第13話 紅茶と秘密のキュウリサンド
地下にある厨房に着くと、やはり皆各々休憩をとっていた。
「なんだ?」
モーリスが重い腰を上げる。
「はい、パーシー様が紅茶を飲みたいとの事で……紅茶用の湯を沸かしたくて……」
アンソニーは言った。すると、
「判った。ジョージの隣のコンロを使え。あと……」
「あと?」
一瞬言葉を溜めたコック長に、アンソニーは首を傾げた。
「そこに賄いの残りがある。食っていけ。何も食べていないだろう」
「……あ、有難うございます」
顎で指された賄い飯を見遣り、アンソニーは答えた。コンソメスープに、冷めたパンを浸けてチーズを掛けてオーヴンで焼いた、グラタン風の、簡易的なスープだ。
「食べ終わりそうなタイミングで、お湯を沸かせて頂きます」
と、コックのジョージが近づいてきた。茶の髪に更に薄い色の瞳がきらきらと光る。
「すみません、休憩中に……」
アンソニーが言うと、
「これがパーシー様の笑顔に繋がるんです。喜んで仕事をこなしますよ」
青年は白い歯を見せた。
グラタン風のスープは、その熱さを除けば、意外と美味いものだった。だからこそ、時間のある昼食から夕食の休憩に出されるのだろう。
使用人達は皆この屋敷に住んでいる。その全てを取り仕切るのが、ハウスキーパーのヒルダなのだ。彼女は、初めてこそ取っ付きにくかったが、接してみれば、同じ主人を想う使用人の一人なのだ。
最近は、そう思えるようになった。
「美味しかったです」
スープを飲み終えたアンソニーは言った。モーリスは腰に手を当て、
「それは、スコットランド中で一番美味い屋敷の味だ。当たり前だろう」
自分の仕事に誇りを持っているのだろう、そう答えた。
「丁度お湯も沸きましたよ!」
ジョージの声がする。彼はティーポットに茶葉を入れると、湯をケトルから中へと注ぎ入れた。紅茶が一番美味くなるのは、百度以上の温度の湯だと言う。紅茶の香ばしい香りが、厨房を満たした。
「良い匂いですねぇ」
ティーポットとカップを乗せた盆をアンソニーへと渡し、コックのジョージは言った。
「有難うございます」
アンソニーが答えたその時、
「これも、持っていけ」
と、モーリスが皿を盆に乗せた。キュウリサンドのようだ。
「いつも事件に走り回っている主人への、サプライズのようなものだ。これは伝えるなよ? ただ渡して、パーシー様がいらないと言ったら、あんたが食えば良い」
難しい事を言うな。アンソニーは内心思った。
「これは何だい?」
そう問うパーシーの顔が目に浮かぶ。
下手をしたら、厨房から盗んで来たのかと、いらない疑いをかけられる。
最も、そのような事はないだろうが。
それ程迄、パーシーはアンソニーを信頼している。まだ出逢って一年程だ。それ程に、互いを知り合い、培った絆は、強いと言う事だろう。
アンソニーは、その事が少し誇らしかった。
やがて、パーシーの自室の扉をノックすると、いつもは返ってくる筈の声が返されない。ピーターの言っていた事が脳裏をめぐり、心配になって鍵の掛かっていない扉から、中に飛び込んだ。
果たして室内には、新聞を手に揺り椅子に身を任せ目を閉じているパーシーの姿があった。
「あぁ、良かった」
ヴァレットは肩を撫で下ろす。そうして、その傍らのテーブルに、紅茶とキュウリサンドを置いた。
「パーシー様……」
と、肩を揺らす。暫くそうしていたが、間も無くその瞼が開かれ、湖のように青く透き通る瞳がアンソニーを映した。
「あ、あぁ。おはよう、アンソニー君」
目を擦りながら、パーシーは微睡みから目覚めた。
「僕は随分眠っていたかい?」
「いいえ、そのような事はありませんよ」
ティーカップに紅茶を注ぎながら、アンソニーは歌うように言葉を添えた。
「そうか、良かった」
一度椅子に座り直し、パーシーは言った。そうして、キュウリサンドに目を遣ると、
「これは何だい?」
と、想像していた通りの問いかけをしてきた。アンソニーは暫く迷ったが、やはり主人に嘘を吐く事は出来ない。そもそも、吐いても意味もない無駄な嘘だ。モーリスには申し訳ないが、確りと伝える事にした。
「コック長のモーリスさんからです。本当は言うなと言われていたのですが……」
「成る程」
パーシーは言った。
「モーリスもシャイな男だからね。頂くとしようか。アンソニー君、君も食べ給え」
「……え?」
思わず、首を傾げる。これは主人にと貰ったものだ。格下の己が食べて良いものか。
「僕が無類のキュウリサンド好きなのを知っているだろう? それに、この屋敷のキュウリサンドは特に美味い。それを、共有しようと言うのだよ」
「はぁ」
アンソニーは複雑な心境で答えていた。いつかの賄い飯で食べたキュウリサンドは確かに美味だった。
それは、秘密を共有するようなスリルにも似ていた。
パーシーは迷いなどないようにキュウリサンドを差し出してくる。己の根気に折れたアンソニーは、それを手に取った。見計らっていたかのように、彼が口へと運ぶのと共に、パーシーもキュウリサンドを口にする。
マスタードマーガリンが塗り込んであるそれは、やはりいつ食べても美味いと感じる。
「うん、美味しい」
と、言いながら、パーシーは一口一口を味わうように、ゆっくりとキュウリサンドを咀嚼する。それはまるで無邪気な子供のようで、やはり護らなければと実感させる。
彼に、同じように下町の溝を見て欲しくはない。そんな、想いがあった。
やがてキュウリサンドを食べ終えると、パーシーは紅茶を片手に、再び新聞を広げた。アンソニーが覗き込むと、丁度、先程見てきた夜鷹の殺人事件の記事が出ている。
しかし、スコットランドヤードが口止めしているのか、今回も切り裂きジャックを名乗る怪文書については触れてはいなかった。
「ヤードにしても、二十年位前から凍結した事件を今更掘り起こされたくないのだろう」
そう言って、パーシーは新聞を幾度か爪で弾いた。
「全く、臆病者の集まりだね」
「それを、慎重と言うのです」
盆にキュウリサンドの乗っていた皿と、空になったティーポットを乗せ、アンソニーは静かに諭した。
「そうとも言うね」
パーシーは答えた。
「有難う。夕飯が食べられないくらい美味しかったとモーリスに伝えて呉れ。ティーカップもそろそろ空になるから、ついでに持っていって呉れ給え」
そう言って、主人はヴァレットの持つ盆に、一気に紅茶を飲み込んだティーカップを置いた。
「有難うございます。厨房に持っていったら、モーリスさんも喜ぶでしょう。この後、何かなさいますか?」
「どうしようか」
と、窓から差し込む夕日を見つめながら、パーシーは呟く。
「偶には、君と話がしたいな」
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