいますので、小声で宜しいので告白を願いたいものです」
「……判った」
と、パーシーは口を開いた。
「事件の第一発見者で、僕と共に狩りをしていた幼馴染であり親友の、スチュアート・ブラックモア伯爵がね。言っていたのさ。彼女はマイケル・ジークローヴ子爵の三女、アンジェリカ・ジークローヴ嬢だとね」
「ほう」
クロイドン巡査部長は手帳に何やら書き込んだ。
「これは、ブラックモア伯爵にもお話をお聞きしたい次第ですな」
「彼は僕と違って、顔が広く友人も多いからね。確か、ジークローヴ伯爵夫人のサロンにも呼ばれた事があると言っていたよ。彼女とも、そこで逢ったのではないかな?」
「成る程」
クロイドン巡査部長が幾度か頷いた。
「アリバイは、ブラックモア伯爵以外に何方か証言出来る者はいらっしゃいますか?」
「うちのゲーム・キーパーが、遠くから見ていたかもしれない。判らないけれどね」
「判りました。それでは、次はスチュアート・ブラックモア伯爵に話を伺いましょう」
クロイドン巡査部長が立ち上がった時、パーシーもそれに続いた。
「その前に、昼食を摂らなくてはならないね。もう午後の二時だ。厨房にいるコック達が賄いを食べそこねてしまう」
「判りました。では、我々も食事を摂りましょう。不本意ですがね」
「すまないね、クロイドン君」
「良いですよ、ご領主様。近くの店におりますので、何かあった際にはすぐにご連絡を」
そう、慇懃に言って、クロイドン巡査部長は踵を返した。
「さて、アンソニー君。行こうか。スチュアートが待っている」
警官達の足音が遠ざかる頃、パーシーはアンソニーへと振り返った。
「親友と言えど、お客様を待たせてしまった。これは招待した側としては失態だね」
「はぁ」
アンソニーは相槌を打つ。
そうして、主人よりも前に出て、部屋の扉を開いた。
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