第3話 シオドラ・ケースリー巡査部長
現場では、午前三時の発見だった為、未だに鑑識官が死体を前に写真やスケッチを取っている。既に死体は腐敗が進みつつあり、人肉の朽ちる独特の臭いがパーシーの鼻を差した。
そこに顔見知りの巡査を見つけ、彼は声をかけた。
「やぁ、ジャスパー君」
「パーシヴァル侯……」
ジャスパー・フォックス巡査は、パーシーに敬礼して、
「どうぞ、お好きに現場検証の手伝いを」
と、言った。すると、彼の背後から恰幅の良い壮年の男が顔を出した。パーシーを嫌っている、シオドラ・ケースリー巡査部長だ。
「また社交シーズンも過ぎたばかりだと言うのに、態々ロンドン迄……貴族の遊びでは有りませんよ? 少なくとも今回は極めて残酷な殺し方だ」
「それが良いと言うのだよ!」
子供のように、パーシーは声を弾ませる。
「号外にも書いてあった通り、逃げる犯人の足跡は見つかってないのだって?」
それを聞いたケースリー巡査部長は、
「もうそこ迄情報は広がっているのか……」
と、ため息を吐いた。
「それで、何かしらの情報は入っているのだろう? 教えて呉れ給え」
「は! 近所のアパルトマンの住民によれば、真夜中に上の方から”カラカラ”と言う音が聞こえていたようです」
「成る程……」
パーシーは言って、空を仰いだ。
「粗方の──これはあくまでも僕の意見だが、検討はついたな」
「何だって!?」
ジャスパー巡査の声が、路地に響いた。その声に、鑑識官が、刹那身を震わせた。
「恐らく、犯人は二人以上いる」
「なぜそう思われたのですかな? パーシヴァル侯」
ケースリー巡査部長は腕を組んだ。すると、パーシーはステッキで軽く地面を叩いてから、
「近所のアパルトマンに住む住民が言っていたのだろう? カラカラと音がしたと。恐らく、犯人は屋根の上か……最上階から主犯者を滑車を使って吊り上げたのだろう」
「成る程。では、犯人は男二人と言う事だろうか? パーシヴァル侯」
「拳銃を奪われてから平和ボケをしてしまったのかい? “これは誰でも出来る”と、僕は言っているのだよ」
「例えば?」
ケースリー巡査部長の言葉に、パーシーは言った。
「非力な、若いレディとかね」
「……今直ぐに向かい合った建物のある部屋を全て調べろ! 屋上もだぞ!」
少し悔しげに、ケースリー巡査部長は命令した。
巡査達は敬礼し、双方に散って行く。
「頑張り給えよ、諸君!」
然して応援するでもない声色で、パーシーは言った。
「──さて、被害者の名前は?」
鑑識官が調査をする中、ケースリー巡査部長に彼は声をかけた。
「僕はこの事件の事を殺され方以外殆んど知らないからね。号外には急に刷られたようでね。腸を引き出されたと言う凄惨な死体遺棄事件だと言う事。その他、殺された娼婦の事等、詳しい事は余り書いていない」
「物好きなご貴族様だ」
ケースリー巡査部長は迷惑そうに、現場に立ち入る侯爵に向かって言った。
「被害者はメアリー・アン・ニコルズ。発見されたのは今日の午前三時四十分頃。荷馬車の御者をしているチャールズ・アレン・クロスがこの路地裏に倒れている所を発見。殺され方は……見ての通りですよ」
「成る程。確かに号外記事に書いてあったように、凄惨だね。性的暴行を加えられた形跡は?」
「判る訳がないでしょう」
と、写真を撮った鑑識官は怪訝そうに答えた。
「性器がめちゃくちゃに切り裂かれている。犯人は被害者の首筋を二度に渡って切って、絶命するのを見てから、こんな狂気的な切り刻み方をしている。その上、財布も何もかも持ち去られていない。奇っ怪な事件ですよ」
「それは酷いものだ」
ステッキの先で零れた腸を持ち上げ、パーシーは言った。
「パーシヴァル侯、余り現場を荒らさないで頂きたい」
鑑識官の一人が言う。
「だって、もう写真は撮り終えたのだろう? あとは本部の検証に回すだけだ。腸が少し動いたくらい、何でもないだろう」
「駄目ですよ、パーシー様」
パーシーの両肩を持ち、己の胸元に引き寄せながら、アンソニーは言った。
「そこであなたの指紋やら、ご自宅の土などが発見されたらどうするのですか」
ヴァレットは主人を叱咤する。そうして、慰めるように言葉を紡いだ。
「今回は厄介な事件です。スコットランドヤードも、容疑者を必死に探すでしょう。貴族から、一気に犯罪者になられても良いのですか?」
「それは……困るね」
パーシーはため息を吐いた。
「判ったよ。死体には触らない。それで良いね?」
「それが宜しいかと」
主人の肩から手を離し、アンソニーは言った。パーシーは捜査に入れず半ば寂しげだったが、やがてケースリー巡査部長に、向かって言葉を吐いた。
「それでは、頑張り給え。ヤードの諸君」
娼婦──それもウエストエンドの夜鷹が殺された事件は、それだけでは終わる事が無かった。
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