第15話 ヴィクトリアンスポンジケーキ

 夕食は、ローストビーフが出された。使われているハーブと、葡萄酒の匂いがする。アンソニーはそれをサーブすると、思わず唾液を飲み込んだ。

 流石に賄いには出ないだろう。しかし、切れ端位は貰いたい。そんな小さな野望が沸々と湧いてきて、思わず口角を引き上げててしまった。


「アンソニー君、食べてみたいのかい?」

 それを見たパーシーは、すかさず笑みを浮かべて言った。

「いいえ、そのような事は……」

 見透かされてしまった。アンソニーは赤面する。

「僕の目は誤魔化せないよ? 賄い目的だろう」

 まさに図星だ。パーシーは楽し気に正解を口にする。


 この青年は、何故こんなにも頭が回るのだろう。

 もしかしたら、己が彼を崇拝していると言う事も、お見通しなのではないだろうか。アンソニーはどきりとした。


「さぁ、食後のデザートは何かな?」

 パンを食べ終えたパーシーは言う。

「なんでしょうね」

 アンソニーが答えた。料理は大抵蓋をされている為、説明される、コック長こだわりの季節の一品の他には、余程強い匂いがしなければ察する事が出来ない。コックが持ってきた皿を受け取り、彼は主人の目前にサーブした。

「どきどきするね……」

「どうでしょうか」

「そういう君も、中身が知りたくて仕方がないのではないのかい? アンソニー君」

 別に知りたくはないが、ここの主はパーシーだ。話は、合わせるべきだろう。

 そんな事を思考しながら、アンソニーは蓋を開ける。皿に乗せられていたものは……


「ヴィクトリアンスポンジケーキじゃあないか!」

 カップの底程の大きさのスポンジケーキの中に、ストロベリーやラズベリーのジャムが挟まっている。黄色いスポンジ生地に、果実の赤い色が栄え、見るからに美味しそうな甘い匂いがした。

「モーリスも粋な事をして呉れるね。僕が大好きなものを、アフタヌーンティーではなく、夕食のデザートに持ってくるなんて」

「そうですね」

 アンソニーは苦笑した。

「しかも、独り占め出来る程の大きさだ。最高だよ」

 ナイフをスポンジに差しながら、パーシーは嬉し気に声を弾ませる。


 ナイフが、スポンジを裂き、ジャムに至る。黄色い生地の先が赤く染まる。鼻歌交じりに半分を切り分けると、溢れたジャムが皿にたらりと広がった。

「……まるで、ヒトの肉を裂いている犯人のようだね」

 パーシーは苦笑した。

「不吉なことを仰らぬように」

 アンソニーがすかさず言った。

「判っているよ」

 そう言って、頬を膨らませるパーシーを見ると、何処か胸に針が刺さる感覚がある。それは、彼のヴァレットになると決めた時から、戒めのように心に刻んだものだ。


 望まないものを望むと、結局は不幸な結末で終わる。今迄生きてきて、感じたのはそれだった。


「食後は、珈琲になさいますか? お紅茶になさいますか?」

 パーシーがデザートを食べ終えたのを確認し、アンソニーは問いかけた。

「珈琲が良いかな」

 持っていかれる皿を見つめ、パーシーは答える。

「たまには、甘い珈琲が飲みたいね」

「お砂糖は、ご自分で加減されますか?」

「そうだね……」

 パーシーは悩んだ末、

「砂糖とミルクを持って来て呉れ」

 と、頬笑んだ。

「かしこまりました」

 ヴァレットは頭を下げ、控えていたコックに歩を向けた。コックもやり取りを聞いていた様子で、

「珈琲ですね、暫くお待ちください。砂糖とミルクは直ぐに持って行きます」

「珈琲と共にで良いよ! 僕は余り気の長い方ではないからね。先に調味料がきたら、珈琲が来る迄待つ事が出来やしないだろう」

 使用人達のやり取りに、パーシーは声を張り上げた。その声にコックは姿勢を正す。

「は、はい! パーシヴァル様!」

「おや? 僕をフルネームで呼ぶと言う事は、新人かな? ヒルダには聞いていなかったけれど……」

 と、パーシーは首を傾げた。

「良かったら、自己紹介をして呉れやしないかい?」

「はい! エドワード・ゴールディングと申します! 三日程前より、スカラリーとしてモーリス様の元で働いております!」

「成る程ね。下働きはきついだろう。頑張り給え」

 パーシーは頬笑み返す。緊張の糸が解けたかのように、エドワードはその場にへたり来んでしまった。


また一つ、ヒースコート邸の使用人間で賭け事が起きる。果たして、己は呼ばれるのだろうか?


「煙草を呉れないかい? アンソニー君」

 珈琲を飲み終えたパーシーは言った。

 パイプ煙草が流行るこの時分、彼は執着しているかのように紙巻煙草を欲する。アンソニーは懐からシガレットケースを取り出すと、それを開け、紙巻煙草を一つ手に持ち、パーシーに手渡した。

 そうして、マッチで火を点けてやる。主人は、それを咥え、煙を薫らせた。

「実に満足したよ」

 煙草を一度唇から離し、煙を吐いて、パーシーは笑った。そうして、再び咥えると、

「しかし、奇っ怪な事件だね」

 と、言った。事件とは、”切り裂きジャック”の事だろう。

「犯人の意図が全く判らない。殺された娼婦達の共通点など、ウエストエンドで働いていたと言う事だけだ。そんな者達はイーストエンドにごまんといる」

「やはり、無差別殺人と言う事でしょうか?」


「……いや、待って呉れ」

 ふと、何か思いついたように、パーシーの顔つきが変わった。

「今回殺された娼婦達は皆、他の堕ちてきた夜鷹達のまとめ役をしていたらしい。例のレディは、他とは違っていて、とても若かった。それに対して揉めていた……こうは考えられないかい?」

「成る程」

 と、アンソニーが頷いた。

「仮にも、彼女がエイズを患っていたとする。アンソニー君、君ならばそれを知った場合、まとめる側としてはどうする?」

 またこの主人は意地悪な質問をしてくる。そんな事を考えながら、アンソニーは口を開いた。

「客を取らないように、注意をしますね。それも、私刑リンチなど、下町特有のかなり乱暴なやり方で」

「成る程、良い意見だ」

 パーシーは煙を吹き出した。

「そうなれば、あのレディの姿も思い当たる節が出てくるだろう。ヤードの諸君がそこまでやるかが問題だけどね」

 そうして、煙草を飲み終えると、椅子から立ち上がった。


「まぁ、もう寝る事にするよ。今回の事件でも考えながらね」

 椅子を直すアンソニーに向かって、パーシーは言った。

「余り良い夢見ではないかと思われますが……」

 アンソニーが言葉を濁すと、

「まぁ、これはあくまでも僕の持論だけれど、人は寝ている時に頭が冴えると言う。それで事件が解決できたら良いだろう?」

 なんて持論だ。ヴァレットは思った。

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